相対性言葉理論

2010/03/29 10:47

相対性言葉理論(または看板の架け替え)

形而上学という言葉があります。英語で言えばメタ・フィジクスです。これは、アリストテレスの残した大量の著作を分類するときに、形而(フィジクス)について書かれた本の上にあった著作として分類したのが始まりとされます。
この例は、本のジャンル分けをするのに最初はただその物理的な位置によっていた。しかし、たまたま偶然だったのかどうか、調べてみると、内容的にもフィジクスよりもさらに深い真理について書かれているものであることが分かった。
したがって、メタ・フィジクスは内容的にももともとの意味からもフィジクスの上に位置するものと捉えることができます

また自然界には、電気の+と-とか、磁石のNとSとか、互いに対立する言葉があります。しかし不思議なことに、+と-にしてもNとSにしても対立する言葉とは言っても、実際には反発しあうどころかお互いに引き合います。磁石の場合は、電気と違ってNとSが独立して存在することさえない。NとSとでワンセットなのです。
もう少し追求するなら、+を-と呼び、-を+と呼ぶことにしても何ら変りはありません。この二つは相対的な関係だからです。しかし、この場合にはNとSも同時に呼び方を変えてやる必要があります。

それでは、保守と革新の場合はどうでしょう。これらは反語なのでしょうか。対蹠する言葉なのでしょうか。反語だとしても、少なくとも上下の関係ではないようです。そして磁石のNとSのように独立しては存在できない言葉のようにも思えます。

わたしには、極めて単純に言うなら、この二つは守ろうとするものと壊そうとするものとの違いのように思われます。それでは、保守は何を守ろうとし、革新は何を壊そうとしているのでしょう。

それについて述べてみたいと思います。
まず、私が思う保守というのは、日心会の多くの方のそれと格別な違いはないと考えています。

ただ、敢えてわたしなりの言葉で披露させてもらうなら、わたしたち人間というのは、進化によって大きな大脳皮質を獲得したときから父や母を、不幸にして父母を知らない者であれば祖父母やあるいは種族の長など自分に愛情を注ぎ育ててくれた者たちを敬愛し、それらの者たちが亡くなってしまった後も、その感謝と尊崇の念を自らの後代に伝えたいと思うようになった。それが形となって現れたのが墓だと思います。
ですから、これは何も日本人に限った事ではありません。祖先を敬うことは人類普遍の財産というべきものです。これを保守の原点とするなら、人間である限りは誰しも、たとえ狂信的な革命主義者であっても保守的な要素を持っているということになります。

これに対し、革新というのは、いわば無から有を生み出そうという考え方です。過去をことごとく破壊し更地にして、そこから新しい明日を生み出そうという「過去を破壊しリセットしてやり直したい者たち」にとっては理想的な政治思想なのです。

ところが、どう考えても無から有など生まれるわけがありません。それは、わたしたちの脳の構造をみても明らかです。わたしたちの脳には脳幹があり、その周りには爬虫類脳があり、さらにその外には哺乳類の脳があり、さらにそれを覆うように大脳新皮質と呼ばれる人間だけが持つ巨大な脳の領域があります。

進化と革命というのは、英語にしてみるとその字面はよく似ているけれども、進化は革命とは違って、決して過去を、はるか昔の人類であった以前のご先祖様をも蔑にはしていないのです。
革新というのは、まったく過去に依拠しない思想であるのに対し、保守は過去、すなわち文化や伝統を大切にしようという極めて穏やかな思想です。

そしてわが国の場合は、わたしなどが口にするのは不敬の誹りを免れませんが、天皇陛下がいらしてくださる。陛下は、このような文化や伝統の永続性の象徴で在らせられるとともに、わたしたち細石たるすべての国民が心を一に統合して巨大な巌となり永く栄えるよう常に祭祀を通して祈っていてくださる。このような素晴らしい国の在り方を守ろうとするのが保守であると、わたしは信じています。

現状においては、確かに「保守」には世間一般に浸透してしまった「暗くて悪い」イメージがあるように思います。それとは反対に、「革新」には、明るくて清々しいなどといった、わたしたちから見れば幻想には違いないのですが、何か未来志向的なイメージをもって捉えられているように感じます。しかし、それこそが現状が左傾化してしまっている証拠であるのです。

わたしたちは今、革新勢力が何十年もかけて貶めてきた保守のイメージを何とか正常に戻そうと努力しているのではありませんか。その長期的戦略の一翼を担うのがわが日心会であると考えています。

彼らが何十年もかけてやってきたことを、今ここにきて急に押し返すことは容易ではありません。しかし、これまではそういう努力さえしてこなかった。いわば、事大主義によって今日の地位に甘んじてきたのです。
今は力を合わせてやるしかないのです。この素晴らしい日本を守るために。