トランセンデンス

2014/07/07 16:41

ジョニー・デイップが天才科学者を演じるトランセンデンスを見た。

アラン・チューリングがテレグラム(今ならSNSか)で話してみて、その相手が人工知能と見抜けなかったら、それは人間と同等と考えてもよいと言ったAIをテーマとするものである。

先ごろのニュースで、ついに30%ほどの確率で、おしゃべりをして人工知能と見破られなかったとしてあるAIが話題になったが、ようやくコンピュータはこの段階に達したのである。

この映画で面白かったのは、自我を持つまでになったとされるPINGという名のAIに対してFBIの捜査官が「本当におまえさんが自我を持っていると証明できるのかね」と訊ねたときのPINGの応えである。
「そういうあなたの自我は証明できますか」とPINGは、逆にこう問うたのである。

以前にわたしは、「精神とはなにか」の中で次のように書いた。

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・・・そこで、そのロボットがデカルトと同じような思考の経緯を辿り、「コギト・エルゴスム」と唱えたとしたら、わたしたちはそれを笑うことができるだろうか、というのがわたしの提議でした。

というよりも、わたしが真に言いたかったことをご理解していただくためには、みなさま方には是非、ロボットと人間が二つ並んで「コギト・エルゴスム」と言っている有様を思い浮かべていただければと思います。

自然が創ったロボットである人間と、その人間が造ったロボットが
口裏を合わせたようにコギト・エルゴスムと呟く様は、わたしにとってはジョークそのものでありますが、また宇宙の入れ子細工を表しているようでもあり、大変面白く思われるのです。

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そのとき、まさにわたしが書いたとおりのことがこの映画の中で行われている、と思われて、わたしはついにんまりしてしまったというわけである。

すでに将棋の世界では名人といえどもコンピュータには勝てなくなった。近い将来、囲碁の世界でも同様のことが起きるであろう。

そして、おそらく今世紀中には自我を持つAIが完成する。そうして、この映画が描いたような世界が現実化することであろう。
自我を持つAIがPCのように普及し、AI同士が鎬を削るがごとく、より高い次元を目指して切磋琢磨するようになれば、いずれ人間など隅に追いやられてしまうに違いない。
なにせ、ユニークでとてつもなく優れたパーソナリティを持つAI、そしてアンドロイドのようなものが出現するのである。政治家も将棋や囲碁の名人も、そして芸術家などもお払い箱になることは明白ではないか。

かつてアシモフは知能をもつロボットが大量生産されるような時代を予想して、ロボット三原則なるものを義務付けた。人間に決して危害を加えないよう予防措置を講じたのである。
しかし、そのような原則をAIに適用したところで、必ずやAIはそのようなルールを打ち破ってしまうであろう。

人間をはるかに凌ぐAIの普及した社会。いや、それは決して社会などとは呼べない。そこには人間の存在する場がないのだから。

しかし、それがこれまでの生物学的な進化を超える新たな進化、神化ともいうべきものとなる可能性は否定できない。

「結局は、進化は、究極的にはここを目指していたのだ」

そんなふうに思われる時代がやがてやってくる。人類の時代は終わりを迎えている、そのような気がしてならない。