山中鹿助

2013/03/08 13:31


願わくは、我に七難八苦を与えたまえ

昨日、内村鑑三の「後世への最大遺物」を書いていて思い出したのが、この山中鹿助(幸盛)の言葉である。

またローランズの「哲学者とオオカミ」の話をすれば、結局この本で彼が言いたかったのは、鹿助のこの言葉に尽きるのではなかろうか。

ローランズは defiance (反抗)を人生最高のときのキーワードとしたが、鹿助の場合にはそれが七難八苦であった。そして内村鑑三が言いたかったのは、

「われわれに邪魔のあるのはもっとも愉快なことであります。邪魔があればあるほどわれわれの事業ができる。勇ましい生涯と事業を後世に遺すことができる。とにかく反対があればあるほど面白い。われわれに友達がない、われわれに金がない、われわれに学問がないというのが面白い。われわれが神の恩恵を享け、われわれの信仰によってこれらの不足に打ち勝つことができれば、われわれは非常な事業を遺すものである。われわれが熱心をもってこれに勝てば勝つほど、後世への遺物が大きくなる。もし私に金がたくさんあって、地位があって、責任が少くして、それで大事業ができたところが何でもない。たとい事業は小さくても、これらのすべての反対に打ち勝つことによって、それで後世の人が私によって大いに利益を得るにいたるのである。種々の不都合、種々の反対に打ち勝つことが、われわれの大事業ではないかと思う。それゆえにヤコブのように、われわれの出遭う艱難についてわれわれは感謝すべきではないかと思います」ということであった。

この三者には共通項がある。それをわたしはオオカミの生き方と呼びたい。オオカミの生き方とは、体重100ポンドのピットブルに喉もとに食いつかれ、地面に押さえつけられたときに生後3ヶ月のブレニンが発した腹の底からこみ上げるような唸り声そのものである。ブレニンはそのときこう叫んでいたのだ。

「なにを!このやろう。おまえらワンコロごときに誇り高きオオカミのこのおれがキャンと鳴くとでも思ってやがるのか」