朝鮮人従軍慰安婦と特攻隊員との齟齬 4

 

 

2015/08/11 10:12

 

 

 

単純なる散文への描写や、安易な推察は留めるとしても、光山が日本への呪詛や罵りの言葉を一片も残していないことは、軽視すべからざる事実として記しておきたい。

 

 

 

 先の大戦中、特攻に限らず多くの朝鮮人が日本人と共に戦った。それら全ての行為を「強制」という平面的な表現で括ることは、光山を含む先人たちの生き様に対する重大な冒涜と不遜であろう。

 

 

 

 現下の韓国は、自国を「戦勝国側」「侵略戦争の被害者」と位置付けているが、実際は「日本と共に戦った」のが真実である。あくまでも韓国は「日本側」であった。韓国は都合の良い歴史の歪曲を改め、史実を冷静に咀嚼する必要がある。

 

 

 

 そして、戦後の韓国において「反日」という奔流が理性の堤防を決壊させる中、光山は「対日協力者」「親日派」として、あろうことか「国賊」「売国奴」などと罵倒されるに至った。

 

 

 

 平成20年(2008年)5月には、とある日本人の働きかけにより、光山の故郷である泗川市に「帰郷記念碑」が建立されたが、これに地元団体が激しく抗議。結果、除幕式が中止に追い込まれる事態にまで発展した。泗川市の議員の一人は、「出撃前にアリランを唄ったなどという話は、とうてい信じられない」「日本軍に志願した人間を、この国の貢献者のように扱えるものか」と言い放った。

 

 

 

 結句、記念碑は市によって撤去された。日本側の慰霊の気持ちを、韓国側が拒否するという歪な結末であった。現在、光山の遺影は靖國神社遊就館に民族の別なく飾られているが、韓国側にはこれに反対する声も多い。

 

 

 

 韓国側の歴史認識は、朝鮮人特攻隊員の御霊を無惨に毀傷している。これは韓国人に根強く存在する「在日への差別」の断片とも言えよう。このような韓国側の態度こそ、まさに「ヘイトスピーチ」「ヘイトアクション」そのものではないか。

 

 

 

 韓国側の視座には、朝鮮人特攻隊員たちの心の底にあった気位や沽券、自尊心などへの洞察が著しく欠落している。無論、光山らが抱えた懊悩や葛藤の揺らぎは、日本人以上であったかもしれない。だからこそ、日本側はその死を心から悼もうとしている。特攻を仰々しく美化する必要はないが、御霊を弔いたいという心情にまでなぜ彼らは反発するのか。主義や情念に従属した愚行である。

 

 

 

売国奴」の如き軽薄な常套句を使用した刹那、アリランの調べに内包されていた光山の自負と憂悶の混和は、途端に見えなくなってしまう。それでは、歴史から学ぶことにはならない。

 

 

 

 知覧特攻平和会館の敷地内には多くの慰霊碑が建つが、その中には「アリランの鎮魂歌碑」という石碑もある。同碑は日本人の篤志家の寄付によって建立された。碑の前面には、

 

 

 

 アリランの歌声とほく母の国に

 

  念ひ残して散りし花花

 

 

 

 という文字が刻まれている。

 

 

 

 羞恥すべき「反日ナショナリズム」の悲哀と、それに伴う日韓関係の迷走に、光山も落涙しているのではないか。

 

 

 

はやさか・たかし ノンフィクション作家。1973年、愛知県生まれ。著書に、『愛国者がテロリストになった日 安重根の真実』(PHP研究所)、『永田鉄山 昭和陸軍「運命の男」』(文春新書)、『鎮魂の旅 大東亜戦争秘録』(中央公論新社)、『昭和十七年の夏 幻の甲子園』(文春文庫)、『世界の日本人ジョーク集』(中公新書ラクレ)ほか多数。