鎮男40

2012/06/08 22:38

 

以上が、あの奇妙な像が玄の森公園に建てられることになった顛末である。

私は今、新信州市にあるいわゆる精神病院に収容されている。石田大臣が心筋梗塞で亡くなったこともここで知った。それは、鎮男の銅像が建立される少し前のことだった。私は、ここにも良也の長い魔の手を感じないではいられない。

それはそうと、新聞が報じたあの事件の真相は、実に驚くべきものだった。それによると、飛行船会社社長の大友康太郎、つまり私は、同郷出身でアートルム社のトップである武藤良也氏に大いなる嫉妬心を抱いていた。その嫉妬が嵩じ、武藤氏殺害を夢想するまでになった。その目的のためにか新信州市の山地に土地と家屋まで取得した。そして、そこで銃器を密造し、ついに今回の犯行を計画、実行するまでに至った、のだそうである。当然の如く、どの新聞にもまたテレビにも鎮男の名も明彦の名も出てはこない。

そして、さらに驚かされたのは、あるテレビ局が報じた武藤良也についてのインタビュー番組だった。とは言っても、実際は、何から何まで良也が仕組んだ出来レースに違いなかった。

「武藤さんは、最近大変な目にお遭いになりましたねぇ」如何にもこういった番組に練達した感じの、白髪のインタビューアーが水を向けた。
「まぁ、ああいったことは、一種の有名税とでも言っておくしかありませんなぁ。当局によると、その男というのは、どうも以前から私を妬んでいたということですが、果たしてこの私が妬みに値する人間かどうか、そう考えるとおかしくてしょうがなくなってきます」
「これはまた、ずいぶんとご謙遜をなさっているようにも聞こえますが」
「いえいえ。これは本当の気持ちです。私は、一昨年に妻を失ったばかりか、愛する息子も亡くしてしまった」
「ええ、ええ。そうでしたねぇ。私はあなたに、図らずも辛いことを思い出させてしまった。遅ればせながら、心からお悔やみを申し上げさせていただきます。たしか奥様は、交通事故でお亡くなりになった……」
「ええ。妻には、一つ悪癖がありました。私はいつも止めるよう注意していたのですが、ついに止めることはなかった」
「ほう。それは、一体なんだったのでしょう」
「タバコです。車を運転するときにはいつも銜えていました。あの事故は、恐らくそのタバコの火が彼女の膝に落ちたために起こったものではないかと、今ではそんな気がしているのです」
「息子さんも大変お気の毒でした」
「息子は、気丈にもあれの意志を継いで、新しいコンピュータの開発に全身全霊を注ぎこんでいました。そして、その開発に成功したとき、おそらく生きる目標を喪失してしまったのでしょう」
「なるほど、分かる気がいたします。今となっては、ご冥福をお祈りするばかりですが」
「ええ。ただ私は、幸運にもアートルム社という、時代の最先端をいく企業のCEOという立場に今おるわけですが、私はこれに満足をしているわけではありません。私が真に考えておりますことは、こう申しますと、大変先鋭な響きを持つ言葉に聞こえるかも知れませんが、革命です。というよりも、パラダイムシフトです。人類はいま、いろいろな意味で袋小路に迷い込んでいます。この袋小路を打開するには、一人一人の人間が価値観を変えていく必要があると考えているのです。

私は常々考えているのですが、薔薇はいつまでも薔薇ではない。大変尾籠なことを言って申し訳ないが、これからは薔薇を糞と呼んでみてはどうか。あるいは糞を薔薇と呼んでみてはどうだろうか。つまり、これまでの既成の観念を変えてみる必要があるのではないかと。これまで無価値であるとか卑しいと思われていたものに価値を見出す、あるいは価値あるもの、高貴と思い込まされていたものを疑ってみる、こういうことが必要になってくるのではないだろうかと。そのために私は、政治にも働きかけて、新しい価値観、新しい道徳の確立を目指しているのです」

私は、この番組には心底驚かされた。この番組の中で、決して良也は、その価値観、道徳感について具体的に言及するの愚は犯さなかった。しかし、40年も前の子供のころに、鎮男が呟いた言葉の真の意味は、まさにこれだったのだ。あれは、良也のこの欺瞞の言葉に対する反論だったのだ。鎮男は、いかに時代が変わろうと、高貴なものはいつまでも高貴であり、卑賤なものは相変わらず卑賤であるということが言いたかったに違いない。

それにしても、新聞の報じる通り、やはり私は狂っているのだろうか。鎮男や明彦は、私の狂気が生んだ仮想の人物だったのであろうか。

しかし、よほどナイーブな者でない限り、マスメディアの報じることに大したニュースがないことは誰でも知っている。むしろ、その報じない部分にこそ重大な真実が隠されているのである。

そのテレビのニュースや新聞記事で、ラプラス社が着々と業績を伸ばし、世界中に量子解析装置QAの普及を拡大していることを知るたびに、私の心は深く沈む。そして、鎮男の言っていた、あの「茹蛙」の話が思い出されるのだ。

「こうちゃん、人間いうんは、ほんまにあほな生きもんやなぁ。茹蛙と一緒や。ゆっくりゆっくり温度を上げていくと、蛙は身動きもせんまま鍋の中で茹であがってしまういうこっちゃ」

繰り返し言うが、良也がやろうとしていることは、この世界を自分の恣いが侭にすることなのである。そのために良也は、まず国の中枢である立法府や内閣、そして司法や第四の権力と言われるマスメディアまでをも洗脳しようとしているのである。その手はじめとして、ネオゾロアスターなどというでたらめな宗教団体を創り、この国の高官や政治家、それに多くのマスコミ関係者をその信徒に仕立て上げた。
あたかも蝶やトンボが蜘蛛の巣に絡め取られ、その体液を吸い取られるように、彼らは、良也がちゃくちゃくと築きつつある人的ネットワークに引っ掛かりその魂を吸い取られていったに違いない。
彼らがそれと知らず、良也の手に落ちた友人、知人の勧めによりラプラスの病院に入る。
「あそこの病院は、ほんとに良心的な低料金で、しっかりと時間をかけて検査をしてくれるよ」
その友人の言っていることは嘘ではない。事実、アートルムは非常な低料金でQAを使った検査をしてくれる。しかも通常の何倍もの時間をかけて、アートルム社が誇る最新鋭QA、∇20XX―CS(通称CENSOR―SHIP)による診断をしてくれるのである。すると、本人がまったく自覚しないままに、その全ペルソナを精査され量子コンピュータ上にデータとして記憶、保管される。
そして、彼らの世間には知られたくない性的傾向や倒錯、男女関係、酒や薬物やギャンブルなどの依存症、思想や信条などの心的自由にかかわることなど、すべて良也の手に握られることになるのだ。

そればかりではない。彼らは、良也が仕込んだ洗脳プログラムの洗礼を浴びることになる。その洗脳は、少しずつ少しずつ、しかし確実に彼らの心の深奥にまで浸透し、モラルを低下させ、人格を破壊してゆく。そして、他人を思いやることも、他人のために汗や涙を流すことも次第に無くなってゆき、良也の思うままに操られるお為ごかしの要領のいいエゴイストに仕立て上げられていくのだ。それがいま、良也によってちゃくちゃくと推し進められていることなのである。
そして、亡くなった石田大臣もまた、そのような洗脳を受けた一人であったに違いなかった。

私は、いや、私たちは、結局良也には勝てなかった。3人が力を合わせても狡猾なあの悪魔には勝てなかった。

いや、そうではない。私はこうして囚われの身となってしまったが、鎮男と明彦は、今もなお良也を葬り去るための孤独な戦いを継続させているに違いなかった。なぜなら、彼らこそ人類の良心であり正義だからだ。そして、それが証拠に、良也は目障りであるはずの鎮男の銅像を撤去できないばかりか、蛇ににらまれた蛙のように、表立っては悪事を働けないでいるのだ。

私は思う。あのとき、講堂の中で、鎮男が良也に何事かを告げているように見えたのは、おそらく、このことであったのだと。つまり鎮男は、このときすでに自分の銅像が玄の森園に建てられるであろうことを予見しており、その銅像が見ている限り、お前は悪事を働けないぞと宣告していたのだ。そして鎮男と明彦は、その間に人々が無関心という名の惰眠から目覚め、身の回りで着々と進行している悪に気づき、それを食い止めるための戦いを始めることを待っているのだ。

私は、今これを、この文章を、鎮男が御殿場でくれたメモリーチップに入れて、この病院の窓から外に投げ捨てようと考えている。鎮男の母が、私が生まれたときにくれたというお守り袋の中に入れて。