「天才の栄光と挫折」を読む

2011/11/23 18:28


数学者の生涯について書かれた本を読んで涙を流した。涙に鼻水も混じって大変な状態となった。
これは大変な名著である。一人、数学者たちの栄光と挫折について書かれたものではない。その数学者を生んだ郷里や国の栄光や挫折にまで話が及んでいるのである。

読んでいたのは、藤原正彦氏の手になる「天才の栄光と挫折」である。特にハミルトン(ハミルトニアンで有名)やガロアの生涯を読むと瞼の内が熱くなり涙腺がついつい緩んでしまう。

ウィリアム・ハミルトンには、19歳のときから60歳で死ぬまで心の中に想い続けていた女性がいた。だが、キャサリン・デイズニーという名のこの女性は、父親の干渉により中年の牧師と無理矢理結婚させられてしまうのである。

ハミルトンはキャサリンが47歳で死ぬ際にも立ち会っている。キャサリンもまた、ハミルトンを生涯想い続けていたのである。
ハミルトンは、生涯かけて四元数理論を完成させた。しかし、当時それを理解できる者は殆どいなかった。マックスウェルはこれを利用して電磁波理論を組み立て、四元数の発見をデカルトの座標幾何に匹敵する業績と讃えた。

筆者はアイルランドを訪ね、彼の住んだ天文台四元数を発見したと言われるブルーム橋をタクシーで回った。
そのブルーム橋にはハミルトンを記念して次のような碑文が埋め込まれているという。

ここにて、1843年10月16日、ウィリアム・ハミルトンは、天才の閃きにより、四元数の基本式を発見し、それをこの橋に刻んだ。

i^2=j^2=k^2=ijk=i^2=-1

筆者は、「その橋の壁にそっと手を触れたときに、彼の人生における最大の歓喜が、指を通して電気のように私の胸にまで伝わった」と書いている。数学者ならではの感慨であろう、と思う。


筆者は大変にユーモアの溢れる人である。しかし、フランスについてだけは憤懣を露にしていて、得意のユーモアを発揮する余裕もない、という感じである。
フランスの数学者エヴァリスト・ガロアは、そのフランスの革命の時代に生まれ、そして革命の時代を過激に生き、二十一歳の若さで決闘に斃れた。
しかも、その業績は革命的に時代を超えていた。死後40年近くも経ってから、ジョルダンに「置換論」の中で「自分の仕事は、ガロアの諸論文を注釈したものに過ぎない」と言わしめるほどのものだったのである。

決闘の前夜、ガロワは唯一の友人であったシュバリエに最後の手紙を書いている。
「・・・これらの定理が間違っていないかどうかより、重要かどうかをヤコービーかガウスに公に尋ねて欲しい。そうすればいつか、このわかりにくい文章を読解し利益を得る人も現れると思います。さようなら。1832年5月29日。エヴァリスト・ガロア

これらの定理とは、今でいうガロア理論リーマン面の萌芽ともいうべきもの、だそうである。

天才のみが天才を知る。わたしが彼等の死に涙を流す所以である。