国家の品格

2010/01/07 22:45

日記の中で何度か取り上げたが、「国家の品格」は、わたしにとって道標とすべき本である。その書き出しに著者藤原正彦氏の実体験に基づく考えが述べられている。

氏は30歳前後の頃アメリカで教鞭を取っていた。そこで感じたのは、アメリカではすべてが論理の応酬でものごとが決まっていくということであった。アメリカのような多人種国家においては、そのようなやり方以外には国家統一の方法がないからである。誰もが論理に従い行動するので、たとえ議論に負けても根に持つようなことはなかった。

氏は、このことを非常に爽快なことと感じ、帰国後にそれを実践してみた。
教授会などでは自分の意見を強く主張し、反対意見には容赦ない批判を加えた。改革に次ぐ改革を声高に唱えた。アメリカでは改革は常に善だったからである。しかし、氏の言い分は結局は通らず、会議で浮いてしまうことが重なった。

数年間は、上のようにアメリカかぶれだったが、次第に論理だけでは物事は片付かない、論理的に正しいということはさほどのことでもない、と考えるようになった。数学者のはしくれであるのに、論理の力を疑うようになった。そして、「情緒」とか「形」というものの意義を考えるようになった、とある。

そんな頃、40代前半に、イギリスのケンブリッジ大学で1年ほど暮らすことになった。そこの人々はニュートンの頃と同じ部屋で、同じような黒いマントをまとって薄暗いロウソクのもとで食べることに慶びを見出すほど伝統を重んじていた。論理を強く主張する人は煙たがられ、以心伝心や腹芸さえあった。
そこでは論理などより、慣習や伝統、個人的には誠実さやユーモアの方が重んじられていた。
帰国後、著者の中で論理の地位が大きく下落し、情緒とか形がますます大きくなった。ここでいう情緒とは喜怒哀楽のようなものではなく、懐かしさとかもののあわれといった、教育によって培われるものであり、形とは主に、武士道精神からくる行動基準である、とある。

英国は日本と非常に良く似た国である。第一に島国であり、ドーバーの向こうのフランスとは何度も戦争を行っている。また、長い伝統を持つ君主国である。アイルランドという非常に厄介な問題を抱えている。

上のような、地勢上もまた歴史の上でも日本と対称の関係にある英国は、その国民性においても日本人の気質と良く似た部分があっても別段不思議ではない。

わたしは、歴史というものが人を磨くのだと考える。時間の経過というものは、何にしろ物を丸くソフィスケートする力を持っている。

飛躍するようだが、たとえばウィルスがそうである。流行の始めはヒトの免疫力と抗い、ヒトを消耗させ宿主共々滅びてしまうが、そのうちにその尖った角をだんだん丸くし、ヒトと共生を図るようになる。

歴史を川の流れに喩えるなら、若い国家は急峻な川の上流であり、そこには少数のごつごつした固い岩や大きな石しか見当たらない。しかし下流に進むにつれ、石は小さく丸くなり、海も近くなると砂粒のようになっていく。

英国も日本も共に、伝統という時の流れに磨かれた人々の国家である。米国のような若い国とは人々の身についたものの重みがまったく違う。わたしたちの日常の立居振る舞いにも知らず知らずのうちに歴史の重みが滲みこんでいる。その歴史の重みが、若い青臭い論理を煙たがり遠ざけるのである。

特に政治や経済など国家の利益を左右するような局面においては、単に論理に頼るのではなく真に歴史というものの重みの滲みこんだ決断、態度が国を救う力になるのではないかと考える。

そのためにも、国家を担おうとする気概のある者はこの国の歴史を大いに勉強し多くの先人たちの知恵と行動に学ぶべきである。