鎮男28

2012/06/03 22:23


「諸君」良也は、右手を挙げて拍手を止めさせると、獅子吼した。「我がネオゾロアスター教の神聖な夜に、まさに飛んで火にいる蛾の如く、自ら生贄が飛び込んできてくれた。いささか歳を食った、決して美しいとは言えぬが、なかなか歯ごたえがありそうな生贄だ」
観客席から、狂ったような拍手と笑いが起きた。
「ネオゾロアスターだと」鎮男は不敵にも口辺に笑いを浮かべていた。「ニーチェが嘆くぜ」
その言葉は、拡声されて観客たちに伝わり、激しい怒りのブーイングを起こさせた。
「どうだ、諸君」良也は手を挙げて信徒たちを制した。「この通り、口の減らぬなかなか骨のありそうな山羊ではないか」
良也は、余裕の笑みを浮かべている
 「さて、わしは、この生贄については、われらに逆らったことを永劫に悔いるよう無間地獄に送ろうと考えるが、依存はあるまいな」
うぉー、という地鳴りのような響きがたちまちホールを揺るがした。
 良也がまた手を挙げてそれを制止する。そして、目で合図を送ると、赤尽くめの子分二人がそれぞれ、後ろ手に手錠をされたままの鎮男を挟むように肩を取って量子解析装置にまで押していった。良也が装置のコントロールディスプレイの脇に立った。何かスイッチを押すと、リングというよりはチューブと呼んだほうがよさそうな長さが2mもあるスキャナーの中から幅7,80cmほどの寝台がゆっくりと滑るように出てきた。それが10秒ほど掛かって停止すると、赤いクラン団の様な衣装に身を包んだ子分二人が、まるでこれから始まるイリュージョンのアシスタントのように、二人がかりでようやく鎮男を台の上に横たえさせた。
 鎮男は、この間まったく暴れるでもなく、悠然と彼らのなすがままにされていた。
 「彼にいったい何をするつもりだ」私は、そのときになってようやく抗議の言葉を投げかけた。
 良也が醜い笑いを私に向けた。
 「無間地獄に落とすのだよ。言わなかったかね」
 「その無間地獄というのは、いったい何なんだ」
 「それは、良い質問だ」そう言うと、良也は、観衆を前に右手をワイパーのように振った。「信徒諸君。諸君にもこの際、明らかにしておこう。無間地獄とは、われらに歯向ったり、われらを裏切ったりした者どもが落ちる地獄である。この地獄に落ちた者は、いいかね、信徒諸君。永遠の生を得ることができる。――ただし、その生とは、一秒たりとも安らぎのない永遠に続く労苦だ。永遠の徒労を、シーシュポスの労役を、たった一人で永遠に繰り返すことになるのだ」
 ざわついていた信徒たちが全員一斉に息を呑んだように静まり返った。
 それを確認すると、良也が声の調子を変えた。
 「しかし、我がネオゾロアスターに裏切り者などいようはずがない。したがって、無間地獄に落ちる信者など一人としていないはずだ。諸君には、その代わりに大いなる楽園が待っておる。わしを信じ、ネオゾロアスターについてくる者だけがこの恩寵を受けられるのだ」
 良也は、鎮男が台に拘束される様をじっと見ていた。そして、満足したように再び信徒達のほうに向き直ると言葉を継いだ。
 「この生贄は、間もなく無間地獄に落ちる。しかし、諸君たちは、わしを信じ、わしに忠実についてくる者たちは、その欲望の恣に楽園で遊ぶことができる。諸君たちは、この世で遂げられなかった、ありとあらゆる欲望を、――酒も、女も、男も、ドラッグも、殺人も、強姦も、その他ありとあらゆる、この世では悪とされ、忌み嫌われ、決して許されなかった、いわば人間としての根源的な欲求をすべて果たすことが出来るのだ。なぜなら、わしがそのように世界を作ったからだ。わしはさしずめ閻魔大王の代理というわけだ。そして、諸君も承知のように、ここにあるこの装置こそ地獄と天国の両方に通ずるトンネルというわけなのだ」
 良也は、そこまで話し終えると、コントロールディスプレイに手を添えた。
 「さぁて。鎮男とやら。最後に言い残すことはないかな」彼は、台の上の鎮男を覗き込むようにしながら、わざとらしい猫撫で声で呼びかけた。
 「ないな」
鎮男は、静かな、それでいて良也には侮辱的に聞こえるであろう口調で答えた。
「ほう」良也の声には明らかに驚愕が混じっていた。大抵の者なら、いくら強がってはいても死刑などよりも遥かに恐ろしいこのような刑罰を受けるとなると、大声で喚いたり、がたがた震えながら命乞いをしたり、失禁をしたり、あるいは気を失ったりと、醜態を曝け出してしまうのが普通だろう。しかし、この鎮男という男は、端然としていてまったく動じる様子がない。
「よかろう」良也は、驚愕の余韻が残る声で言うと、ディスプレイのタッチ式キーを操作した。
鎮男を乗せた台は、滑る様に穴の中に入っていく。
私は、鎮男の足がチューブの中に入っていくのをまさに断腸の思いで見ていた。無二の親友が、いま目の前で酷いことをされようとしているのに何一つ出来ない、それが余りに情けなくて涙が溢れた。

しかし、そのとき私は、何かの奇跡が起きたような気がした。見間違いかと思ってよく見たが、鎮男の足は金色に輝く光の微粒子になっていた。
良也の頬がチックのように引きつっている。明らかに彼も驚いているのだ。まったく予想外のことだったに違いない。
やがて鎮男の全身は、金色に輝く光の帯になって宙に漂い始めた。そして、このホールの天井にオーロラのようにのたうっている光の一つになった。

そして、その次に起こったことは、信徒たちをも驚愕の渦に巻き込んだ。宙に上がった金色の光と交代するようにオーロラの中にあったピンク色の光が舞台にスーと降りてきたかと思うと、良也と相対するようにチューブの後ろ側で人間の形に実体化し始めたのだ。そして、次の瞬間、初めは白いプラスチックの人形のようだった人物は明彦の姿になった。良也が仰天して背を仰け反らした。
「明彦君」私は、思わず声をかけた。「本当に君なのか」
「大友さん。先ほどはどうも」明彦は、私に笑顔を向けた。
「明彦……」良也は明らかに恐れ慄いている。
「これはまた、たいそうな儀式をやっておられるようですね。お父様」明彦の声は、平坦で、感情の片鱗もうかがわせなかったが、それがかえって継父に対する何か深く複雑に絡まった葛藤を想像させた。

いつの間にか、信徒たちが騒然としてきていた。ちょうど野焼きの火が風に煽られて肩を寄せ合ったり離れたりする様に、彼らは隣同士で、あるいは近くの者たちが小さなグループになって舞台で起きていることについてさんざめきあっているのだ。それがやがて、少しずつ火が爆ぜるような音となってにホールを満たし始めていた。
「諸君。どうか静かにしてくれ」良也が慌てて手を挙げた。始めの余裕はどこへやら、明らかに動揺している。それが信徒たちにも伝わったのか、なかなか会場は静まらない。
「静かにするんだ」良也が声を荒げた。それでようやく、燃え盛っていた野火が驟雨に打たれたように静けさが戻った。