「関東大震災」について1

2009/12/28 23:30

昨日、工藤美代子さんの「関東大震災」を買って読みかけたばかりである。読みかけたばかりであるが、これは非常に密度の濃い良書であることは疑いない。まず、工藤さんの勇気と熱意に敬意を表しておきたい。
日韓は来年併合100年という記念すべき年を迎えるが、著者は後書で朝鮮人大虐殺などという嘘がまかり通る現状では、「余震100年、いまだに日韓の地震は治まっていないというべきだろう」と結んでいる。

工藤美代子さんがどのような方なのかを簡単に紹介しておくと、わたしも本書を読み進めるうちに分ったのだが、44ページに何気なく記載されている「ある写真師」工藤哲郎氏がどうやら母方の祖父のようである。

それによると、「カメラマンでも写真家でもない、町の写真師で生涯を終った工藤哲郎は、青森県三戸郡五戸村で明治二十三(1890)年に生まれた。・・・地震が起きたときは陸軍飛行学校のある所沢飛行隊で写真技師として勤務していた。地鳴りがするので、遠くに眼をやると彼方の畑が波打って揺れ、確実に迫ってくるではないか。日本の航空写真の草分け的な存在であった彼は翌二日、東京市からの依頼を受け震災直後の偵察飛行に飛び立った。『写真を撮るなら空から行くしかない』千葉県四街道に妻や娘を住まわせていた彼は、家族の安全だけを確認するや航空写真の機材一式を積み込んで機上から下町の各地を綿密に撮影した。・・・翌日からは腕に陸軍の腕章、足にはゲートルを巻いて本所被服廠跡や上野、浅草、吉原などを歩き回り、異臭を放つ光景をくまなく写真に収めた。『もうこんな阿鼻叫喚を撮るのは嫌だ』人格を変えるよう自分を騙すつもりでなければ、とてもシャッターは切れないと思ったという。・・・震災後の昭和四年、その工藤哲郎が両国の国技館そばに開いた写真館は相撲写真館として一時代を築いた。両国一帯の下町を舞台にした彼は、震災と東京大空襲をくぐり抜けた写真師であった」とある。
また、工藤氏は国家基本問題研究所評議員でもある。

関東大震災が発生したのは、大正12年9月1日、11時58分44秒。ちょうど土曜のお昼時であった。このために昼食の七輪の火などによる火災で、地震そのものによる死者をはるかに上回る焼死者および熱傷者を出したと一般には流布されている。ところが本書では、どうもそれだけではないという事実が、いやこれまで巧みに隠蔽されてきた恐るべき事実が次々と暴かれている。

その恐るべき事実は、ぜひこの本を読んで知っていただくとして、本書には多くの作家の名が現れる。山本周五郎芥川龍之介菊池寛永井荷風与謝野晶子与謝野鉄幹等々。いずれもこの震災を直に体験した作家たちである。中でもわたしが興味を引かれたのは、芥川龍之介の自殺にいたる原因にまで言及した点である。著者は、芥川龍之介の憤怒という一節を設け、このように記述している。

「・・・だが大正六(1917)年二月にロシア革命が発生するとボルシェヴィキ指導による共産主義の出現が我が国にも大きな衝撃波となって襲ってきた。その波は大きく分ければ中国奥地から上海を通過するルートと、朝鮮半島を経由して上陸してくる二つのルートで押し寄せてきたのだ。・・・昭和二年、関東大震災の余韻も冷めぬ夏、大正時代の苦悩を一気に背負ったかのように芥川龍之介が自殺した。大震災にも劣ることなくじわじわと迫っていた「不安」、それがロシア革命によってもたらされたものだということを、芥川は如実に語って死を選択したのだった。震災直後の芥川の手記である。

『僕も御他聞に洩れず、焼死した死骸を沢山見た。その沢山の死骸のうち、最も記憶に残っているのは浅草仲店の収容所にあった病人らしい死骸である。この死骸も炎に焼かれた顔は目鼻もわからぬほど真つ黒だった。が、浴帷子を着た体や痩せ細つた手足などには少しも焼け爛れた痕はなかつた。(略)・・・「僕は善良なる市民である。しかし僕の所見によれば、菊池寛はこの資格に乏しい。
戒厳令の布かれた後、僕は巻煙草をくわえたまま、菊池と雑談を交換していた。尤も雑談とは云うものの、地震以外の話の出た訳ではない。その内に僕は大火の原因は○○○○○○○○さうだと云った。すると菊池は眉を挙げながら、『嘘だよ、君』と一喝した。僕は勿論さう云はれて見れば、『ぢや嘘だろう』と云う外はなかつた。しかし次手にもう一度、何でも○○○○はボルシェヴィツキの手先ださうだと云つた。菊池は今度も眉を挙げると、『嘘さ、君、そんなことは』と叱りつけた。僕は又『へええ、それも嘘か』と忽ち自説(?)を撤回した。
再び僕の所見によれば、善良なる市民と云うものはボルシェヴィツキと○○○○との陰謀の存在を信ずるものである。もし万一信じられぬ場合は、少なくとも信じているらしい顔つきを装はねばならぬものである。けれども野蛮なる菊池寛は信じもしなければ信じる真似もしない。これは完全に善良なる市民の資格を放棄したと見るべきである。善良なる市民たると同時に勇敢なる自衛団の一員たる僕は菊池のために惜しまざるを得ない。
尤も善良なる市民になることは、――兎に角苦心を要するものである」(『ドキュメント関東大震災』)

著者は、芥川の自殺の原因に言及し、「死因は、時代への絶望だとされるのが一般的な解釈だが、それは決して軽いものではないことがうかがえる」としている。わたしも、芥川と菊池寛の問答に感じるのは、芥川の明敏な神経に対し、菊池寛のなんとも鈍いというか、見ようによってはいかにも日本人的な自分の尺度では測れないものについては一切信じないという感覚である。つまり、菊池寛のような人間は、見たくないものは見えないようにできているのだ。そして、どうも人間という動物は、そんな風に都合よく出来ているらしい。
                             長文のため、2につづく