意志について

2011/07/22 12:16


一匹の蟻を踏み潰すか否かで将来は変わるだろうか? ゲーテはこのような疑問を提示した。
いわば、人の意志が未来に影響を及ぼすかどうか、という問いである。もちろん、人の意志の力は大きい。このことに疑問をはさむ余地はない。しかし、それが人の意志であろうと、チンパンジー、あるいは鶏の意志であろうと、それによって未来の姿が変わるかというと、大いに疑問がある。

そもそも意志とは何かという問いに明確に答えることは難しい。もちろん、広辞苑なりを引けば、言葉そのものの意味はすぐに見つかるであろう。しかし、意志というものの根源にあるものは何かと聞いたときに、その答がすぐに見つかるだろうか。

自然にも意志はある。風にも雨にも雷にも意志がある。と、わたしは考える。同様に、鶏の小さな脳みその中の、さてミミズとダンゴ虫のどちらを先に啄ばむか、という意志決定は自然現象であるとわたしは考えるのである。そのとき鶏の脳の中では、これはもちろん比喩ではあるが、嵐が吹き雷鳴が轟いていたのかも知れない。そして、そのとき突如として雷が落ちみみずを啄ばむ方を選択させたのかも知れないのだ。

人の意志にしても同じことである。雷がどこに落ちるか、あるいは台風がどのような進路を辿るかということと同じで、その意思決定にはミクロからマクロまで途方も無い数の要因が影響しあっているが、台風の進路や落雷と同様に、それは予め決められていたことなのである。
わたしの考えでは、脳とは大自然がコンパクトに詰め込まれたものである。人の意志とて完全な予定調和の中にあるのである。

わたしは、意志というものに本質的に将来を変える力はないと考える。意志とは、単に脳内のある種の反応であり風が吹いたり雨が降ったりするのと何ら変わらない。わたしたちは、それを特別なものと思い込んでいるだけである。

つづき

2011/07/21 14:40


後藤忠政氏は、アメリカで肝臓移植をすることによって死を免れた。そしてまたそのことにより、自らのやくざ人生に終止符を打った。なぜなら氏は、その肝臓移植手術以降、山口組と疎遠?になっている。直参組長としての務めであろう会合に出席していないのだ。直接的には、このために山口組から除籍された、とご本人も述べている。

では、なぜ疎遠になったのか。わたしは、それが氏の肝臓移植手術と関係があると思うのだ。言葉は悪いが、氏は自身の肉体の延命と引き換えに山口組を売ったのではないだろうか。
しかし、そんなことが本当にあり得るだろうか。組織に忠誠を誓うのがやくざの生き方である。
氏は、もともとは愚連隊上がりとはいうものの山口組に長く在籍し、竹中正久氏などとも親交があった。氏によると、竹中氏はどういうわけか後藤氏を大変気に入り、可愛がってくれたのだという。その竹中氏は、一和会という在日系の山口組組織によって殺された。

わたしは、今のやくざ組織の大半が在日と同和系で占められていることを知っている。山口組にしてもしかりである。そして、在日系の勢力が日に日に拡大してきていることも。

先に後藤氏が保守思想の持ち主だと書いた。このことを合わせ考えてみると、そこには漠然とではあるが、ある絵が浮かび上がってくるのである。それは、後藤氏が在日系の勃興と共に変わっていく日本のやくざの姿に嫌気がさしてきていたのではないか、ということである。

氏は、結局大博打に打って出たのではないだろうか。このままでは、自分の肉体はもう長くはない。また、今の山口組の在り様も気に入らない。それならいっそ、アメリカ当局に組織の金融資産などの情報を教えてやり、それと引き換えに渡米して新しい肝臓を手に入れてやろう。これなら一挙両得である。
おそらく、大筋ではこういうことではなかったかと思う。

要するに、在日の勢力は日本中の隅々にまで、それこそ日の射さないやくざの組織にまで浸透してきているということなのだ。

昨日のつづき

2011/07/19 20:12


後藤忠政氏は、現役時代、様々な事件に関係している。創価学会の池田会長(当時)を拳銃で脅しまわったり、武富士の上場を実現させたりと、実に忙しくわが国の闇の社会を動かしていた。有名な伊丹十三襲撃事件にも関わっていたし、真珠宮ビルを巡る電磁的公正証書原本不実記載の罪で拘留されてもいる。要するに武闘派であると同時に経済やくざ、すなわち知能犯的な面も持っていたということである。一時はJALの個人筆頭株主でもあった。

しかし、ここではそのような犯罪については述べない。もっと面白いエピソードがあるので、それについて書きたい。

後藤氏は、背中に抱き鯉だったか昇り鯉だったか3ヶ月も掛けて刺青を入れたというが、医学的に見て、刺青は非常に危険な行為である。氏も述べている通り、氏自身が刺青が原因で肝炎を患い、また肝炎から肝硬変、そして当然のように肝がんへと移行した。氏の言によると、やくざの死因の3割が肝臓病によるものだそうだが、宜なるかなである。刺青が原因でC型肝炎に感染するリスクは注射針の使いまわし同様に非常に高いのである。

ところで、この肝がんのために氏は肝臓の移植を受けることになるのだが、この辺の事情についてはオブラートに包んだように書かれているようにわたしには思える。そう考えるのは次の理由からだ。

肝臓移植を日本で行うことは当時ほとんど不可能だった。当時と書いたが、この状況は今でも余り変わらないのではないかと思う。
臓器移植には免疫による拒絶反応がつき物だから、これを抑える為にはドナーとレシピエントのHLA(白血球のもつ組織抗原性)型が一致しなければならない。しかし、その一致する確率は、政治家の河野洋平氏が息子の太郎氏から生体肝移植を受けたレアなケースもあるにはあるが、兄弟や親子の間であっても非常に低いのだ。したがって、生体肝移植が出来ないとなれば、事故などで脳死状態になった赤の他人にドナーを求めるより他にない。しかし、そのようなドナーが見つかるケースは、国内においては奇跡といっても良かった。
結局後藤氏はアメリカで肝臓移植手術を受けることになったのだが、この話のエッセンスは実はここにある。それは、本来であれば後藤氏がいくら金を持っていようと、アメリカで手術を受けるなど不可能だったからである。当時、日本のやくざはアメリカの厳しい取締りを受け、入国すら許されてはいなかった。ましてや、肝臓の移植のために治療を行うことなど有り得なかった。
しかし、後藤氏はこれを実現させた。なぜそのようなことが出来たか? この疑問符がエッセンスなのである。ところが、その答については、氏は本書で詳しく語られていない。いや、一見包み隠さず書かれているように見えなくもないが、やはりそこには何か大きな欠落がある。先に書いたように、何かの劇薬をオブラートに包んでいるのである。
だが、そこに何らかの政治力が働いたであろうことは容易に想像できる。誰か大物政治家が後藤氏のために動いたことは間違いない。日米間で何らかの取引が行われたことは間違いがないのである。そして、そのことにより、後藤氏は本来であればとっくに鬼籍に属しているはずのところを、今でも精力的な活動をすることができる。
いろんな見方ができようが、わたしは、氏は自らの力で死を乗り越えたのだと考えている。それほどまでに氏の生命力は強かったのである。

この続きはまた明日。

「憚りながら」

2011/07/17 20:18


わたしは、ほとんどの日本人と同じようにやくざなど大の嫌いだが、どういうわけかその破天荒な生き方にはついつい魅了されてしまうのだ。ときに、やくざの生き方こそ本来の人間のあるべき姿ではないか、とさえ思い込んだりしてしまう。
山一抗争で凄絶な死に方をした竹中正久氏もそうだったが、山口組直参後藤組を率いてきた武闘派にして経済やくざとまで呼ばれた後藤忠政氏の半生にも感動を覚える。

後藤忠政氏は、現在山口組と絶縁し天台宗の僧侶となられた。そして、今回の大震災では水や食料、毛布などの援助物資を10tトラックに載せて被災地に運ぶなど、政府などよりもはるかに迅速な支援活動をされている。
当たり前のことだが、やくざの親分などというのは、やはり相当な人物でなければ務まらない。頭脳明晰の上に人望がなければ子分たちはすぐに離れていってしまうだろう。
後藤氏は、少年時代を極貧の内に過ごした、と書かれているが、実はこの人の祖父は地元、富士宮市の名士だった。富士川発電や伊豆箱根鉄道を興した後藤幸正氏である。
しかし、この大祖父が築いた巨万の富も親父の代ですっからかんになってしまったのだという。

この人は思想的には保守である。やくざを辞めて得度したわけは詳しくは書かれていないが、わたしにはおおよその見当はつく。この人は心底から日本人だったのだ。だから、大悲会の野村秋介氏を無二の親友とした。そしてまた、その野村秋介氏の理解者であった僧侶とも親交を結んでいる。この僧侶が実は氏を天台宗に得度させたのであるが、そのエピソードがまた面白い。

野村秋介氏が朝日新聞本社で「すめらみこといやさか」と三度叫んで拳銃で胸を打ち抜いて死んだことは世間に大きな衝撃を与えた。 東大病院の霊安室にあった遺体を警察が司法解剖するために飯田橋の警察病院(当時)に運ぼうとしていた現場に後藤氏とこの天台宗の僧侶が偶然居合わせたのだという。後藤氏は、親友であった野村氏の遺体が切り刻まれることを良しとせず、警察と悶着を起こしていたときに、この僧侶が後藤氏を諌めたのだという。遺体は、結局警察の計らいで家族の元に即帰されることになったのだが、実は、これが縁で後藤氏はこの僧侶の下で得度を受けることになるのである。

この僧侶は、本当に変わった人である。この人の背中にはなんと刺青が入っているという。それもただの刺青ではない。左の肩には野村秋介の名前が刻まれ、真ん中には「俺に是非を説くな 激しき雪が好き」という野村氏の歌。そして、右の肩には、後藤氏もこの僧侶に得度を願いに伺ったときに初めてその背中を見せられて驚いたというのだが、なんと後藤忠政と己の名前が入っていたのだ。

この僧侶は、後藤氏が現役時代に「得度するときはあんたに頼むぜ」と言った言葉を信じ、いずれ氏が仏の道に入ることを予見していたのだ。そして「あの時、わたしはきっと人生かけて、あなたを背負っていくようになると悟ったんですよ」と言ったのだという。

本当に面白い。しかし、続きはまた明日書くこととする。

日本復興の第一歩は菅内閣打倒!国民大行進に参加して

2011/07/11 19:25


昨日、吉祥寺のデモ行進に出かけた。「頑張れ日本!全国行動委員会」主催のデモで、菅直人首相のお膝元で「菅直人は辞職せよ!」とシュプレヒコールを上げるというものだった。

規模は約1000人。わたしは、12時には吉祥寺に着いたが、それから井の頭公園をぐるっと一週まわって、行動委員会の方たちが準備をされているところまで行って「飛び入りですがよろしくお願いします」と挨拶をした。もう20年以上も前のことだが、井の頭公園の近くに住んでいたことがあったので、懐かしい思いがした。
時間があったので、それからルノアールに入ったり、映画(パイレーツオブカリビアン)を見たりした。

行進は16時から始まった。わたしは第三梯団に入って行進をした。右手には国旗を持ち、予め日の丸と「好きです日本」と書いた真っ白な手提げ袋をDパックからぶら下げて歩いた。そして、昨年の東京マラソンでもらった何とか(両手で持ってぱっと開くと帯のようになるやつ)に「脱菅直人/脱カンチョクジン」と書いたのを時々広げた。
武蔵野の人たちはほとんどわたしたちに好意的のように思えた。きっと誰も彼もがもういい加減、菅直人に辟易しているのだ。

昨日は天気も良すぎるくらいに良く、青空に日の丸が棚引いて本当に美しかった。一昨年も習近平が来たときには常盤橋の渋沢栄一の像の元に集まってから銀座のデモ行進をしたが、あのときの感動が蘇ってきた。

約1時間の行進が終って皆汗だくだったが、風もあり、何よりも達成感でとても爽やかな気持ちであった。
デモの後の集会では、田母神さんや元仙台市長の梅原さんらのお話を間近で聞くことが出来た。
今わが国が大変な危機的状況にあることがひしひしと伝わってきた。シナによる土地の買収は全国のいたるところで起きており、これは彼らの日本侵略の一歩であることは明らかなのに、これを知ってか知らずか行政の長がこれにOKを出すなどという莫迦なことが起きている。いったい、これからの日本はどうなってしまうのだろう。
日本を本当に蘇らせるためには、やはり現憲法の無効を訴えるより他はない。このような話を何人かの人が話されて、これには皆万雷の拍手で応えた。

最後に皆で君が代を歌った。久しぶりに歌うわが国歌に思わず目頭が熱くなった。わが国歌である君が代を歌う機会が50数年生きてきてこれまでほとんどなかったというこの異常な事態に改めて気が付かされた。
誰がこの美しい平和な祈りの歌を、そして太陽の力強さと平等性を現す美しい日の丸の旗を醜いものに見せようとしているのか、国民は早く気が付くべきだ。

今回のデモに参加して、わたしは新しく生まれ変わったような気がした。

赤ちゃん大いに笑う

2011/07/04 19:36


マイフェブリットともいうべきyou tubeの動画は、赤ちゃんが笑っているものだ。世の親たちは、こぞってわが赤ちゃんの歯の生え揃わない口を大きく開けて笑うシーンを撮っている。赤ちゃんの笑いにはとてつもない魅力があることを知っているからだ。

赤ちゃんが笑っていると、それを見るほうもなぜか笑いたくなってくる。心が癒されてどんな悪人でも自分が善人に思えてくるに違いない。その表情は世界共通で、アメリカの赤ちゃんだけが苦笑いしているというようなことはない。
赤ちゃんたちは、ほんとうに些細なことに声を上げて笑っている。ただそばで紙を破って見せただけで、赤ちゃんは楽しそうに大笑いする。
何がそんなに面白いのだろう、と最初は考えたりする。きっと、紙を破ると変な音がするから可笑しいのだとか、いや紙が破れるものだという発見が楽しいのだとか。しかし、笑いに理由を見出そうとするのがそもそもの間違いである、と思う。

赤ちゃんは、笑うことによって今自分がとても元気で大変愉快な気分であることを表明しているのである。そして、こんなに楽しい気分にしてくれてパパ、あるいはママありがとうと、同時に感謝の念を伝えようとしているのだ。これこそが笑いの原点なのだ。

ある宗教家は、世の中が余りに利己的なことに嫌気が差していた頃に、母親がわが子に乳をやっている姿にはっと悟りを開いたという。母親は乳を与えることによって赤ちゃんを満足させるのと同時に自らも幸福感に満たされている。これこそが、私の求めていた理想の姿だ、とその宗教家は思ったのだそうだ。
考えてみれば、今でこそ「利己的遺伝子」を誰しもが見聞きして知っているが、おそらくそのような説が唱えられる前の時代のその宗教家にしてみれば、これこそが利他と利己が何の矛盾もなく達成されている光景である、と信じたとしても不思議はない。要は、自らの遺伝子とまったく繋がりのない他者に対してもこのような、いわばwinwinの関係が築けるか、ということであろう。

わたしは、赤ちゃんの笑顔こそこの理想形だと思うのである。
自分が今とてもご機嫌であるということをママに知らせて、ママをも幸福な気分にさせているのである。これは、良好な人間関係を築く上での大きなヒントである。(笑顔と反対なのが泣き顔だが、わが子の泣き声を聞けば、犬や猫でもすぐさまその泣き声の元に駆け戻ってくるであろう。それほどに赤ちゃんの泣き声にはインパクトがあるのだ)

さて、赤ちゃんの笑顔には大人を幸せにする効果がある。しかし、この能力はなにも赤ちゃんだけのものではない。わたしたち大人の笑顔にも、ちゃーんと赤ちゃんだったころから伝わる決して色褪せることのない魔法の力があるのだ。

せめてわたしも you tubeでも見て、可愛らしい赤ちゃんだったころの無邪気な笑いを思い出すとするか。

charlie bit me

2011/07/03 00:10


you tubeのわたしのお気に入りがタイトルのチャーリーがぼくの指を噛んだ、だ。
おそらくハリーは3歳くらいだろう。チャーリーは歯が生えたばかりのまだ乳児である。
二人はソファに肩を並べて座っている。そして、ハリーが何を思ったか弟のチャーリーの口に指を入れる。するとチャーリーがその指を噛むのである。最初は軽く、そして終に強く噛む。ハリーが眉間に皺を寄せて、泣きそうな声でOh! Charlieと叫ぶのだ。チャーリーはちょっとびっくりした表情を見せるが、すぐに可笑しそうにけらけらと笑いはじめる。けんかになるかと思いきや、ハリーはすぐにカメラに向かって笑顔を見せ、Charlie bit meと言うのである。

それにしても、この動画になんと3億回以上のアクセスがあるのは驚きだ。たぶん、これを見た者はみな、この幼い兄弟の仲の良さに微笑んだことだろう。
面白いのは、沢山のいい大人がこの兄弟の真似をした動画を投稿していることだ。
 
いやぁ、子供はいい。本当に無邪気でいい。できれば、もう一度子供に戻りたい。