Appassionata

2009/12/31 18:59

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、改めて言うまでもなく偉大な作曲家である。自分自身は貧しく幸薄い人生を送りながら、音楽という世界共通の言語を使って人類に福音を与えてくれた。

歓喜の歌は、シラーの詩をもとに作曲されたが、第九なくしてシラーの「歓喜に寄す」はこれほど巷間歌われるようになったであろうか。しかも、この辺境の異教徒の地、日本にまで及ぶほどに。

ベートヴェンは、不羈の人であった。ナポレオンを讃え「エロイカ」を作曲したが、彼が皇帝になると、「彼もただの俗人であったか」と嘆いたという。なお、ピアノ協奏曲第五番は「皇帝」と呼ばれるが、ナポレオンとは関係がない。

若いころに「エッカーマンゲーテとの対話」を読んだが、ゲーテがベートヴェンの音楽にまったく理解を示さなかったとの記述があったことを記憶に留めている。ゲーテは目の人であり、ベートヴェンは耳の人であったと。もちろん、これは芸術分野でのことである。政治的な思想に関しては、ゲーテは政治家でもあり保守的な人物であった。一方、ベートヴェンは共和制を信奉する人であった。

これほどまでに違う二人の人物をわたしは二人とも好きである。それは、わたしが保守リベラル派である由縁でもある。

わたしは、第九もいいがピアノソナタ#23アパショナータが一番好きである。この曲については、かのレーニンも「これほど素晴らしい音楽は他に知らない」と感想を述べたとされている。それが本当にこの曲についての感想であったかどうかは、疑いをはさむ余地はありそうだが、レーニンがベートヴェン好きであったことは確かである。

音楽と革命、この二つは非常に相性がいいらしい。音楽が革命のプロパガンダに使われることは大いに警戒しなければならない。
しかし、アパショナータは熱情と訳されるが、わたしたち保守に熱情がないかというととんでもない話である。青い静かな情熱の火が営々と引き継がれてきて今日のわたしたちがあるのである。

今晩、紅白もいいですけど、アパショナータも聴いていただきたい。そしてベートヴェンの情熱をわたしたち保守の力といたしましょう。