精神の進化

2011/01/30 14:53


進化というのは環境への適応のことだという。たとえば、ヒラメやカレイのような魚の目は奇妙な位置に付いている。これも海底の泥の中に半ば埋まって、じっと獲物の到来を待つ彼らにとっては進化であるには違いない。
シュモク鮫(ハンマーシャーク)の目があのように飛び出ているのは、実は太古の昔、彼らの身体はあの目の位置に相当するほど巨大だったそうである。だが、獲物の数が減ったとか、おそらくその様な理由により身体のサイズだけが小さくなってしまい、彼らにとって重要な目の部分だけはそのまま残ったのだという。

いずれにせよ、進化を論じる場合には主としてその身体的変化に着目されてきた。しかし、当然にその肉体の変化と相俟って精神的な変化も生じているはずである。肉体と精神とは一体のものであるから、いずれか片方のみが変化するということはあり得ない。ただ、精神とは目に見えないものであるから、自然肉体上の変化ばかりに目がいってしまうのである。

人間の場合は、二足歩行によって脳の大容量化が可能になったと言われている。つまり、ヒトがホモ・エレクトスと言われる直立猿人になってから脳は飛躍的に大きくなったのである。これは、わたしに言わせれば肉体的進化と精神の進化の同時性を証明するものである。わたしには、ここにも肉体と精神の一体性が堅固に保持されているように思える。たとえば、あのアシモを例にとろう。研究者たちは、あのボディ(いくつものアクチュエータで構成される)に応じた歩行ソフトを開発したはずである。つまり、あのメカニズムに応じたソフトでなければアシモは存在しえなかった。

進化論に対する基本的疑問を呈するなら、その進化を生じせしめる環境的プレッシャーというもの、たとえば獲物の欠乏、気温の低下は、物質そのものではない。これは、物理的でもあり、また精神的なものと言ってもよい。したがって、進化のメカニズムとは、自然界の「精神」が肉体に影響を及ぼし、その結果生じた肉体の変化により、また精神が影響を受けるというシーケンスになっている。とするならば、進化とは自然の、つまり宇宙の「精神」が間接的ながら生物の精神に現れたものと言うこともできる。もちろん、人間の精神とてこの例外ではない。例外ではないどころか、宇宙を探求したり、あるいは量子物理学を発展させたりと、最も自然の精神を受け継いだ生き物と言えるのではないだろうか。
わたしたちの精神とは宇宙と渾然一体のもの、と思うのである。