思いやりについて

2011/10/29 10:51


思いやり。いつごろからだろう、この言葉に嫌悪にも近い感情を持つようになったのは。

記憶は定かではないが、おそらく例の思いやり予算あたりからではなかろうか。

思いやり予算とは、米軍駐留費の一部を日本側が負担するというものであるが、日本人の好きな思いやりという言葉を使うことによって、国内から噴出するであろう反発を抑えた、そういう意味では、誰がつけたか知らないが優れたネーミングであろう、と思う。
しかしわたし自身は、このような欺瞞によって、思いやりという言葉自体が嫌いになってしまった。

思いやりとは、強者から弱者へのプレゼントである、というふうにわたしは考える。もちろん、強者と弱者は絶えず入れ替わったり変化していくものであるから、強者と弱者の定義は、その一場面においてのものである。

だから、米軍へのいわゆる思いやり予算というのも、当時の米軍駐留費用の増大(円高などによる日本人従業者への給料負担など)を考えれば、米軍を弱者と看做すことも可能であろう。
だが、大抵の日本人は米軍を強大な軍事力と見ているから、この「思いやり」に違和を感じたことは間違いない。

ところで、日本の習慣とアメリカの習慣には大きな違いがある。その一つがプレゼントである。
日本にはお歳暮やお中元というものがある。これは、日ごろお世話になっている人に感謝を表すための習慣である、とわたしは考えているが、アメリカ人には奇異に映るらしい。なぜなら、「日ごろお世話になっている」のが、大抵会社の上役や取引先であるからだ。
ところが、アメリカではビル・ゲイツが財団を作って貧しい国や人々にチャリティを施しているように、プレゼントというのは強者から弱者へ与えられる。これが当然であり、日本のような、いわば弱者から強者への贈り物はへつらいの、あるいは賄賂のようなものと捉えられるらしい。

わたしは、言葉というものは時間の流れとともにその本来の意味を失っていったり、あるいは曲げられていったりするものであると思う。
先日の産経抄にもあるように、「情けは人のためならず」という俚諺を、情けを人にかけるとその人がだめになってしまうからかけてはいけない、と解釈する者が今日の日本には半分以上もいるのである。

言葉というものを疎かに使用し、あるいは援用し、それが人口に膾炙するようになってしまうと、いつか美しいはずの「思いやり」という言葉も本来の意味が捻じ曲げられ、弱者の強者へのへつらいのことである、と天邪鬼なわたしのように解釈する者が大半を占める時代がきても別段不思議ではないと思うのである。

追記:道元禅師に面白い話がある。ある日、孤雲懐奘(こうんえじょう)がこのような質問をした。「師匠様はなぜ、徹通義价(てっつうぎかい)に印可をお与えにならないのですか」
ここで、印可とは曹洞宗において悟りを開いた証明のことである。
すると、道元
「あの者は、大変に才能に恵まれてはいるけれども、老婆心が足りない。老婆心は大切なものだから、おまえも大切にするように」
と答えたと言う。

どうだろう。この頃(鎌倉時代)と今とでは、老婆心という言葉の意味合いが大分違ってきていることに気が付かされる。この頃の老婆心こそ、今で言う思いやりに近い言葉であったのだ。それが今は、老婆心ながら・・・などと前置きにするように、何か余計なことをこれから述べるけど許してね、と予め断っているかのようなニュアンスで使われている。

孤雲懐奘は道元の跡を継ぐが、その謙虚で道元を常に師匠とする姿勢は道元亡き後も変わらず、それは今も永平寺の次のような習慣として残されているという。

永平寺では承陽殿(道元の廟所)入口の扉を常に少し開けておくことが慣例となっている。これは現在でも懐奘が道元の廟所を見廻りに上るとされているためである。また、夜中の役寮点検(責任者の山内巡視)は懐奘と行き当たることのないよう、子の刻(午前0時)を外して行われているという。(wikiより)