水に流すな

2010/01/04 23:44

本会の主たる目的は、日本人の徳育にある。わたしはこの趣旨に大いに賛成してここに入れさせてもらった。

その徳目の一つに、日本人特有の「水に流す」というものがある。他人から受けた仇をいつまでも恨みに思わないできれいさっぱり忘れてしまうということである。

日本は、まるで核の実験場の如く原爆を二つも落とされ戦争に負けた。その前に東京は焼夷弾により焼け野原にされ、赤ん坊から老人、病人にいたるまで何万という無辜の民が惨たらしく焼き殺された。

しかし、日本人はこんなことはまるっきし歴史になかったかのように、見事に水に流してしまった。今では、アメリカと無二の親友のような顔をしてつきあっている。アメリカの占領政策がうまくいったのは偏にこの日本人の受容力によるものだったのである。これがイラクアフガニスタンのような国であれば、千年経ってもその恨みが消えることはないだろう。

わたしは、水に流してしまうことが徳であるとは思わない。原爆を落とされたことは、決して水に流してしまってはいけない。東京大空襲ゲルニカ以上のホロコーストであった。木と紙でできた民家が密集する中に焼夷弾を落とせばどういうことになるか、これは明らかに大虐殺である。こんなことを容易く水に流してしまってはいけない。

先に関東大震災について書いた。これは不逞朝鮮人を中心にする一大テロ事件であった。しかるに国のとった対応策は、流言蜚語の禁止という、何をか云わんやの大失政であった。失政と言うのはたしかに結果論である。しかし、このことが昭和20年の敗戦を機に起きた朝鮮人による筆舌に尽くしがたい大暴虐へとつながり、今日の国難へ連綿と繋がってきたことに疑いを差し挟む余地はない。

日本人は、このことさえも水に流してしまうのだろうか。わたしが訴えたいのはそこである。昔のとは言っても、たかだか60年前の話である。このことは親から子へ、そして子から孫へときちんと伝えていかなければならないことではないのか。

なぜなら、暴虐の限りを尽くした者たちは、今は日本経済の2割を支配する富を築き上げたと豪語はしても、その富が果たして何から生まれたものかについては決して語ることはないからである。無一文でこの国にやって来たはずの彼らが、わずか半世紀の間になぜ斯くも莫大な財を成しえたか。それは、敗戦のどさくさに紛れて土地や動産の略奪を行ったからである。
彼らの財産なるものの出所をずっと辿っていけば、必ずあの終戦時の大犯罪に行き着くのである。

今、わたしたち日本人は、どれほどお人よしでばかかを彼らに試されているのである。二度までは彼らを許した。しかし、三度目の参政権付与についても、過去の暴虐を忘れて仏のような笑顔で与えてやろうというのか。もしもそうだとしたら、日本人に本当に必要なのは徳ではなくて記憶力なのではないだろうか。