昨日の続き

2010/11/06 19:18


さて、昨日の続きを書くことにしよう。

昨日は、カテゴリー認識というものについて書いた。日本人の苦手なrとlの聞き取りも、このカテゴリー認識が邪魔をしているせいなのだと、ある本から仕入れた知識を小売してみたのである。

それでは、右と左についてはどうか。右と左という概念は絶対的な物理的位置関係を示すものではない。なぜなら、テーブルの上に英和辞典と和英辞典があったとしよう。「英和辞典は和英辞典の右にあります」と誰かが言ったとする。あなたは即座にその位置関係を把握することができるだろうか。――その通り。話者の言う右とは、大抵話者の視点から語られたものである。その話者がどこに立っているかによって、当然に英和辞典と和英辞典の位置は異なってくる。これが例えば、地図上でA地点とB地点の位置関係を示すのであれば、右とか左といった言葉も不適当とは言えないかも知れない。なぜなら地図には、北半球のものであれば北を上にするというルールがあることは誰でも知っているからである。
ところで、絶対的な位置関係とは何だろう。勿論、地球上であれば、一般的に東西南北という方位で示すのが絶対的な位置関係を示すと考えて良い。もっと厳密に位置を示すのなら、GPSのように北緯と東経で表す方法もある。

さて、前から告白している通り、わたしは方向音痴である。方向音痴の上に本物の音痴でさえある。しかし、確かにわたしは方向音痴ではあるが、地図が読めないわけではない。つまり、自分の現在立っている場所を中心にして目の前にある何かの目印と地図との方向をぴったり合わせないと目的地の方向が分からないというほどの方向音痴ではないということだ。ところで、音楽家の中には絶対音感というものを持つ人がいるらしい。このような感覚の持ち主は、わたしなどには想像も出来ないことだが、雨音でさえドレミに聞こえるらしい。これはおそらく、空間感覚で言えば脳の中にコンパスを持つ人と同じであろう。残念ながら、わたしにはこのような原始的感覚はない。しかし、空間に対する認識力がないかというと、決してそうではないと思っている。

昨日も書いたように、わたしは今井むつみ氏の「ことばと思考」という本を読んで、これがわたしの言語というものに対する考え方をかなり補強してくれているような気がしている。
上の絶対的位置関係と相対的位置関係についても、今井氏は次のような実験結果を紹介している。その実験とは、オランダとドイツの研究チームによるもので、実験に使われたのはオランダ人の大人と子供(オランダ語は相対的枠組みの言語である)。そして、もう一組の方は絶対的枠組みが主流(左右という概念を持たない)の言語(ナミビアのハイコム)を話す種族の大人と子供である。さて、実験の内容は極めてシンプルである。まず、テーブルの前に被験者を座らせる。そして、そのテーブルの上にコップを並べて置く。そして、この内の一つのコップに何か小さなモノを隠すところを見せる。次に別の場所に先ほどとはコップの配置は全く同じだが180度回転させた同じ形のテーブルを用意する。そして、被験者達に「先ほど隠したモノと同じモノが先ほど隠したのと同じ場所にあるので探してほしい」と指示するのである。
すると、その結果は次のようなものであった。ナミビアのハイコムを話す大人は絶対的方向が同じ位置、つまり自分から見て左右が逆になる位置のコップを選んだ。オランダ人の大人は自分に向かって右左が同じ、つまり絶対的位置が逆のコップを選んだ。子供達はどうかというと、7歳の子供では自国の大人たちと同じものを選んだが、4歳の子供ではどちらの国の子供も絶対的位置が同じコップを選んだという。
因みに、ゴリラやチンパンジー、オランウータンのような類人猿でも人間の4歳児と同じ、絶対的位置が同じものを選んだという。
ここで、著者が結論付けて述べているのは「ヒトも含め、動物全般に共有的に認識される認識は絶対的枠組みの位置付けであり、相対枠組みに従った空間位置の認識は言語によってつくりだされたものである、ということである。

わたしは、これはとても面白い知見であると思う。空間を常に移動しながら生きる動物にとって、位置の認識は死活的問題である。自分の巣がどこにあり、捉えた獲物をどこに隠したかが分からないようでは、その動物は絶滅してしまうであろう。あるいは蜜蜂が自分の見つけたお花畑の位置を知らせられなかったら、その蜜蜂たちは長くは生きられまい。

人間は言語を獲得することによって、より複雑な位置の情報を共有することが出きるようになった。右とか左という言葉は至って便利なものである。しかし、この至便なものも時には思わぬ大災害を引き起こしてしまうことがある。たとえば、最近タイタニック号沈没の原因に新たな説が加わったらしい。それは、操舵手が左右を間違ったからという俄かには信じがたいものである。しかし、昔の船には舵輪を右に切ると左に、つまり取舵に動くものがあって、タイタニックの時代にはまだ両方が混在していたそうなのである。このために、本来面舵をとらねばならないところを逆に取舵にとってしまったというのである。


さて、左右というのは、相対的な位置の関係を表す言葉であり、緑と青という色の関係と同じようなものである。この右左という言葉に象徴される保守とか革新という概念も極めて相対的なものであるという気がする。保守というのは文字通り、これまでの文化や伝統、さらには政治体制を守ることであると言うこともできるであろう。これに対し、革新とは旧いものを破壊し、新しい何かを生み出すものであると。しかし、それは所詮言葉の綾のようなものではないか。なぜなら、保守とはいっても多少は革新的な部分がないはずがなく、もしそうでなければ人間はすぐに退屈してしまうであろう。また、革新とはいってもいつもいつも破壊しては作り直し、作り直してはまた破壊するなどということを続けるわけにはいかない。余程エネルギーが有り余ってでもいない限り、そのような無駄はエコシステムに重大な負担をかけるだけのことだ。
しかし、なぜ革新が生まれ保守が存在するのかを考えてみると、現状に満足がいかず、今の有様を変えたいと考えているのがおそらく革新であり、逆に現状にある程度満足し、これを維持し守っていこうとしているのが保守である。
たとえば、明治維新。あれは、良く言われるように実は革命であった。江戸幕府という現状に不満を持った当時の下級武士たちが起こした反乱、それが明治維新であった。会津藩新撰組は、当時の幕藩体制の下では保守であった。彼らは当時いわゆる官軍だったのである。しかし、幕府が敗れると、彼らはたちまちにして賊軍となった。ここでまた話は少し飛躍するが、靖国神社の前身は招魂社と言った。これは、当時の反乱軍であった薩長が勝って、江戸城内で亡くなった同志達を鎮魂したのが始まりだという。そうしてみると、靖国神社とは言え、当時は反乱軍、いわば革命軍のための神社であったということになる。
わたしは、靖国を貶めようとしているわけではない。あそこには前の大戦をはじめ多くの英霊が祀られている。わたしは、だから決して靖国神社を粗末になどできない。
ただ、わたしが言いたいことは、左右という言葉が相対的なものであるのと同様、保守と革新も時代が変われば変わるということである。もちろん、その言葉の意味が変わるわけではない。革新であった者たちは、一度勝利を手にするとそれを守り抜くために保守へと変身しなければならなくなる。今のシナの体制がいい例である。彼ら共産党は今や明らかに保守層である。現体制を守ることに躍起になって、あの国には言論の自由さえない。
しかし、良きにせよ悪しきにせよ、こうして歴史というものが厚く積み上げられてきたのである。わたしたちが忘れてならないのは、今の体制の下には累々たる旧体制の屍と瓦礫が埋められているということであろうと思う。