SSSタイムフライト

2010/04/13 18:03

タイムフライト

天才科学者X博士は、ある日時間飛行の理論を完成させた。彼は、この宇宙は巨大かつ精緻なコンピュータそのものであり、時間を行き来することはパラドックスにはならないとの結論に達した。これは、いわゆるマルチユニバース理論とは違い、一つの宇宙がより安定した状態、すなわち完成形を目指して試行錯誤を繰り返しているという考えに基づくものであった。

「宇宙は、ある安定した状態を目指して無限のフィードバックを繰り返している。この宇宙は当初、人間の誕生を予定していなかった。しかし、人間の存在が宇宙の安定に欠かせないものと分かると、宇宙は人間を誕生させることにした。わたしが生まれ、タイムマシンを発明することも当然に予定されていたのだ」

X博士は、銀色に輝くマシンを前に無二の友人でライバルでもあるO博士に熱く己が理論を語った。もっとも、X博士ほどの怪異的頭脳の持ち主がO博士をライバル視していたとは思えない。またO博士を友と思っていたかどうかも疑わしい。しかし、O博士がX博士に対して上の感情をもっていたことは確かである。

O博士は、銀色に輝くチタン製のタイムマシーンを目の前にしても、まだX博士の理論を信じてはいなかった。
「でも、君。君の理論が本当に正しいなら、未来からちっともタイムマシーンがやってこないのはいったいどういう理由によるものなのかね」
O博士は、X博士とは目を合わさずに、つやつやした大きな卵形のマシーンの肌の感触を楽しみながら言った。
「それをこれから確かめに行くんじゃないか」
短気なX博士は、スライド式のドアを開けると中に入った。
すぐにマシーンが唸りを上げ始めた。O博士は驚いてマシーンから飛びのいた。
「き、君。本当に行くつもりなのか」
しかし、その声は今や巨大な銀色の蜂の巣になってしまったかのようなマシーンの唸りにかき消されてしまって、O博士自身の耳にさえ届かなかった。
数秒間ほど、マシーンは透けたり元の銀色に戻ったりを激しく繰り返した末、とうとう消えてしまった。

 

それからあっという間に20年が過ぎたが、X博士が再びO博士の前に姿を現すことはなかった。O博士は実験が失敗したものと思いずっと悲嘆に暮れて過ごした。
良きライバルと共に生きがいも同時に失い、O博士はすっかり老いぼれてしまった。蓬髪は雪の如く白くなり、また髪と同様に真っ白な髭も伸び放題、顔は日に当たらないせいで青白かったが、毎朝の散歩だけは欠かさなかった。

時代も大きく変っていた。一時は核軍縮へと進んだ世界だったが、ほんの10年で元の木阿弥になるどころか、核の拡散が一挙に進み、ほとんどの国が核とその運搬手段を容易く手にしてしまった。
一方、エネルギーや食料や水を巡る争いは各地で絶えなかったから、世界中の人々はいつ大規模な戦争が起きても不思議ではないという不安の裡に生活をしていた。

そんなある日。O博士は杖を片手にいつもの散歩をしていた。昨夜の雨は上がり、桜の花びらが水溜りや池の縁に集まり、水は青い空を映しだしていた。散歩には気持ちの良い朝であった。

突然、そのO博士の肩をぽんと叩く者があった。O博士は、驚いて後ろを振り返ったが、驚いた割にはその動作はひどく緩慢であった。
「はい」とO博士は、その若々しい活力に溢れんばかりの男を見上げて答えたが、まったく心当たりがなかった。「はて、どなたでしたかのぅ」
「O君。忘れたかね。俺だよ、Xだ」
男はにこにこしながらそう答える。
O博士も、そう言われてようやく焦点が合ったかのように、20年前の記憶がよみがえってきた。
「・・・X。き、君か。本当に君なのか。・・・す、すると、あの実験は成功していたのか」
O博士は、二重の驚きのために、それ以上の言葉を失ってしまった。

それから、X博士とO博士は20年ぶりの旧交を温めるべく、近くのクロノスという喫茶店に入った。もっとも、X博士にはもとより20年ぶりという感覚はない。本当に20年が経っていたとしても彼のような男にはそんな感覚はなかったろうが、実際、彼にはほんの10分ほどしか経っていなかったのだ。

湯気の上がるアールグレイティーを前に老齢と壮年、二人の男は会話らしきものを交わしていたが、傍から見ていても、ちぐはぐ感は否めなかった。まったく歯車が噛み合っていなかったのだ。

O博士は再会を喜び、過ぎ去りし日を懐かしんでいる。しかし、X博士の方は、そんなO博士の態度にいらだちを募らせていた。

そうして、弾まない会話が進むに連れて、X博士の焦燥感はついに覆い隠せないほどになった。

「しかし」とX博士がついに不安も露にきりだした。「君は、そんなに僕を懐かしんでくれているようだが、あの実験以来、君は僕に会うのが初めてというわけじゃないだろ」
すると、O博士がここにきて初めてX博士の不安の正体に気がついたように、口をあんぐり開けた。
「・・・いや、初めてだ」自分でも驚くような乾いた声だった。
「そ、そんなばかな」X博士の顔は死刑を宣告された者のように蒼白になった。「しかし、なぜなのだ」

突如、その答が不気味な電子音で告げられた。ビー、ビー、ビーという断続的なアラーム音とともに、近くの客の携帯電話やあらゆる電子機器のディスプレイが赤く点滅を始めたのだ。
客の一人が大声で叫んだ。

「た、大変だ。戦争が始まった。もうすぐ、ここにも核ミサイルが飛んでくるぞ」