シュレ猫と釈迦の掌

2018/01/26 10:52


既に書いたことだが、時間、あるいは運命というものの不思議についてである。

10光年先からSOSが地球に届いたとする。届いた時点でそれは10年前の情報である。つまりすでに手遅れで、地球人は10光年も先もの宇宙人を助けることはできない。

そこで思うのは、この10光年を大きく縮尺して紙に書いてみればどうだろう。10光年を10センチメートルにする。もちろん星の大きさは数学的な点に等しくなってしまうであろう。いや、もっと小さくしてしまっても良い。どうせ思考実験に過ぎないのだから・・・。たとえば1mm、あるいは1μmとしよう。

わたしは何を実験しようとしているのか? こういうことである。つまり、10光年先のことは、わたしたちは、すでに起きている、と考える。わたしたちの頭はそのような考え方をするようにできているからである。
しかし、である。わたしたちはまた、10光年離れた星で今起きていることが知り得ない、ということもまた理解している。
これは時空の仕組みであるから仕方がない、と。

それでは、これをミクロの世界の話にしてみればどうだろう。上で10光年を1μmに縮尺してみるのだ。
もちろん、時間の単位は変わってくるが、たとえ距離が1μmであろうと、「こと」はすでに起こってしまっているのである。にもかかわらず、わたしたちにはすでに起きてしまっていることが分からない、ということではないのだろうか。

わたしはこれをシュレディンガーの猫の話と同じことだと考える。つまり、ラジウムからアルファ線が出るか、出ないかはすでに決定してしまっている、のであるが、わたしたちにはそれを知る術がない、ということである。

わたしがよく喩に使う円周率のPiと同じことである。延々と無限に続く数字は、「最初から最後?」まで決まってしまっているはずである。しかし、わたしたちにはたった今分かったその数字の一つ先は、やはり知る術がないのである。