ノーヘル平和賞2

2014/10/10 12:50

九条にノーベル平和賞だ、とか。

開いた口が塞がらない。狂犬病だろうか。

いや、これはオバマにくれてやった以上にたちが悪い。

九条は、そもそも人間ではない。仮にそのアイデアに対して与えてやろうというのであれば、その発案者は日本人ではない。アメリカ人に対して与えるべきである。

アメリカ人は、首都東京に焼夷弾を雨のように降らせ、何万、何十万という無辜の、赤ん坊からお年寄りまでを焼き殺した。
さらに核の実験場にすべく、いくつもの核爆弾を落とす予定でいたが、思ったよりも早く日本が無条件降伏したので、二つだけ落とすにとどまった。

日本が無条件降伏すると、彼らはやりたいことのやり放題。日本の文化を異端のものとして徹底的に刈り取ろうとした。

そして、まことに親切なことに九条付きの憲法をプレゼントして出て行った。
今わが国はこの九条のおかげで窮状に陥っているといっても過言ではない。
ちなみに、この「わが国」というごく当たり前の言葉さえ、使うことを憚られるのだという。これは、ナショナリズムの発揚につながるから、とかの馬鹿げた理由によりGHQにより制限されたのだ。

その他にも日本人が知らない制限が戦後数知れぬほどかけられている。

いったい、九条にノーベル賞を、などと進言する人たちというのは・・・、まさか日本人ではあるまい。

 

Lobo, the king of Currumpaw

2014/09/29 13:06


Currumpaw is a vast cattle range in northern part of New Mexico. This is a land of rich pastures and teeming flocks and herds, a land of rolling mesas and precious waters that at length unite in the Currumpaw River, from which the whole region is named. And the king whose despotic power was felt over its entire extent was an old gray wolf.

Old Lobo, or the king, as the Mexicans called him, was the gigantic leader of a remarkable pack of gray wolves, that had ravaged the Currumpaw Valley for a number of years. All the shepherds and ranchmen knew him well, and, wherever he appeared with his trusty band, terror reigned supreme among the cattle, and wrath and despair among their owners. Old Lobo was a giant among wolves, and was cunning and storng in proportion to his size. His voice at night was well-known and easily distinguished from that of any of his fellows. An ordinary wolf might hawl half the night about the herdsman's bivouac without attracting more than a passing notice, but when the deep roar of the old king came booming down the canon, the watcher bestirred himself and prepared to learn in the morning that fresh and serious inroads had been made among the herds.

Old Lobo's band was but a small one. this I never quite understood, for usually, when a wolf rises to the position and power that he had, he attracts a numerous following. It may be that he had as many as he desired, or perhaps his ferocious temper prevented the increase of his pack. Certain is it that Lobo had only five followers during the latter part of his reign. Each of these, however, was a wolf of renown, most of them were above the ordinary size, one in particular, the second in command, was a veritable giant, but even he was far below the leader in size and prowess. Several of the band, besides the tow leaders, were especially noted. One of those was a beautiful white wolf, that the Mexicans called Blanca; this was supposed to be a female, possibly Lobo's mate. Another was a yellow wolf of remarkable swiftness, which, according to current stories had, on several occasions, captured an antelope for the pack.

It will be seen, then, that these wolves were thoroughly well-known to the cowboys and shepherds. They were frequently seen and oftener heard, and their lives were intimately associated with those of the cattle-men, who would so gladly have destroyed them. there was not a stock-man on the Currumpaw who would not readily have given the value of many steers for the scalp of any one of the Lobo's band, but they seemed to possess charmed lives, and defied all manner of devices to kill them. They scorned all hunters, derides all poisons, and continued, for at least five years, to exact their tribute from the Currumpaw ranches to the extent, many said, of a cow each day. According to this estimate, therefore, the band had killed more than two thousand of the finest stock, for, as was only too well-known, they selected the best in every instance.

The old idea that a wolf was constantly in a starving state, and therefore ready to eat anything, was as far as possible from the truth in this case, for these freebooters were always sleek and well-conditioned, and were in fact most fastidious about what they are. Any animal that had died from natural causes, or that was diseased or tainted, they would not touch, and they even rejected anything that had been killed by the stockman. Their choice and daily food was the tenderer part of a freshly killed yearling heifer. An old bull or cow they disdained, and though they occasionally took a young calf or colt, it was quite clear that veal or horse-flesh was not their favorite diet. It was also known that they were not fond of mutton, although they often amused themselves by killing sheep. One night in November, 1893, Blanca and the yellow wolf killed two hundred and fifty sheep, apparently for the fun of it, and did not eat an aunce of their flesh.

These are examples of many stories which I might repeat, to show the ravages of this destructive band. Many new devices for their extinction were tried each year, but still they lived and throve in spite of all the efforts of their foes. A great price was set on Lobo's head, and in consequence poison in a score of subtle forms was put out for him, but he never failed to detect and avoid it. One thing only he feared--that was firearms, and knowing full well that all men in this region carried them, he never was known to attack or face a human being. Indeed, the set policy of his band was to take refuge in flight whenever, in the daytime, a man was descried, no matter at what distance. Lobo's habit of permitting the pack to eat only that which they themselves had killed, was in numerous cases their salvation, and the keenness of his scent to detect the taint of human hands or the poison itself, completed their immunity.

ノーヘル平和賞

2014/09/25 10:19

わたしがノーベル賞など貰わなくてよかったと思うのは、オバマのへっぴり腰を見てのことだ。

なぜ今、イスラム国などが台頭し始めたのか。オバマが兵を引いたからである。
その挙句、効果の疑わしい空爆などを行い始めた。地上戦に巻き込まれてアメリカ人の血を流したくないのである。
そんな事態になれば、ノーヘル平和賞に傷がつくというものだ。

つくづく賞などというものは、人を腐らせる。

あの・・・、なんという作家だったか、ノーベル文学賞授章の名誉には与ったが、文化勲章は突き返したとかいう男。彼はよく自分を弁えていた。
ノーベル賞は誰でも受けられるが、こと文化勲章となると、これは畏れ多くも天皇陛下の御璽の押されたものを陛下直々に授けられるのである。果たして彼にその資格があるや、と訊かれたときに、おそらく彼は躊躇いを覚えたのであろう。己をよく弁えていたのである。

いや、そんなことはどうでもよかった。

ノーヘル平和賞である。こんな賞は、平和の象徴とかいわれる鳩と同じでまったく不要である、とわたしは思う。

特に政治家が(国家を代表する)このような賞を受けるのは百害あって一利もない。

チャーチル文学賞を受けた。文学にも秀でた才能を持った政治家であったからである。
彼はナチスドイツに対し、徹底抗戦した。これが平和への貢献であったことは疑いない。

軍縮を唱えたり、あるいは核兵器の削減を訴えるのは、必ずしも平和に貢献することにはならないであろう。それは、核を大量に持つことが自国の負担になるから、仮想敵国と歩調を合わせて徐々にその量を減らしていこうというだけのことであって、量を減らす代わりにより高性能のものを持つことを否定しているわけではない。

平和を実現するなどということは、如何に知恵を絞ってもできることではない。世界中の賢人が何百人と集まっても、平和は実現できないどころか、直ちに彼らの間で論争という小さな戦いが起きることは明らかである。

日日是好日

2014/09/20 14:14

Epistle By Alexander Pope

Of the nature and state of Man with respect to Universe.

X. Cease then, nor order imperfection name:
Our proper bliss depends on what we blame.
Know thy own point: This kind, this due degree
Of blindness, weakness, Heav'n bestows on thee.
Submit.--In this, or any other sphere,
Secure to be as blest as thou canst bear:
Safe in the hand of one disposing pow'r,
Or in the natal, or the mortal hour.
All nature is but art, unknown to thee;
All chance, direction, which thou canst not see;
All discord, harmony, not understood;
All partial evil, universal good:
And, spite of pride, in erring reason's spite,
One truth is clear, Whatever is, is right.

ブルーリボン

2014/09/18 15:48


安部総理を見ていて感心するのは、その胸にいつもブルーリボンが付いているということだ。
自民党系の国会議員、特に閣僚たちももちろん付けている。一方、野党はどうかと言えば、ほとんど付けている方は見受けられない。民主党しかり、社民党しかり、である。

わたしも実はブルーリボンバッジを一個持っている。めったに付けることはないが、それでもいざ鎌倉のときには胸に誇らしく付けるつもりである。
たかが500円のなんてことはない代物ではあるが、国会議員がこれを付ける付けないは根本的な意味を持つ。

日本国民の拉致という重大な問題をどう捉えているのかという、国民の代表としての「根本」を問われているのだ、とわたしは考えるからである。

吉田調書

2014/09/12 08:17

・・・調書の中で菅元首相は、事故の翌朝に第1原発を視察した理由について「(東電側と)コミュニケーションがスムーズに行かず、現場の責任者と会って話をした方がいいと判断した」と説明。枝野氏らが視察に反対したことには「どの程度強く反対したかは、そんなに意識はない」と語った。
これに対し、細野豪志首相補佐官は「私は指揮官が(官邸を)離れることに反対だったが、性格からいってあの人は絶対行くと思った。ものすごくあの人は苛烈な性格だ」と指摘。「今考えたら、ものすごく大きなリスクだった。(視察を)止めなかったという自責の念もあった」と反省の弁を述べた。

後藤田正晴氏:「あの男だけは総理大臣にしてはいけない。日本が潰れる」


民主党政権、そして菅直人がいかにとんでもない政権、輩であったかが非常によく分かる。

ドリアングレイの肖像画

2014/08/31 12:08


ドリアングレイの肖像画は、魅力あふれる作品である。わたしは、これをシンボリズムの傑作として捉えている。

ドリアングレイという主人公の名は、わたしの勝手な推測だがローエングリーンから来ている。オスカーワイルドは、きっとワーグナーが好きだったはずだ。

ワーグナー、そのパトロンであったルートビヒ2世、そしてオスカーワイルドは、耽美主義者であった。美こそが人生において求めるべきものであった。

ドリアングレイにおいても、美はさまざまな宝石や花や香りとなって、あるいは悪徳の数々となって作品のあちこちに鏤められている。

そしてなにより、ドリアングレイの肖像画こそがその美の象徴である。
しばらく世間から姿を隠していたバージル画伯が精魂込めて描いた美青年ドリアングレイの肖像画。それは、バージルの友人であるハリー卿にアドニスの姿や斯くあらん、と云わしめるほどのものであった。
一方で、その絵のモデルであり、絵の所有者ともなったドリアングレイは、ハリー卿の巧みなエスプリに感化され次第に悪徳に手を染めてゆくことになる。

変わらぬはずの肖像画。そして、人生の垢に染まり、シミや皺を増やし老いさらばえていく、はずの美青年。
しかし、この小説の中では、醜くなっていくのは生身のドリアングレイではなく肖像画の方なのである。

オスカーワイルドは、いったい何を描こうとしていたのだろうか。

内面と外見との相克。これには間違いない。
ドリアングレイの生身の姿は、寄る年波とは何ら関係なくアドニスのごとく美しい。恋人を自殺に至らしめようと、阿片をやろうと、殺人を犯そうと、その姿かたちにはなんらの変化をもたらさない。

醜く変貌していくのは肖像画の方なのである。ドリアングレイだけがその秘密を知っている。知っているからこそ、彼はその露見を恐れ、大きな自宅の決して開けられることのない部屋の一隅にその絵を押し込み、さらに分厚いドレープで覆い隠すのだ。

さて、オスカーワイルドが真に描きたかったのは本当に内面と外見との相克ということであったのだろうか。

それを知る手掛かりが、後で加筆されたと思われるプレフェースにある、とわたしは思う。

それを読むと、彼は、倫理や道徳、それに実用や教訓的なものを芸術とは無関係としていたことが分かる。芸術には、作者も関係なければ、これら世俗的なものも一切関係ない、と彼は述べている。

その冒頭彼は、芸術家とは美の創造者である、と述べている。とするなら、ドリアングレイの肖像画において、オスカーワイルドが描きたかったのは美そのもののはずである。

つまり、彼が真に描きたかったのは内面と外見の相克などといった、教訓的、あるいは倫理的な、いわゆる深読みを要するようなものではなく、もっと表面的なものであった可能性がある。
そして、この点において、彼は間違いなく成功を収めている。

それは、ハリー卿のウィットとエスプリに富んだ会話であり、また肖像画と生身の人間との相克というアイデアそのものである。

この作品に読者が感じるであろう魅力を、魅力そのものをオスカーワイルドは描きたかったのである。