Appleのこと、失楽園のこと

アップルといえば、当然ながら林檎のことだが、今やコンピュータカンパニーの名前として使用されることの方が多いのではないか。

私もアップルと聞けば、紅玉やふじ、つがるよりもスティーブ・ジョブズの顔やLOGOが思い浮かぶ。

 

そのLOGOについてだが、私は誰が如何なる理由でApple という商標にしたかは知らない。しかし、次のように解釈して自分なりに納得している。

林檎は、イブに唆されてアダムが食べた禁断の果物である。聖書によると、このために人間は他の動物たちのように楽園内に住むことを許されず追い出されてしまった。

Apple社はこのことを踏まえた上で商標にした。人間を楽園から追放する原因となったフルーツを会社の顔にしたのである。

なぜか?

私は、もしもジョブスが商標を考えたのであれば、彼一流のサーカズムが込められているのだと思う。

再びなぜか?

商標の林檎は一口嚙りとられている。

だから、biteと二進法のバイト(bit eight)をかけたのだという説もあるようだが、私はそうは思わない。そうではなくて、いや、そういうシャレもおそらくあるのだが、それよりもこれはアダムが口にした林檎ですよ、ということを暗示しているのだと考える。

すると、ジョブズは自らが創立した会社が決して人間を幸福にはしないことを「知って」いたことになる。

 

元の聖書物語は、非常に良くできた作り話である。私はそう思っていた。

しかし、少し違うのではないか、と近頃では思うようになった。

どういうことか? 私たちは太古の人々を少し軽んじていて、彼らが今を生きる私たちと同様に犬や猫や家畜をよく観察し、彼らが自分達よりも幸福であることに気がついていた。そして、その理由を色々と考えてみると、その根本的な違いがいわゆる智慧を持つか持たないかであり、余計な智慧を持つことが不幸の種であると知ったのである。そうして失楽園のような寓話が生まれた。

ジョブズも当然にこのくらいのことは分かっていた。分かっていながら、いや分かっていたからこそ、彼はApple命名したのである。