鎮男18

2012/06/03 14:48


転 生

私は、夜の中央高速をひたすら走った。Nシステムは、間違いなく私の行く先を追っていることだろう。あるいは、遥か上空から偵察衛星が私の行く先々を監視しているかも知れなかった。なにしろ、一国の政府が全力を挙げてわれわれを緩やかな軟禁状態に置いているのだ。その網を掻い潜るのは至難の業に違いなかった。
しかし、救いの手はすぐに現れた。それは前方に現れた小型の飛行船だった。見紛うはずもないわが社のものだ。その腹に「00101V10」という青色のごく短いメッセージをしばらく点滅させていたかと思うと、次に「GO INTO NEXT SA」と、今度は明るいオレンジ色で表示した。
それは、明らかに鎮男からの私に対するメッセージだった。私は、次のサービスエリアに入った。
私が駐車スペースの一つに車を停めると同時に、紺色のNコロが右隣に滑りこんできた。
「待っとったでぇ」
鎮男は、車を降りて私の傍まで廻りこんでくると、いつもながらの無愛想な顔でそう言った。擦り切れた革ジャンにジーンズというあのときと同じ格好だった。
「なんで、ぼくが来ることが分かったん?」私は、車に乗ったまま窓越しに彼を見上げた。
「こうちゃんの行動パターンくらい、手に取るように分かるわ」
「そんならぼくは、お釈迦さんの掌に載せられた孫悟空いうわけか」
「まぁ、そんなとこやな」
「そやけど、これからどないするつもりや。ぼくらは二人とも政府のげーんじゅうな観察下に置かれとるんやで」
「そんなもん、たいしたことあらへん。わいの車は、Nシステムには絶対に引っ掛からん。このハイブリッドカーはここに置いといて、わいの車で家まで行こいや」
私には、なぜ鎮男のNコロがNシステムに引っ掛からないのか理解が出来なかったが、黙って鎮男の言うことに従った。
「また、二人で長いドライブかいな」私は、窮屈な助手席に座るのに懲りていたから、初めから後ろの席に乗り込みながら言った。

道中、鎮男は、ホテルでの脱出劇についてこう話した。
「……あのとき、こうちゃんがSPに連れられて大臣のおる部屋に入ったときに一瞬の隙が出来たんや。わいは、その隙に乗じてごく普通に非常階段を使って下に降りた」
「ほう」と答えたものの、私は釈然とはしていなかった。なぜなら、鎮男はホテルを出るときのみならず、大臣によると入るときにも何ら形跡を残していなかったからである。
「そんな話はともかく、電話でも言うたように事態は一応の収拾を向かえとる」
鎮男は、こちらがひやひやするくらいの猛スピードで高速を飛ばしながら、いつものように静かな調子で話しかけてくる。
「そやけど、狐につままれたような話やなぁ。なんで、あれほどの異常事態がまるで蜃気楼かなんかのように急速に終息してしもうたんやろぅ」
「それは、こうちゃんも知っとる通り、あの事件自体が一種の集団催眠によるものやったからや。その催眠術言うんは、実は人間の脳に直接に作用するものやった。多くの自衛隊や外国の軍隊の仕官クラスがかなり以前からある種の洗脳を受けとったんや。しかし、普段は本人も含めまったく誰もそんなことには気がつかへんくらいに巧妙な洗脳やった。そして、ある時一斉にその洗脳状態を活性化する魔法の呪文が唱えられた。それが、トリガーとなって世界的な軍隊を中心とする異常事態が勃発した。
しかし、わいは、ついに洗脳の呪縛を解くコードを見つけた。そのヒントは、彼らが取り交わしとる無線の中にあった。あのときにも言うたように、彼らの無線は、すべてエンコードされとって普通にはまったく意味不明の雑音にしか聞こえん。そやけど、わいは、すぐにそれをデコードした。しかしその中に、わいをはっとさせるような、一見意味のまったく不明な言葉が飛び交うとるんに気がついた。それが実は、明彦が洗脳のために使うとる符号やったんや」
「それで、その意味不明な言葉とはいったい何やったん?」
「わいらがまだ小さかったときに、一度こうちゃんに言うた言葉があったやろ」
「さぁ、なんやったかいなぁ」私は、後部座席で半分横になったまま記憶を呼び起こしていた。
「薔薇を糞と呼び、糞を薔薇と呼んでも……というあの言葉や」
「えっ」
私は驚いて身体を起こした。何か、今までに経験したことのない奇妙な感情が私を襲った。それは、神秘と懐かしさの混交する不思議な気持ちだった。40年以上もの時を飛び越え、あの雷雨の日の出来事が突如として私の頭に蘇ってきたのである。それは、デジャ・ブーにも似た、預言が成就するのを目の当たりにした者だけが感じることの出来る至高の感情だった。
私は、あの遠い日の黎明、「そのような方は存じあげません」と3度目に唱えた直後に二番鶏が甲高く鳴くのを聞いた、その瞬間のペテロの驚愕を知った。
私は、何か途方もない巨大な渦に巻き込まれてしまった恐怖に、改めて身体がぶるぶると震えだすのを感じながら、一路、鎮男の家へと運ばれていた。