心臓と寿命について

2010/05/28 22:25


AEDが普及してきている。最近では空港や駅、学校、その他の大型公共施設には大抵設けられている。
AEDは、主として心室細動を起こした心臓(ぶるぶる震えているだけで、血液を送ることができない状態)に電気ショックを与え、除細動するものである。
心臓が心室細動を起こした場合、救命できるかどうかは偏に除細動できるまでの時間にかかっている。数分以内に電気ショックを与えることができなければ、救命率は著しく低くなる。脳に酸素が送れなくなるからである。

心室細動とは別に心房細動というのもある。これは直接命に関わることは少ないのだが、心臓が一時的にせよ機能不全を起こしていることには違いはない。特に高齢者でお酒をよくきこしめす人は注意が必要である。
長島茂雄元巨人軍監督は、心房細動が原因で脳梗塞に罹ったと言われている。心房細動の場合、血液が心房のなかで淀み、血液が凝固しやすくなるのだ。凝固した血片なりが脳の血管で詰まると脳梗塞になる。

心臓というテーマで書き始めたが、浅薄な医学知識をひけらかすつもりではない。本当に書きたかったのは、心についてである。
心臓は心の臓器という名がついているが、本当に心臓に心があると思っている人はまずいないであろう。
心を定義することはそう簡単なことではないが、あなたの心は体のどこにあると思いますかと訊いたら、小学生でも頭とか脳と答えるに決まっている。

では、なぜ心臓は心の臓器と命名されたのか。いや、これはおそらく逆で、なぜ心は、心臓という臓器と関係付けられたのか。
子供のようなことを訊くなと怒られるかも知れないが、わたしは最近赤ちゃん還りが激しくて、いつもこういう類の疑問を自ら提起しては自ら考え、答えるという悪癖に陥っている。

胆力というのもあるが、胆嚢の大きい人が胆の据わった人とは思えない。
腎虚というのは、いわばミッション・インポッシブルのことであろうと思われるが、腎臓とそのミッションの間に何らかの関係は見出せそうにない。そのミッションについては詳しくは語らないが、決して聖なるものでないことだけは言っておこう。

心臓に話を戻せば、心臓に毛が生えているとか、蚤の心臓という言い方もある。心臓が度胸や他者への思い遣りや情熱を表す場合にしばしば使われるのは、やはり人間の感情と心臓の拍動との間に密接な関係があるからに違いない。
小心な人は、文字通り心臓が小さいか心臓の機能が弱いかであろう。だから、些細なことですぐに動揺して心拍数が増えるのだ。
何があっても心一つ動かさないというような人もいる。人生を達観しているのかもしれないが、それよりもやはり生まれつき心臓が大きいせいではないか。

ところで、1分間の心臓の鼓動数、つまり脈拍についてだが、大きな動物ほど少なく、小さくなるにつれて多くなる。これは、人間を考えてみてもよく分かる話である。生まれたての赤ちゃんの脈拍数は140ほどもあり、これは大人の倍にもなる。
また象の脈拍数は40くらいと言われている。ハツカネズミなどは何百回というレートである。
参考までに、人間の最高脈拍数は220ほどで年齢と共にこの数字は減少する(220-年齢=その年齢での最高心拍数)。スポーツ選手の運動能力が齢をとるとともに衰えていくのは、この心臓の能力の減少と大いに関係がありそうだ。

一般的に大きな動物ほど寿命が長く、小さい動物は寿命が短いが、これは心臓の脈拍数と関係があるかも知れない。というのも、これはわたしの連想なのだが、ギリシア神話には運命の女神というよくできた話がある。その女神は実は一人ではなく、三人姉妹(モイライという複数形)なのである。まず、人の運命を自らが織り成す糸から選び割り当てるラケシス。そしてその糸を紡ぐクロトー。そして最後にその糸を断ち切るアトロポス

この中で、アトロポスの役割はお分かりのように人間の寿命を決めることである。つまり、アトロポスの切った糸の長さ分だけしか人は生きることができない。
戦場では、自分の名前の書かれた弾が飛んでこない限りは死なないという。これはまぁ冗談ではあるのだが、これが心臓には予め決められた心拍数があるのではないかという、非科学的な発想をわたしに呼び起こさせるのである。
例えば、ある人の心臓には生まれつきアトロポスにしか見えない数字で2207521234と刻まれている。この人はおよそ70歳で死ぬことになる。

糸といえば、遺伝子の末端にはテロメアというのがあって、これは細胞の老化と密接な関係があると言われている。細胞はがん細胞を除いて、分裂できる回数が制限されており、この上限のことをヘイフリック限界という。このヘイフリック限界を決めるのがテロメア(これもギリシア語)といわれている。

どうだろう。こうしていろいろと連想や妄想を交えながら考えていくと、わたしなどは、神話とはいえ大変科学的によくできた面白い話だなぁと、ついつい感心してしまうのだが。