鎮男12

2012/06/03 14:25


「わいは、武藤明彦にはずいぶん前から注目しとったんや。明彦は、小学生くらいのころから既に数学界ではガウス級の天才少年として評判になっとった。そやけど、マスコミの手からは巧妙に逃げとった。それは、彼の父親が大のマスコミ嫌いやったからや。その辺がどうもすっきりせんのやけど、明彦の父親は、自分の息子が新聞やテレビに取り上げられることに異常なくらい嫌悪を感じとったらしい。彼はそれを、明彦が晒し者にされるいう言い方をしとった、いうことや」
ディスプレイの画面が変った。そこには、何か手書きの数式が映されていた。大学ノートにびっしりと書き込まれたそれらの数式の意味は、私にはまったくちんぷんかんぷんだった。ヒエログラフの方がまだしっくりきそうだった。
「彼がイギリス留学中に発表した数学上の発見を書き留めたものや」鎮男は、静かにつぶやくように言った。「彼のこの理論は、まだ正式には定説にはなっとらん。そやけど、わいには、この理論の正当性がよう理解できる。恐ろしいほどに緻密で美しい数式や。これこそまさにTOE(セオリー・オブ・エブリシング)や。これを完璧に理解できる人間は、世界広しといえども数えるほどしかおらんやろう」
「まるで、アインシュタイン一般相対性理論を唱えたときみたいやなぁ」私は、鎮男の顔を見て言った。
「いや、そんなもんやあらへん。これは、ほとんど神の領域にまで踏み込んだ恐るべきものや」
私は、何とも答えようがなかった。鎮男にどのように解説されようとも、この数式を理解することなど金輪際不可能であろうことだけはよく分かった。

アウトブレーク

その日のニュースを見て、私はついに鎮男の予言が成就されたと感じた。ついにアウトブレークしてしまったのだ。しかし、それは思いがけない始まりようだった。

「世界中で驚くべき犯罪が多発しています。これまで温厚でまったく犯罪傾向のなかった人物による凶悪な犯罪が、様々な国で次々と起こっているのです」髭の剃り跡がうっすらと残るニュースキャスターの顔は、心なしか青ざめて見えた。
「イギリスで、有名な物理学者が同僚を銃で撃ち殺すという事件が起きたのは、まだ耳に新しいと思いますが、本日、アメリカで高名な大学教授が学内で銃を乱射して多数の学生や教授が死傷するという事件が起きています。
また、今も報道していますとおり、ここ日本でも、脳外科医として著名な大野徹治氏が病院内にライフル銃を持って立て籠もっています。大野氏は、つい先ごろ、自らの脳腫瘍のためガンマナイフによる治療を受けたばかりとのことです」
テレビの中継は、都内のある大きな病院を映し出していた。その病院のあちこちに警察車両が赤色等を点滅させながら警戒している。
「大野氏は脳外科の権威ですが、今年の4月より自らも悪性の脳腫瘍を患い、この病院で治療を受けていました」
そう報道するニュースキャスターの手元に何かのメモが渡されるのが画面の隅に入った。
「新しいニュースが飛び込んできました。アメリカ議会下院のオズボーン氏が議会で小銃を乱射し、多数の死傷者が出ている模様です。詳しいことは、この後、随時放送していきたいと思います」
私は、そのオズボーンという名に一瞬耳を疑った。彼は、SF作家から政界へ転身を図った異色の政治家であり、私と鎮男が期待を込めて例の手紙を宛てて出した人物の一人だったからである。

私は、すぐに鎮男と連絡をとり、この件について話した。
「こうちゃん。彼がくれた手紙の内容を憶えとるか」
「いいや。忘れてしもうた。いったいどんな内容やったかいな」
「あの手紙には、暗号みたいにただ単語が羅列されとるだけやった。脳とか医療機器とか、宗教、火、洗脳、その他にも色んなわけの分からん単語がようけ並んどった・・・・・・」
「そういうたら、確かにそんな手紙があったなぁ」私は、その手紙のことを思い出した。しかし、そのときには、そのような手紙はそんなに多くあったわけではないけれども、単なるいたずらか、薬でもやっているときに書いたものとしか思えなかったのだ。だが、その彼が事件に巻き込まれたことが明白となった今、あの手紙がオズボーン議員の我々に対する極秘のメッセージであったことに疑問をさしはさむ余地はなかった。
「鎮男ちゃん、オズボーン議員は、明彦の計画について何かを掴みかかっとったんやろうか」
「おそらく、そうやろ。その結果、彼はスケープゴートにされてしもうたんや」
スケープゴートに・・・・・・」
「そうや。一種の見せしめや。おそらく、他にも彼のような人間がようけおるんに違いない」
「そやけど、なんか変やなぁ。何でやいうて、明彦が犯人やとしたら、見せしめなんぞという、そんな手ぬるいというか、悠長なことをやるやろうか」
「そうや。わいもそこは、どうもおかしいと思うとる。この事件には、何やら、もっと根深いもんがありそうやなと」