計画

今、区役所の屋外で、三角形をした大きな雨除けの庇の下で漱石のそれからを読んでいる。巨大な庇の三角形の頂点を支える1.5m角の柱にはうまい具合に1.5m角の床机が二方向に据えられていて、その一つに斜めになって寝転びi-podで読んでいる。

天気は曇りがちだが、青い部分も時々に少しだけ顔を覗かせる。青空を出し惜しみしているような天気である。、暑くはない。この時期にしては涼しい程だ。

1週間ほど調子が悪かった。それが少し良くなって今こうしている。

読みながら考えたのが、なんの脈絡もない(表面的には)が計画ということについてである。

漱石はそれからを書いた。当然、それは構想から始まったはずである。書くにはなんらかの意図があった。つまり書く動機があったはずである。

構想とは計画である。漱石の論理的で俊敏な頭の中には、それからの初めから終わりまでがいざ執筆し始める前から埋め込まれていたはずである。それは、恰も彼自身が夢十夜の第六夢で描いた運慶が彫る仁王像であったかのように。

本当だろうか?

わたしが疑問を呈したのは今述べようとしている小説の構想の話ではない。いや、それが構想の話であっても、結局は同じことであろう。

計画というものは、計画通りにいくわけがない。それは、それからであっても同じであったであろう。漱石は、綿密に計画を立てて、初めも終わりも、そして途中も筋書きを考えていたに違いない。

そうして、それからは完成した。ーー運慶が掘り出した仏像のように。

しかし、とわたしは思うのである。本当にそうだったのだろうか、と。

世の中、というよりもこの物理的、数学的世界はそんなふうにはできてはいない。

漱石のそれからは偶然の産物である。という言い方が雑であるなら、さまざまな外乱があって、さまざまなそれの刺激を受けて、あのような作品になったはずである。その外乱というのは、作品の執筆中は無論、執筆前の構想中にもあったはずであり、極論を言えば構想以前の漱石、いや夏目金之助の時代からすでにあったのである。

何が言いたいか?

わたしが運命論者であることを承知の人であるならお分かりであろう。

それからを書いたのは漱石であるが、それからを漱石が彫りだすべく巨大な木の中に仕込んでおいたのは、これはまた計り知ることのできない誰かによる計画によるものだったのである。