死は生による最高の発明品である

2011/10/08 14:23

S・ジョブズは、スタンフォード大学の卒業生を前に「死は生による最高の発明品である」と説いた。わたしは、実はこの言葉を柳沢桂子さんの著書「われわれはなぜ死ぬのか」でも目にしたことがある。柳沢桂子さんは、生命科学者であり、その著書はずっと命を見つめてきた人の持つ深い洞察で満ちている。ジョブズもあるいは柳沢さんの本を読んだことがあったのかも知れない。

それにしても、なぜ死が生の最高傑作なのか。もちろん、生がなければ死も生じないから、死が生に付随したものであることは疑いない。では、なぜ生はその終わりに死などというものを設定したのだろうか。
今、設定と言ったが、その通り、死はDNAにプログラムされたものであることが分かっている。ジョブズの上の言葉は、このことを前提に語られたものである。死は、生の中にプログラムされたものであり、まさに生と一組の作品なのである。ジョブズはこれに最高のという言葉を冠しているわけであるが、おそらくこれに異議を唱える人は少ないであろう。なぜなら、わたしたちは、そのことを無意識のうちに、何となく知っているからである。

ジョブズは、スタンフォードの若い学生たちに、古いものはやがて新しいものに取って代わられる、その新しいものとは、今は君たちのことである、と説く。そして、その新しい君たちにしてもやがては次の新しいものに取って代わられる。なぜなら、死は世代交代のための、古いものが新しいものに道を譲る為に、生が発明した最高の作品だから。よって君たちは、今の生を本当に自分が愛して已まないもののために使いなさいと説くのだ

ジョブズのこの死生観は決して新しいものではない。むしろ人類普遍の英知と言ってもよいだろう。だが、ジョブズのような人がこれを言う、そのことに意味があるのだ。世界で最も資産価値のある会社を一代で築き上げた人物、その人が言う言葉であるから、わたしたちは大いに耳を欹てるのである。