神の領域

2010/05/09 19:26

神の領域

以前に「神と脳」というのを書いた。人間の脳には、顔細胞という人の顔のみに反応する細胞があることが分かっている。また、手の形や動きに反応する細胞もあるらしい。こういったことから、信仰心というようなものも、脳にこれを起こさせるような、つまり神を感じる細胞とか領域があって、これが刺激されることによって生じるのではないかといういわば仮説を唱えたわけである。

これの根拠として、ある敬虔な某宗教の信者の話をした。
この信者は脳腫瘍のために脳の一部を摘出することになった。手術は無事終わり、信者は日常生活に復帰した。しかし、教会にはちっとも顔を見せなくなった。ある別の信者がこの信者にどうして教会に来ないのかと訊ねたところ、「神など存在しないのに、なぜ行く必要があるのか」と答えた。

脳は、人間の行為の源泉である。知的活動といわれるもののすべてがここからの指令によりなされる。その一部に神を認識する領域が本当にあるとするば、これは、人間とはやはり神に特別に選ばれた生き物であることの証拠ではないか。

わたしは、この神の領域といわれる部分について、それは子の親に対する情を起源とするものであろうと書いた。

「幼子にとって、自分を創りだした母親は神そのものである。その母親を想う気持ちが神に対する畏敬や愛情に姿を変えたとしても何ら不思議はない。
また、母親を想う気持ちが父親や祖父母、そして曽祖父母さらにはもっと遠い先祖を敬う気持ちへとつながっていくのは、むしろ自然なことである」

しかし、世の中には無神論者といわれる人も存在する。その定義は、実は思うほど簡単ではないが、ここでは仮に神の存在を頑なに否定する人のこととしておこう。
こういった人たちというのは、その生きる糧を神に求めないわけであるから、結局は科学や自然に求めるか、あるいは虚無主義に陥るしかない。

たしかに神の存在を否定しても、その日常の生活にはなんら不便を生じない。いや、むしろ自己を律する必要もないわけであるから、敬虔な○○教徒などといわれる人々に比べればはるかに自由気ままであるに違いない。
しかも、こういった者が、何らかの理論や衆愚に力を得て、権力者、独裁者になったとき、いったいどのような事態が出来するか、それはスターリン毛沢東を例に挙げるまでもなく明白である。

キリスト教イスラム教などが奉じる唯一絶対の神を信じるでもなく、また仏教のように苦行によって悟りを開くという自立的な態度も持たない、殺生などという言葉ももちろん知らない、つまり、畏れというものとまったく無縁なこのような者たちが絶大な権力を手に入れてしまったとき、人々はいつも未曾有の災難に見舞われてきた。

幸いなことにわが日本は八百萬の神が在す国である。しかし、これだけの神が在すというのに、無神論者がなお多く存在することも事実である。

実は、わたしは、今日「皇室消滅」を読み終えたばかりである。
この国に存在する無神論者とは、たとえば、園部逸夫最高裁判所判事のような者をいう。この男は曲学阿世の徒であり、詭弁を弄して日本を危殆に導こうとする危険人物である。そして、おそらく、如何に自分自身が危険であるかを知らない歩く火薬庫とでもいうべき人間である。

彼が1995年2月の「外国人地方参政権」の傍論に「朝鮮人については、法律をもって措置すれば憲法に違反しない」との余計な文言を付したがために、日本中が大混乱に陥いった。
それが今年になって、突如あれは間違いであったと声明しているのである。

わたしは、日記に次のように書いている。

今日の産経一面、外国人参政権 最高裁判決 「政治的配慮あった」。
園部元判事 一般永住者付与を批判
この記事を読んでつくづく思ったことは、最高裁判事とは所詮この程度の見識しか持ち合わせない人たちなのかということであった。
この記事は、園部最高裁判事らが平成7年2月に下したいわゆる外国人参政権に関する最高裁判決の傍論部分に焦点を当てたものである。この傍論について、園部元最高裁判事は、産経新聞に対し「(在日韓国・朝鮮人を)なだめる意味があった。政治的配慮があった」と明言しているのである。

この人物、最高裁判所判事を務めたばかりではなく、小泉政権下では皇室典範における有識者会議の座長代理を務めている。
このような人物が座長代理の有識者会議とは、「如何に皇室典範を改悪し、よって日本を解体していこうと企てている」ものであることは推して知るべしだが、その「皇室法概論」には、次のような恐るべきことが書かれている。

1.「天皇の自由意志によらない廃立であっても、象徴性・世襲制に反しない場合もありえないとは言えず、直ちに「違憲」とはいえない」(462頁)
2.「皇嗣は自らの意思により皇位を継承しないという選択を行うことが可能」(57頁)
3.「憲法第二条の世襲が女系による継承を含むか否かについて・・・・・・結論を言えば女系を含むと解する」(41頁)

この男の意図は、皇室を廃絶し、最終的には日本を共産党国家にすることにあると言ってよい。まさに神を畏れぬ、神を知らぬ者の所業である。

皇統は2600年を越す永きにわたり、男系のみにより継承されてきた。このような伝統を、たかが一介の裁判官風情によって途絶えさせるなどということが果たして許されるものであろうか。

園田逸夫やその他、無神論者たちに問いたい。あなたがたは、たとえば能のシテ、あるいは歌舞伎役者の前に進み出て、上の暴論を吐いてみる勇気はお持ちか。あなたがたは、いったいいかなる権能を持って、世界に誇るべき、最も永きにわたる皇統の歴史を断絶させようとするのか。

もう一つ訊いておこう。あなたがたは、園田氏が反省の弁を公にせざるを得なくなった余りに軽薄な先の傍論のように、皇室の消滅がこの国の将来に後顧の憂いを残さぬと明言できるのか。

今、この国の無神論者たちが極めて巧妙に、わたしたち国民の目を欺きながら企図していることが本当に現実のものとなってしまえば、この国からはすべての神が消え、いや神に祈る行為そのものが禁止され、たとえ滅びはしなくとも、ほんの僅かな期間のうちに退廃に塗れたソドムの市に変わってしまうであろう。

人間の心から神の領域がなくなれば、いかに高層ビルが林立しハイウェイが張り巡らされようと、それは茫漠たる砂漠が広がるのと何ら変わりはない。

このような国では、人は、たとえエミールのような教育書を書こうと、多くの知的障害者を妊娠させ、平気でその子を孤児院に捨てるような、ジャック・ルソーのような下劣な偽善者に成り下がっていくだけであろう。