永遠の0

2010/10/08 17:00


プロローグとエピローグがつながりこの本が完結する。そこに永遠の零が生まれたということになるのだろうか。
プロローグ、そしてエピローグには米空母タイコンデロガ上の5インチ高角砲兵が迫りくる鬼神のようなゼロ戦の体当たり攻撃に慄然とするシーンが描かれる。
読者は、プロローグを読んだだけでは勿論全体のプロットなど分からない。しかし、この小説がいったい何を書こうとしているのかだけは明瞭に知ることができる。

「永遠の0」とは、架空のゼロ戦パイロット宮部久蔵を主人公とした太平洋戦争の物語である。平成も22年となった今、あのような戦争があったことさえ知らない人たちが増えている。それはそれでいいのかも知れない。この先、100年の後も日本人が太平洋戦争のことを憶えている必要はないであろう。その100年の内にあの戦争さえハレーションの影にしてしまう戦争が起きないとも言えないのだから。

しかし、日本人が決して忘れてならないのは、あの戦争では特攻という十死零生の攻撃法が取られたということである。永遠の0は、主人公宮部久蔵の生き方と死に様を通して、生きることと家族を守ることの大切さを教えてくれるものである。そして、同時に死を賭しても闘わねばならぬときがあることも教えてくれる。

太平洋戦争では数々の作戦が遂行された。真珠湾攻撃はその緒を飾るべきものであった。しかし、山本長官が宣戦布告が必ず攻撃の前に成されるよう念を押していたにも関わらず、結果的にはワシントンDCにあった日本大使館の不手際?により、米政府にこれが手交されたのは攻撃後一時間を経過してからであった。この不手際がどういう理由によって起きたかは依然として謎のままである。しかし、この僅かな遅延により、その後の日本の運命が大きく変わったことは明々白々である。なぜなら、当時のアメリカはモンロー主義に浸っており、他国と戦争をするムードではなかった。それが「卑怯な日本軍の騙まし討ち」に遭い真珠湾が壊滅的被害を受けたとのプロパガンダにより、一挙に日本との開戦止むなしとのムードに変わってしまったからである。「リメンバーパールハーバー」の掛け声の下、全アメリカ人が一丸となってしまったのである。

真珠湾攻撃は、一見日本の大勝利のようにも捉えられるが、実は老子の「福は禍の伏すところ」の言葉どおり、その後の日本の運命を大きく禍へと導く序章だった。
また真珠湾後に執られた作戦の多くも成功半ばで挫折したり、あるいは僅かな判断の誤りや逡巡により大きな失敗を期した。その結果、多くの将兵が水漬く屍となり、あるいは陸軍部隊を餓死させた。
そしてその真の敗因がどこにあったかも明らかにされることのないまま、奇妙なことに敗戦の将の多くは出世を遂げた。降格もされず、戦役を引くこともなかった。曰く、当時は皆が揃って敗将だったからである。
また、高級士官の多くは敗戦後も生き残り、そのコネにより良い職にありついた。

人間とはつくづくも浅ましいものである。部下には必死の作戦遂行を命じても己の身は決して危険に晒さない。こういう者たちが日本の軍隊の上層部には多くいたのである。

しかし、この本が告げるように、当時も若者は純粋であった。身体、頭脳共に優秀な若者達が挙って軍隊に入り、その一回だけの命を国家に捧げて敵と戦った。
これは勿論、日本の若者たちだけに限ったことではない。映画メンフィス・ベルなどを見ても分かるようにアメリカの若者達もまた命を賭して闘った。彼らは、軍事目標だけを爆撃するために敢えて敵地ドイツ上空で雲が切れるのを待った。勿論、その間、ドイツ軍は絶え間なく高射砲を撃ちまくる。機体は凄まじく揺れる。彼らは恐怖に身を強張らせながらも、今すぐ爆弾を落として帰路につきたいという誘惑に駆られながらも、無差別に民間人を殺戮するという非道を避けようとする。これがこの映画(実話に基づくという)の味噌であり戦争美談でもあるのだが、要はアメリカの若者たちも日本の若者と同様に勇気と自尊心を持って戦っていたのである。ただ、そのアメリカも最後には東京に焼夷弾を落として10万人を焼き殺し、またヒロシマナガサキに原爆を落として何の咎もない21万もの日本人を殺した。

日本の若者達は特攻という己を犠牲にした攻撃を行った。その数は優に四千を超える。特攻は確かに恐るべき非道の攻撃ではあったが、それは決して民間人を相手にしたものではなかった。非道とは、攻撃する側の搭乗員の人間性を全く無視したという意味においてである。
改めて言う。特攻とは十死零生の攻撃法である。志願して特攻に臨んだ者は必ず死ぬ。これほど人間性を踏みにじった残酷な死を命令されながらも、彼らは家族や愛する者たちの無事と祖国の弥栄を願い死んでいった。
日本人は、決して残酷な民族ではない。しかし、仮に僅かでも残酷さがあったとしたら、皮肉なことにそれは外にではなく内に向かったと言えるのではないか。

特攻を産んだという大西中将は、終戦の日に割腹して果てた。宇垣纏は終戦を知りながら最後の特攻隊を設え、それに無理やり乗り込み、死なずとも済んだ若者達を自死の巻き添えにした。彼らは、しかしまだましな方である。多くの部下を死なせながら戦後をのうのうと生き延びた高位の者達が多くいる。いわゆる戦犯にもならず、戦後のこの国の枢要な職に着いた者さえいる。その多くは奇妙なことに海軍に偏っている。

わたしは思う。戦争に正義や美を求めるのがそもそも間違いであると。
あの戦争は最初から最後まで間違いであったのだ。
しかし、全く救いがなかったとも思わない。それは特攻隊を始めとする多くの若者達の犠牲の精神である。わたしが思うに、これこそがあの戦争において唯一日本人が誇りとすべきものであり、敗戦後の日本人の矜持を辛うじて支えたものなのである。