時計

2012/06/17 13:37


幼稚園のころ、いたずらにクレヨンで時計の絵を書いた。時計というものがとても魅力的な機械に見えたからだ。もう半世紀も前の絵なのに、その絵のことは今でも鮮明に思い出すことができる。

大きな柱時計よりも腕時計の方が高価だと聞いて驚いたりもした。大きいものの方が小さなものより価値があると信じていたわたしにはちょっとしたショックだった。

思うに、このころのわたしは重厚長大だったが、今といえばすっかり軽薄短小になってしまった。何が軽くなって何が薄くなって、さらにはなにが短小になったかまでは言わないでおこう。

今でもわたしは時計というものが不思議でしようがない。いや、時計というよりは時そのものに強く惹かれるのである。分子や原子、あるいは量子と呼ばれるものと同じように時にも最小の単位があるのだろうか。
アインシュタイン以来、時と空間は統合されて時空連続体と呼ばれるようになった。空間に最小単位があるのなら、時にも間違いなくそれはあるに違いない。それとも、そのような極小の世界では時と空間は混交してしまっていて、どちらが時でどちらが空間とはいえなくなってしまうのかも知れない。

ところで、わが腕時計を見ていてふと思った。
いま、時計は14時を指そうとしているけれども、短針と長針がぴったりと重なる時刻は果たして何時何分、何秒だろう。
さて、針がぴったり重なるまでに答をはじきだすことはできるだろうか。
さぁ、時間との戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 

自己レスながら、これはゼノンの背理とも言われるアキレスと亀の問題、と考えることもできる。

ゼノンの背理によれば長針はいつまで経っても短針を追い越すことができない。ところが、現実には決してそんなことがないことは誰もが普通に知っている。しかし、この背理という奴、真剣になって考えてみると結構面白いかもしれない。それこそ、最小の時間というものに出会えるかも知れないからだ。

ところで、本題に戻るなら、長針と短針がぴったり重なるのは14時10分54秒余である。
長針をアキレス、短針を亀とするなら、亀はアキレスより200m先にいる。全周1200mの円形競技場でアキレスと亀は永遠にその速さを競い合っている。アキレスの速度は亀の12倍で1時間に1200m。亀は100mである。

さて、12時の位置にいたアキレスが亀に追いつくのは、亀の速度をxとし、アキレスの速度を12xとすれば、12x=x+200mとなる。

これを解くと、11x=200mとなるから、X=200m/11となる。また、100mは一時間に相当するから、2時間を11で割ればよいことになる。さて、120分の11分の1は、10分と10/11分である。つまり、600秒/11=54秒と6/11秒になる。