読書日記

2013/05/20 12:43

ローレンス・ブロックを読み、マイケル・クライトンロストワールドを読み終え、今ディーン・クーンツのthe key to midnightというのを読んでいる。
ローレンス・ブロックは800万の死にざま以来のファンだが、どの作品もペダンチックであり、また作中人物の会話が機知に富んでいて飽きることがない。思うにローレンス・ブロックの頭の中ではいつも誰かとの会話や議論が交わされているのだ。

ロストワールドは、クライトンお得意のこれまた医学、生物学、物理学、数学など科学技術についての専門用語や思想が散りばめられていて、読了後に満腹感、幸福感を味わえる代物であった。
なぜこの作品に数学者マルコムが必要だったか。クライトンは、この作品を単なるエンターテーメンで終わらせたくはなかったのであろう。
6千万年も昔に滅びたとされる恐竜を現代科学の力をもって復元するなどというおとぎ話に少しでも現実性を持たせるには理論や論理が必要であり、そのための触媒としてマルコムは登場するのだ。
二人の子供、アーブとケリーも熟慮の上キャスティングされたことは間違いない。そしてその効果は十分に発揮されている。
悪役も必要だった。ダッヂソンはヒールの典型として登場し、またその典型としてふさわしい最後を遂げるのだが、そのシーンは残酷そのものである。
アフリカでハイエナのフィールド調査をしている最中に請われて南米の島までやってきたハーディングもまた、女性のファンを獲得するためのクライトンの戦術であったのであろう。彼女は見事にこの作品のヒロインを果たしている。

今読んでいるクーンツの作品は、舞台が京都である。ただ、京都らしい雰囲気がよく出ているかというと、これがまた微妙なのである。というのも、日本語での会話がお粗末で日本人なら絶対にこういう言い方をしないという場面が随所に現れる。これは作者が日本の文化を真には理解していないことの証である。
たとえば、主人公であるジョアンナ(リサと同一人物)が睡眠薬で自殺を図るシーンである。彼女は自ら友人でありまた使用人であるMARIKOに助けを求め、主治医であるMIFUNAの処置により助かるのだが、その翌日、診察にきたMIFUNAと別れる際の挨拶がお互いにKONBANWAと言ってお辞儀(BOW)をするというものであったりする。

文化というものの理解は本当に難しい。ロストワールドの中でマルコムが携帯やインターネットは文化の破壊者であると言っていたのが本当によくわかる。
人は便を求め、すでに世界中すべての街角にマクドナルドやローソンが立ち、人々はコーラを飲み、衣服や習慣まで画一化されようとしている。
マルコムは厭世主義者だが、そうでなくともいずれ人類は恐竜と同じように、しかも自らの手で滅びてしまうに違いないと思ってしまう。
なぜなら、マルコムに拠れば多様性こそが滅亡から逃れる唯一の手段だからである。