もの覚えが悪くもの忘れもひどい

2013/05/15 10:32

自慢にもならないが、幼少の砌からもの覚えが悪く、またもの忘れがひどかった。小中通して宿題というものをしたことがない。宿題を出されたことをすぐに忘れてしまうからである。最初から念頭になかったと言ってもいい。
こんなところが、わたしが正統なgeekであることのそもそもの証なのだろうが、そのおかげというか、こんなやらあんなやらで、小学生の時には毎日のごとく廊下に立たされた。思うにこのころからわたしには孤独の影が付き添っていたのである。
しかし、そのうちに先生の方が諦めて何も言わなくなった。わたしの粘り勝ちである。

ちかごろその傾向に一層の磨きがかかってきた。一つ例を上げるなら、イブ・サンローランローランサンの違いが分からなくなってしまった。イブだから女だろうと思っていたら、こちらは男のデザイナーだった。ローランさんの方が女で、こちらがわたしの好きなパステルカラー調のシックな絵を描くひとだった。

以前にもチャールトン・ヘストンの名前が喉まで出ていながら思い出せず、少しばかり大仰に言うなら塗炭の苦しみを味わった。
では、なんでこの俳優の名前を思い出そうとしたかというと、その理由だけははっきり憶えている。
わたしは時々こういうことをやるのである。つまり自己診断プログラムというやつを不定期に走らせて、脳にラク脳梗塞などの異常が起きていないかどうかを確かめるのだ。

ベンハーをやったあの俳優は誰だったっけ? 大いなる西部でグレゴリー・ペックと殴り合いをやったあの顎の張った大男の名前は? 

こんな具合に自問自答してみるのである。そして不思議なことに、その度に苦しい思いをすることになった。どんなに苦しいかというと、尾籠な喩で恐縮だが、しこたま酒を飲んで酔っぱらって胸のあたりがとっても不快で反吐を吐けばすっきりしそうなのだが、その反吐がなかなか出てこなくて、アルコールに強い塩酸の混じった胃液だけがこみあげてきて喉が焼け焦げそうになる、そういう生理、いや心理状態と言ってもよい。

そんなに苦しいなら、なぜ思い出そうなどとするのか。ひょっとすると、わたしにはMの気があるのだろうか? ・・・いや、それじゃぁ理屈が通らない。もう少し筋道を立てた言い方をするなら、SとMが自作自演をやっているということになりはしないか。

いずれにしろ、わたしの脳というやつは、トリビアルなことにはよく反応しかつよく憶えるのだが、世間では非常に重要視されるたとえば子供にとっての宿題とか大人にとっての約束とか、そういったいわゆる常識的なことをすぐに忘れてしまうという複雑怪奇な構造をもっていて、これにはわたし自身が大変に塩酸やら辛酸やらを舐めさせられてきた。

しかしまぁ、半世紀以上もつきあってきたこの変な脳ちゃんといまさら縁を切るわけにもいかず、また改造をしようにも並大抵のことではないから、当面は、右カーブの数だけ左カーブもあるわけだし、物事は見方を変えれば短所も長所となるのだ、と徹底的な功利主義者を貫き、せいぜい不快な、自分に不都合なことはすっかりすぐに忘れて、愉快で面白いことだけをいつまでも記憶に刻むこととし、最後の最後にはとことん呆けた狒々爺になってえへぇらへぇらと笑いながら死んでいけばいい、そんなふうに思ったりするわけである。