鎮男14

2012/06/03 14:27


「ロビーの雰囲気を見たやろ」
エレベーターが動きだすと鎮男が口を開いた。かごの中はわれわれだけだった。
「えっ」
「それに、地下の駐車場は、運転手付の特別な車ばっかりやったで」
「それは、ほんまか」
「気がつかなんだんか」
「いいや」
「政治家や自衛隊関係の車で一杯やった。わいは、この部屋を十日も前から予約しとったんやけど、昨日の夜、ホテルの支配人を名乗る男から、他の部屋に代わってもらえんかいう電話をもろうたんや。理由ははっきり言わなんだけど、恐らく政治家かなんかが今度の事態がらみで使いたかったんやろうな」
「そやけど、鎮男ちゃんは一体何が目的でこのホテルを予約したん」
「それは、見てのお楽しみや」

チャイム音とともにエレベーターの扉が開いた。すぐに目に入ったのは、右側の廊下に屏風のような衝立があって、その前にスーツ姿のがっしりした男が二人、こちらを向いて立っていたことだ。鎮男が予約したスイートは、反対側の端の角部屋だったが、そこまで歩く間、男たちの鋭い視線を背中に感じなければならなかった。
鎮男は、動じる様子もなく、カードをリーダーにかざした。電子錠が解除される軽快な音がした。
鎮男に続いて部屋に入るとき、私は男たちの方をチラッと横目で見た。何気ない風を装ってはいるが、明らかに彼らはこちらを観察していた。しかし、50を過ぎた男が二人、同じスイートに入っていく、その光景は誰が見ても奇異には違いなかった。

私は、冷や汗をかいていた。
「あの男たちはいったい何やろう」
扉を閉めるなり、私は鎮男に訊いた。
「分からんか」鎮男はあきれたように言った。「SPや。あの部屋の中には政治家がおって、今回の件で指揮を執っとるんやろ」
防衛大臣か?」
「おそらくな。――この件の始末しだいでは政権が吹っ飛ぶで」
「そやけど、それにしては静かなもんやなぁ」
「水の上は、いつもそんなもんや」
そう言いながら鎮男は、机の上にラップトップをセッティングしている。パソコンの隣にマウスと並んでジョイスティックがセットされた。
「そんなもん出して、いったい何をする気なん」
「実は、こうちゃんには内緒にしとったんやけど、大友飛行船にも協力をしてもろうとるんや」鎮男はパソコンの立ち上げに余念がない。
「えっ」私は、驚いて鎮男の横顔を見つめた。
「そねーにびっくりせんでもええがな。それより、ちょっと、窓のカーテンを開けてぇーな」鎮男は、パソコンを見たまま私に言った。
私は、苛立ちを感じつつも窓に歩み寄り、カーテンを開けた。さーっと、眩い光が部屋になだれこんできた。ごくごく間近に冠雪を戴いた雄大な富士の姿があった。カーテンは、このためにわざわざ閉めてあったのかと思わせた。
黒々とした森や薄茶色に冬枯れた木々、棚引く煙や飛び立つ鳥の群れなどが描かれた静謐な青紫色をした大富士の裳裾。その趣向を台無しにするかのように、自衛隊のヘリ十数機が相変わらず野暮なホバーリングを続けていた。
「なんや知らんけど、膠着状態が続いとるようやで」私は、鎮男の方に振り向いて言った。
鎮男は、私の言葉が聞こえないほどパソコンに集中していた。
「こうちゃん」
その鎮男がふいに私を呼んだ。私は、鎮男がパソコンのディスプレイを覗き込んだまま手招きしているのを見た。
私は、彼の傍まで戻って、そのパソコンのディスプレイを見た。
[盗聴されとる。あんまり彼らを刺激するようなことは言わんように]
私は、驚いて鎮男の顔を見た。
「何が起こっとるんか知らんけど、そのおかげでわいらの富士登山もお預けや。せっかく40年ぶりに会うて、長年の約束やった富士山へようやく登れる思うとったのになぁ」
一瞬、私は鎮男の顔を見て、ほんとにそんな約束をしたことがあったかと訊きそうになった。
「ほんまにしょうがねぇーなぁ。まぁ、今日は、窓からその姿を拝ましてもらうだけで辛抱しよう」
幸い、すぐに私の頭にも即興の台本が浮かんだ。
鎮男は、微かに笑ったように思えたが、再びパソコンに注意を集中し始めた。私は、椅子を彼の近くに引き寄せ腰を降ろした。

「なんや、それは」
いつの間にか、ディスプレイには航空写真らしきものが映っていた。それは、ごくゆっくりした速度で動いている。
鎮男は、黙ってパソコンに文字を打った。
[分かるやろ。こうちゃんとこの飛行船や]
「えっ」私は思わず声に出した。
鎮男は、唇に指を当て私をきっと睨んだ。
そして、彼は再びキーを叩きはじめる。
[この飛行船は、ここから自由に動かすことができるんや。いまこっちに着々と近づいとる]
鎮男は、キーを打ち終わると私を見た。
「窓の外の様子をデジカメで撮っとくんや。後でマスコミに売れるかも知れんで」
「そんなことをして、向こうの部屋からクレームが来るかも知れんで」私も鎮男に合わせた。
そうこうしているうちに、画面の航空写真は、御殿場付近に近ずいてきた。私は、思わず窓に駆け寄って周囲を見回した。
見えた。わが社の飛行船だった。横腹に青いディスプレイを煌かせながらゆっくり富士の方向に移動している。
「……」
私は、何かを言いかけて止めた。そしてすぐに何を言おうとしていたのかさえ忘れてしまった。
鎮男のところに戻り、パソコンを覗くと、[高度を上げ、遥か上空から現地を映す]との彼のメッセージが打たれていた。
私は、窓に視線を移した。飛行船は、水平を保ったまま急速に高度を上げていた。ディスプレイに目を戻すと、御殿場の市街が少しずつ小さくなっている。
そのときだった。自衛隊のヘリ1機が猛スピードで飛行船に近ずいてくるのが見えた。ヘリは、飛行船にローターが当たるほど接近すると、そのまま飛行船と同じ速度で上昇していく。これだった。私はこの懸念を口に出そうとしていたのだった。

それから数分後、私の携帯が鳴った。
会社の秘書からだった。
「私だ」悪い予感に身を固くしながら答える。
「社長。いったい今どこにいらっしゃるんですか」と言うその声は心なしか震えている。
「なぜ、そんなことを訊く」
「実は、たった今、ここに防衛省から電話がありまして、わが社の飛行船が自衛隊近傍の飛行禁止地域上空にあって作戦に支障が生じている。邪魔だから、即刻退避させろとのことでした」
私は、鎮男に目で合図を送った。
「分かった。心配するな。何とかする」私は、短く答えると携帯を切った。
私は、鎮男の傍らから片手でキーボードを打った。
[ひこうせんがじゃまだ、ぼうえいしょう]
鎮男がそれに答えて、キーを叩く。
[分かった。ただし、もう少し、時間を稼ぎたい]
鎮男は、飛行船のカメラの一つをヘリの方に向けた。ディスプレイは、今左右2分割になっていて、胴体右のカメラがヘリをはっきりと捉えている。
「OH―1」と鎮男がキーを叩く。つづいて、[偵察観測用ヘリ]
カメラは、ズームアップしてパイロットと後部座席乗員の表情まではっきりと映し出した。サングラスをしているが、その表情は二人とも固く厳しい。
 私は、少し慌てていた。思わずキーを叩く。
[はやく、たいひさせんとうちおとされる]
[そんなことは絶対にあらへん]鎮男がすぐにキーを奪う。
[なんでそんなことがわかるんや]
[彼らにそんな決断をする余裕はない]
鎮男の言葉は確信に溢れていた。
「そうか?」
私は、窓際に歩み寄った。――OH―1は、ぴったりと飛行船に寄り添いながら上昇を続けていた。高度は、おそらく上昇限度の2千メートルを越えているだろう。
「こうちゃん」
そのとき、鎮男が再び私を呼んだ。
「ちょっと見てみ」
私は、パソコンを覗いた。自衛隊駐屯地の様子が映し出されていた。一目瞭然で途轍もないことが起きていることが分かる。赤旗、白旗をアンテナに掲げた何十台もの戦車が皆一様にその筒先を駐屯地の方に向けて取り囲んでいるのだ。
「これは、いったい」
見ると、鎮男は唇に左手人差し指を当てている。そして、右手で器用にキーを叩く。
[反乱や。いったい誰が首謀者なんやろ]
私もたまらずキーを叩いた。
[あきひことのかんれんは?]
[それは、これからや]
鎮男は、鞄からヘッドホンを取りだした。パソコンにジャックを差し込み自分の両耳に装着すると、ジョイスティックを使って飛行船のコントロールを始めた。3次元のコントロールとスピード調整がこのJSで自由自在に出来るのだ。鎮男は、飛行船の上昇を止め、船首を僅かに上下に振る動作をさせた。そして、次に彼は、マウスを使ってディスプレイ上のアイコンの一つをクリックした。
いったい何が起きるのだろう。息を呑んで見ていると、鎮男が私宛のメッセージを打った。
[自衛隊の無線や。暗号をデコードしとるから、明瞭に聞こえるで]
鎮男は、自分の耳からヘッドホンを外し私に手渡した。私は、それを耳に当てる。
「……CRF第一ヘリ団、小林一尉より、幕僚長。飛行船の側部ディスプレイに我が方宛と思われるメッセージが表示されました」
「こちら、CRF幕僚。その文言を口述せよ」
「了解。読み上げます。ご迷惑をおかけしました。これより、退避します。以上であります」
「よし、小林一尉、飛行船の退避行動を確認後、直ちに帰還せよ」
「了解。退避確認後、直ちに帰還いたします。以上」
私は、鎮男を見た。彼は、にんまり笑ってみせた。
[実は、自衛隊の無線は、ほとんど傍受してパソコンに収録した。それに、現地の詳細な映像もな]
「やったな」私は、声に出して言った。そして、その言葉の続きはキーに打った。
[そやけど、crfってなんや]
[中央即応集団と呼ばれとる。今回のような事態が起きたときに最も頼りにされるチームやな]
そのときだった。誰かが扉をノックした。
鎮男は、私からヘッドホンを奪い取ると、手際よくパソコンを片付け始めた。そして、薄っぺらなメモリーカードを抜き取ると、私に渡した。
「万一の時のためや」
 私は、その大容量のカードを受け取ると、首にぶら下げているお守り袋の中に隠した。