ノーヘル平和賞

2014/09/25 10:19

わたしがノーベル賞など貰わなくてよかったと思うのは、オバマのへっぴり腰を見てのことだ。

なぜ今、イスラム国などが台頭し始めたのか。オバマが兵を引いたからである。
その挙句、効果の疑わしい空爆などを行い始めた。地上戦に巻き込まれてアメリカ人の血を流したくないのである。
そんな事態になれば、ノーヘル平和賞に傷がつくというものだ。

つくづく賞などというものは、人を腐らせる。

あの・・・、なんという作家だったか、ノーベル文学賞授章の名誉には与ったが、文化勲章は突き返したとかいう男。彼はよく自分を弁えていた。
ノーベル賞は誰でも受けられるが、こと文化勲章となると、これは畏れ多くも天皇陛下の御璽の押されたものを陛下直々に授けられるのである。果たして彼にその資格があるや、と訊かれたときに、おそらく彼は躊躇いを覚えたのであろう。己をよく弁えていたのである。

いや、そんなことはどうでもよかった。

ノーヘル平和賞である。こんな賞は、平和の象徴とかいわれる鳩と同じでまったく不要である、とわたしは思う。

特に政治家が(国家を代表する)このような賞を受けるのは百害あって一利もない。

チャーチル文学賞を受けた。文学にも秀でた才能を持った政治家であったからである。
彼はナチスドイツに対し、徹底抗戦した。これが平和への貢献であったことは疑いない。

軍縮を唱えたり、あるいは核兵器の削減を訴えるのは、必ずしも平和に貢献することにはならないであろう。それは、核を大量に持つことが自国の負担になるから、仮想敵国と歩調を合わせて徐々にその量を減らしていこうというだけのことであって、量を減らす代わりにより高性能のものを持つことを否定しているわけではない。

平和を実現するなどということは、如何に知恵を絞ってもできることではない。世界中の賢人が何百人と集まっても、平和は実現できないどころか、直ちに彼らの間で論争という小さな戦いが起きることは明らかである。