連翹の咲く見るたびに思い出す亡き母詠いし歌亡き妹の歌
世界を消すのは簡単だ
と思ったことはないだろうか?
その通り。世界は、いや世界と言おうが宇宙と言おうが、今あんさんの生きているこの世はすぐに、手品のように消してしまうことができる。
その通りだ。
あんさんが死ねばいいだけのことだ。
いやしかし、と疑問を唱える者は世界のなんたるかを知らないだけなのだ。
世界は実は「世界」を認識できるものの数だけあるのだ。
だから、あんさんの「世界」を消したければあんさんが死ねばいいだけのこと。
ただ、わたしが言いたいのは、そういうことではない。今、生きとし生けるもの全てが、いやもっと極端に言うなら、地球そのものが太陽に飲み込まれて消滅したとしても、この宇宙が消えるわけではないと考える人に対してである。
わたしは、そんな宇宙には何の意味もないと考える。
わたしやあんさんが生まれる前、世界はあっただろうか。
あった。だからわたしやあんさんが生まれることができた。
しかしである。もしも、わたしやあんさんが生まれなかったとしたらどうだろう。
世界は永遠に存在しなかった。違うだろうか。
いや、「わたし」が生まれなくとも世界は存在した、と言うひとに問いたい。あんさんは「生まれた」から、そう言えるのだ、と。
今、世界は存在している。なぜなら、わたしもあんさんも生きているから、である。
今、世界は存在している。
なぜなら、この世界はわたしやあんさんが生まれることを最初から予定していたからである。わたしやあんさんが生まれない世界など最初から存在しなかったのだ。
わたしやあんさんはこの世界と一体のものであり、世界の従属物ではない。
わたしやあんさんだけではない。今朝、散歩中に見かけた秋田犬も、昨日コンビニの外の椅子に座って齧りかけのパンのかけらを与えたヒヨドリも、今朝の雨後の朝焼けも、みんなみんな予定されていたものなのである。
現象のすべて、シュレディンガーの猫もアインシュタインの相対性理論も、量子もつれもスマホの登場もすべてが決まっていたことなのだ。
そんな世界もやがて消えてなくなる。わたしもあんさんもいずれ死ぬからである。
そしてそれもこの世界が予定していたことなのである。
なんと小さな世界に生きていることか
この世、というか、この宇宙を果てしないとか、無窮だとか、無限だとか、そんなふうに教えられたしそう思ってきた。
大きな間違いだった。
わたしたちは、何という狭い窮屈でまったく自由のない世界に生まれ生きていることか。今はそう、こころの底から思っている。
わたしが大きな人間だと言っているわけではもちろんない。
この宇宙はまったく、無限ではない。わたしたちは、DNAという4エレメントのコードでプログラムされ、この宇宙そのものもプログラムされた、閉じた系である。
そう思ったことがない者がいるなら、わたしはおめでとうと言ってあげよう。
なぜなら、わたしは数学に弱いが、いずれリーマン予想は解決するであろうし、piとeとの関係はとっくの昔にオイラーによって明らかになっている。
これらは、この宇宙が閉じていることの証左であり、宇宙が閉じていることはイコール我らの運命も最初から最後まで決まっている、ということである。
宇宙は狭い。我らは一回生を、予め定められた人生を生かされているだけなのである。
何という恐ろしいことであろう。わたしたちは、まったく宇宙と一体なのである。非常に精緻だが、小さな小さな一部に過ぎないのである
何という小さな世界に生かされていることか
この世、というか、この宇宙を果てしないとか、無窮だとか、無限だとか、そんなふうに教えられたしそう思ってきた。
大きな間違いだった。
わたしたちは、何という狭い窮屈でまったく自由のない世界に生まれ生きていることか。今はそう、こころの底から思っている。
わたしが大きな人間だと言っているわけではもちろんない。
この宇宙はまったく、無限ではない。わたしたちは、DNAという4ビットのコードでプログラムされ、この宇宙そのものもプログラムされた、閉じた系である。
そう思ったことがない者がいるなら、わたしはおめでとうと言ってあげよう。
なぜなら、わたしは数学に弱いが、いずれリーマン予想は解決するであろうし、piとeとの関係はとっくの昔にオイラーによって明らかになっている。
これらは、この宇宙が閉じていることの証左であり、宇宙が閉じていることはイコール我らの運命も最初から最後まで決まっている、ということである。
宇宙は狭い。我らは一回生を、予め定められた人生を生かされているだけなのである。
何という恐ろしいことであろう。わたしたちは、まったく宇宙と一体なのである。非常に精緻だが、小さな小さな一部に過ぎないのである
表皮上の些細なこと
人間の、人類の歴史などと大上段に振りかざしてみても、地球の表皮の、上っ面での、常在菌の運動に過ぎない。
やがて、ごっそりと大量の垢となってこそげ落ちる運命なのだ。
まったく人間になど何の価値もない。それを、やれ神が我々を作ったなどという者、それを信じる者、宗教は神の教えなどと嘯く者、いったい人間というのは、皆が皆、自己愛性パーソナル障害なのではないか。
自分たちが常在菌にすぎないことを自覚して、もっともっと謙虚に慎ましく生きられないものか?
世の中の生き物は、ヒト以外の生き物は皆謙虚であり、まさに「神」の教え通りに生きているではないか。
傲岸な人間どもよ。何世紀か後に、奇跡的に生きながらえて、仮に火星に居住地を作ったとしても、それは新たな惑星の垢になるだけのことではないか。
神を求めるが如く、いくら宇宙を探索しても、永遠に他の生き物に会えることはないだろう。
せめて、この惑星の近しい仲間たちが絶滅せぬよう、もう少し謙虚になって、同じ命を愛しみあうようなれないものか。