1+1=2ではない

というのは、そんな瞬間を見たことがないからである。

右の皿にリンゴが一個。左の皿にも一個あったとしよう。左のリンゴを右の皿に移した。右の皿には今リンゴが二個ある。

やはり1+1=2ではないか、というかも知れない。

しかし、二つのリンゴは、わたしたちが便宜上リンゴと呼ぶだけで同じリンゴではない。リンゴaとリンゴbは足して2にはならない。一卵性双生児aとbも二人ではあるけれども、足すことはできない。

屁理屈だ、という勿れ。たとえ素粒子aとbであっても同じことである。aとbは存在している空間が違う。決して同じとは言えない。

1+1はいわば原因である。2は結果だ。人は1+1が2になることは知っている。しかし、2になるのはなにも1+1に限らない。

結果が2になる計算式は理論的には無限にある。だから、2だけを見て、その原因が1+1だったからとは絶対に言えない。

2はあらゆる可能性の中から生じたものなのである。

一体おまえさん何が言いたいのだ。

この世の現象は、2にせよ3にせよ、123456789にせよ、全て最初からその原因は決まっていた、ということである。123456789になったのは、123406789に50000が足されたからだった。あるいは41251632が3倍されたからだったのである。

わたしたちは、123456789という結果(現象)を見て、その原因が123406789に50000が足されたからであると納得する。それはそうなるわな、と。

つまりは全て後追いなのである。

123406789に50000を足すなどということは、無限の可能性の一つなのだから、先に予想などできないのだ。

わたしたちは、最新の医療をもってしても未だ癌を克服できない。ウィルスの治療薬にしろ、さまざまな試行錯誤を莫大な労力と金をかけても未だに開発できないでいるのだ。

ウィルスにしろ癌にしろ、免疫を逃れるために千変万化を繰り返す。免疫はその変化に追従するミサイルのようなものである。

誰も先を読めないのだ。それがこの世の基本的な原理なのである。先は読めないが、この宇宙という壮大な本に書かれていることは最初から最後まで決まっているのである。

シュレディンガーの猫202205222155jstが生きているか死んでいるか、というより、そんな実験が行われなかったこともこの本には書かれている。