砂上の楼閣

2011/03/13 12:29


今回の巨大地震マグニチュードがたった今8.8から9.0に修正された。千年に一度あるかどうかという大地震であったらしい。

千年に一度とはいうが、わが日本は2700年になんなんとする長い歴史を有する国である。現に西暦689年には貞観地震という今回の地震に酷似する地震があったと聞く。
今回の地震による被害の全容は未だ把握できているとは言えないが、わが国の歴史に刻まれたこの地震の教訓が活かされていれば、今回の津波による被害は相当に軽減されていたのではないだろうか。
上は、もちろん結果論である。しかし、今回の津波による被害が余りに甚大であるため、わたしは地震科学そのものの、そしてそれと政治や行政とのリンクの貧弱さに疑念を呈さざるを得ないのである。

つまりわたしは、いくら地震の専門家や権威が「実は三陸沖では貞観地震のような巨大地震とそれに伴う途方もない津波が千年に一回程度の頻度で起こる可能性があります」と政府に進言したとしても、99%そのような話は受け入れてもらえないだろうと思うのである。
わたしは、これを何も政治家や政府の問題に矮小化しているのではない。我が国には、長い誇るべき歴史がある。しかし、この国の民は、その歴史を学び、そこから教訓を得ようとはしなかった。
いや実は、我が国民は、かつては歴史を深く知り、そこから大いなる知恵を得ていたのである。

まもなく目標の634mに達するスカイタワーは、5強の震度にもびくともしなかった。その建築構造に芯柱を使った柔構造が採用されていたからである。これは地震国日本が誇る最高の木造建築物五重塔をモデルとするものなのである。
しかし、今衰退の一途を辿っているとはいえ経済大国となった日本は、いつからか、少なくとも災害の面において、歴史からもはや学ぶものはないと思うようになってしまった。いや、学ぶことそのものがタブーになってしまったのである。

しかし、何故禁忌となってしまったのか? それは、我が国が経済を、つまりお金様を崇め奉る国家と成り下がってしまったからである。八百萬の神々をではなく、金という唯一絶対の神を信奉する国家にとって、地震津波の対策はもはや経済活動を、ひいてはお金様を冒涜するものでしかなく、それは幾千、幾万の民を犠牲にしようとも排除するしかないのである。

このように書くと、それはいくら何でも言い過ぎだと思われるかも知れない。しかし、わたしたちが歴史を学ばなかったことは確かであり、現にわたし自身も貞観地震について今回の事態が起きるまで何も知らなかった。地震学者たちはこのことを良く知っていたではあろうが、本気で研究をしていたとは言い難い。いや、仮にそのような学者がいたとしても、今回のような地震津波の被害を予想し、その危険性を国家に進言することなどとてもできなかったであろう。
いや、万一そのような奇特な学者がいたとしても、今日の政府の中にこれを立法や行政に実践していこうとする政治家など一人としていなかったに違いない。つまりは、日本人の誰一人として貞観地震から、すなわち尊ぶべき歴史から何も学ばなかったのである。

いずれにしろ、わたしたち日本人が経済大国という名の砂上の楼閣の上に生きていることは間違いないのである。