平和を叫ぶことの意味

ヘンリーデービッドソローのウォールデンの中に蟻の戦闘を観察、記録したものがある。

黒蟻と赤蟻の戦いであるが、ソローがそれを楽しんで見ていることがよく分かる。そしてその戦いを擬人化というか、蟻人化して、こんなふうに記している。

 

省略

 

考えてみれば当たり前のことだが、この蟻たちに平和(共存)という選択肢はない。

そんな彼らに平和を説くことができるであろうか?

彼らの遺伝子には、神(わたしは無神論者を自認している)より与えられた最も合理的な遺伝子が組み込まれている、はずである。その彼らに戦争を止めろと説ける者がいるとしたら、それは神以上の存在ではないだろうか。

蟻に限らず、両者に共存の選択肢がないから戦争が起きるのである。

生物の中には、というよりも殆どの生き物は、お互いが助け合って生きている。それが共生と呼ばれるものであり、共存共栄という好ましい姿になっている。

しかし、これは互いが異種の生き物である場合がほとんどで、我々人間にしても腹の中に何百億、何千億もの腸内細菌を飼っていて、彼らのお陰で健康を保っているようなところがある。

同種間では、無限の繁殖が不可能な以上、いずれ戦いは起きる。それがこの地球上で延々と繰り広げられてきた変わることのないドラマなのである。

そう考えれば、戦争は常態であって、平和は稀有な状態であると言ってもよい。

わたしたちは、今平和の中にいる。と思っているが、その平和の中でも細かな諍いや裁判沙汰や暴力事件、犯罪が日常的に起きている。

ひとりひとりの頭の中でも様々なさざなみや時化や暴風雨が吹き荒れていることもある。

平和を説く者は、まず己の中の暴風雨を治めることから始めるのがよい。