鎮男24

2012/06/03 22:17

ネオゾロアスター

明彦の話は、要領を得ていて実に論理的だった。それによると、ラプラス社は、長年の間、極秘裏に量子コンピュータの開発をしていて、ついに実用段階にまで達した。亡くなった母の意志を継いで、その量子コンピュータを実現に導いたのが明彦だった。明彦は、量子コンピュータの可能性確認のため、量子縺れを利用した量子解析装置まで開発し自らその実験台となった。そして、それが彼の目的を実現するに十分な性能を持っていることを確認すると、自殺を図った。

「……だから、ぼくは本当に死んでしまったわけではないのです。ただ、肉体を失い魂だけの存在となった」
「しかし、君は人類殲滅を計画している。それをいったいどのような方法で実現しようとしているのか知らないが、もしも人類が一人残らず滅びてしまったら、君は、君の魂は、たった一人で生きていかなきゃならなくなる。それは、とても寂しいことではないですか」
私は、明彦がなんと答えるのか耳を欹てていた。
「おっしゃるとおり、それではとても寂しく詰まらないことでしょう。でも、ぼくは、決して一人ぼっちになるつもりはありません。人類は、全体としては非常に下らない愚かな生き物ですが、ほんのごく一部には、平さんのような、素晴らしい魂を持った人間もおられる。ぼくは、これらの、ぼくの思う純粋な魂だけを選んで、この世界に住まわせようと思うのです」
「いずれにせよ、私は抹殺されるほうの人間なわけですね」
私は、彼のいう純粋な魂に鎮男は選ばれても決して自分が選ばないであろうことに嫉妬と劣等感、そして恐怖を感じた。
「それは、違います。現にあなたは、こうして私と話をしておられる。このことの意味をよく考えてみてください」
「……」私の頭は、濁った川の水を透かして見るように、なかなか川底の石が見えないでいた。
「こうちゃん。明彦君の言うてる意味は分かるやろ。わいらは二人ともラプラス社の量子コンピュータに取り込まれてしもうたというわけや。明彦君は、その目的のためにMRIのいくつかに量子解析装置をしかけとったんや。そして、自分の目的にかなう人物だけを量子コンピュータの中に取り込んだんや」
「それやったら、ぼくらの肉体は今どこにあるんや。この身体が本物やのうて、ただ、魂がこれを現実やと思いこんどるだけやったら、本物の身体はいったいどこにいってしもうたんや」
私は、隣の鎮男に噛み付いた。
「こうちゃんは勘違いしとる。こうちゃんのその肉体は本物や。ただ、量子コンピュータの中にもこうちゃんの魂が存在するようになったいうだけのことや」
「なるほどな」と、私は応えてみせたものの、まだ納得したわけではなかった。
私は、御殿場のホテルでの件といい、今回の件といい、鎮男には何か重大な隠し事があるように思えて仕方がなかった。しかし、何故かそれを徹底的に追求するだけの勇気が起きない。謎を突き詰めたいという欲求はあるのだが、いざ実行しようとすると急にブレーキがかかってしまって一向に前に進めないのだ。
「大友さん」鎮男に代わって答えたのは明彦だった。「平さんは、私などよりもずっと以前から、自分の肉体と精神を自在にコントロールする術を発明された大先輩なのですよ」
私は、鎮男の反応を確かめようと顔を見た。そして、そのうなだれたような表情に愕然とした。それは、あの中学の卒業式のときに見た顔とまったく同じだったのである。私は、それ以上何も言うことが出来なかった。酔いは急速に醒め、ドンちゃん騒ぎの後のような後味の悪さだけが残った。

鎮男が、静かに椅子から立ち上がった。
「まだ、見せなあかんもんがあるんや」
「いったい、何や?」
「一緒についてきて」

鎮男と私は、明彦を残したまま階段を上がった。
外に出ると、頭上には煌々とした満月がかかっていた。凍てついてざっざっと音のする道を鎮男と私は納屋の方へと歩を進めた。
そのとき、私たちの足音とは別の微かな足音が近づいてきた。かと思うと、いきなり私の右の脹脛に何か弾力のあるものがぶつかった。まぁだった。彼は、はぁはぁと白い息を吐きながら嬉しそうに私の顔を見上げている。

鎮男がガレージを兼ねた納屋の戸を跳ね上げた。冷気の中、藁の匂いが鼻腔をついた。鎮男が電気を点けると、Nコロの向こうに色鮮やかな耕運機や小型のトラクターが見えた。鎮男は、それらをすり抜けるように先に歩いてゆく。納屋は非常に奥行きがあって、突き当りは、ロフトになっている。そしてそこには稲藁がぎっしりと束ねて積んであった。
鎮男は、その手前のコンクリートの床に敷かれた分厚い茣蓙の前で立ち止まった。茣蓙の上には平たくなった大きな麻袋が一つ置かれている。それがまぁの寝床らしく、ところどころが擦り切れたり噛み切られたりしていて、短く切って詰めた藁がハリネズミのようにつき出ていた。鎮男は、中腰になって茣蓙の端を両手で持つと、自分の方に2mほど引き寄せた。
まぁは、抗議の目を鎮男に向け、仔犬のような甘えた声で鳴いた。
「まぁ、心配すんな。後でちゃんと元に戻しちゃるで」鎮男が子供を宥めるように言った。
茣蓙の下には、たくさんの藁屑と何匹もの団子虫や小さなムカデのような虫が驚いて這いまわっているほか、特別何か変ったものがあるようには見えなかった。何十年も昔の、陶器の傘がついた100Wの白熱電球が織りなすオレンジ色の空間の中で、床のコンクリートだけが微かな青みを放っていた。しかし、いくら目を凝らして見ても、茣蓙の下のコンクリートは、幾分色が白っぽいものの他の部分と変りがあるようには見えない。

不思議に思っていると、いつの間にか鎮男は、納屋の隅からブリキのバケツとハンマーを下げて戻ってきた。バケツを傍らに置いてしゃがむと、ハンマーでコツコツとその白っぽい部分を打ち始めた。クラッカーでも割るようにすぐに大きなひび割れが走った。まぁがハンマーの音に興奮したのか、両足で土を踏み均すような仕草をしてみせた。
鎮男は、軍手をはめた手で割れたモルタルの破片を手際よくバケツに収めていく。その下にコンクリートブロックが姿を現した。鎮男が慎重にブロックの一つを取り除くと、その下に何か銀色に光る物があった。