自力と他力

2018/01/29 20:19


考えてみよう。ビルゲイツのような、あるいはジェフベゾスのような、超超兆万長者になるのは自力によるものだったのであろうか?
逆に、どこかの駅の通路にダンボールでねぐらを拵えているホームレスになるのもまた自力(とは言わないであろうが・・・)によるものだったのであろうか?

わたしは、負け惜しみを言うわけではないが、自分が「何者かになる」のは自力ではありえないと考える。何者か、というのは超金持ちでも良いし超有名人でも、ホームレスでも同じことである。

仏教の思想を深く知るわけではないが、この世に自力などというものはありえない、はずである。すべてはただの現象でしかなく、現象はただ万物が互いに干渉しあうことによって生じる。

つまり、すべては運命であり、わたしたちは肉体と運命をもらって生まれてきたのである。肉体と運命を授けてくれたのは両親と言っているのではない。なぜなら、その両親にもまた両親はいるからである。

両親の両親、そのまた両親と延々と辿れば、いずれはサルになり、さらにはバクテリアにさえ行き着くであろう。

そうすると、わたしを産んだのは結局はこの宇宙そのものということになるはずである。宇宙は、その開闢のときから「わたし」を孕んでいたのである。

ニーチェのいう「運命愛」とは、実にこのような、わたしたちの自力ではどうしようのない運命を愛おしめということなのではないだろうか。

ニーチェがお釈迦様の天上天下唯我独尊という言葉を知っていたかどうかは知らない。しかし、わたしには、彼がその真の意味を理解していたことは間違いないと思われる。