奔訳 白牙47

2017/07/13 12:34


ここには殺伐とした空気が流れていた。それは虫のようにぶんぶんと唸り声を上げている。絶え間なく続く緊張と突如として変化する状況は彼の神経と感覚を圧迫し、神経質で落ち着きなくさせ、今にでも何かが起こるのではないかという不安で脅かした。

彼は人間たちがキャンプを出たり入ったり、あるいは動き回る状態をよく観察した。それは、人間が自分たちが創造した神を崇めるのと少しばかり似ていた。彼らは超越した神の一種なのだ。彼のぼんやりとした理解の中では、人間は、彼らが考える神以上の奇跡を行う者たちであった。彼らは超越者であり、未知のもの不可能なものの振る舞いを我がものとし、命あるもの命なきものの上に君臨し、動くものを従わせ、動かぬものを動かし、そして乾燥した苔と木切れに命を吹き込んで日の色をした噛み付くものに変化させる。彼らは火の創造主! 彼らは神なのであった!

 

奔訳 白牙 47

2017/07/12 16:12


第二章  絆

白牙の日々は群との関わり合いの中に過ぎていった。その間、キッチェは棒に繋がれたままで、一方彼は何かを求め、あるいは何かを探し、あるいは何かを学ぼうとしてキャンプ中を走り回った。彼はすぐに人間というもののやり方を習得したが、かと言って、そのような慣れ親しみが嘲りになることはなかった。彼らのことを更に学ぶにつれ、その超越性が次第に明らかになり、彼らの神秘的な力を見せつけられるはめになり、その神がかり的な力に圧倒された。

人間のそのような力を見るにつけ、彼は自身の神聖な神殿がボロボロに壊されていくような悲哀を味あわされたが、そのような悲哀は、人間の膝元に平伏す狼や野犬には決して見られることのないものであった。
というのも、人間たちにとっての神とは、目に見えず、理解を超えた、現実という日の光に照らされれば幻想の霧や霞のごとく消えてしまうもの、あるいは力や良きものを求めて彷徨える生霊の如きものであり、現実的精神の中にぴょこっと突き出た察知不能のものであるが、人間のそれとは違い、彼ら狼や野犬にとっての神とは、彼らが焚火の傍に来て以来、生身の肉体を持つ、触れることのできる、時と空間を支配し、自らの死と存在意義のために時間を使おうとするものたちであった。このような神を信ずるに信仰は用をなさなかった。このような神は、その意志を見せつけることによって信心を勝ち得るのである。そこから逃れる手段はなかった。ただそこに二本の足で立ち、片手に棍棒を持ち、何をするか分からぬほどの力を持ち、情熱と天を衝く怒りとそして愛情に満ち、神性と神秘と力の全ては、切り裂けば血の流れる肉、他の生き物と少しも違わぬ喰えば美味い肉に覆われているのだ。

 

奔訳 白牙46

2017/06/04 13:12


キッチェが白牙の傷を舌で慰めるように舐めてやり、自分の元に引き止めようとした。しかし、好奇心が彼の内で暴れまわり、数分後には新しい冒険を求めて彼は飛び出していった。途中、彼は一人の人間に遭遇したが、それはグレイビーバーで、彼はしゃがみこんだ姿勢で地面にひろげた何本かの木切れと乾燥させた藻を相手に何かしようとしているところであった。白牙は傍までやってくると、じっとその様子を見つめた。グレイビーバーは口の中で何かブツブツ唱えていたが、白牙はそれが危険のないものと理解しさらに傍まで近寄った。

女子どもたちがさらなる薪を集めてグレイビーバーのところに持ってきた。そしてそれが起きた。白牙はグレイビーバーの膝に鼻が触れるほど近づいていたが、好奇心のあまりそれが恐ろしい人間であることを忘れてしまっていた。

突然、グレイビーバーの手の下、乾燥させた藻や木切から霞のようなものが立ち上がった。そして、木切の中から身をくねらせ捩りながら、空に浮かぶ太陽のような色をした生き物が現れた。白牙は火について何も知らなかった。それは洞窟の入り口の光が彼を引き寄せたように彼を引きつけ、幼かった頃のことを思い起こさせた。彼は何歩か火に近寄って行った。彼はグレイビーバーが小さな声を上げて楽しそうに笑うのを頭上に聞いた。そうして、彼の鼻は炎に触れ、同時に小さな舌でそれを舐めようとした。

次の瞬間、彼の意識は吹っ飛んだ。全く未知の、木切や乾燥した藻のの間に潜んだ何者かが凶暴にも彼の鼻に噛み付いたのである。彼は後ろに跳びのきながら、驚きのあまり凄まじい泣き声を上げた。その声にキッチェが唸り声を上げ飛び出そうとしたが、棒が邪魔をして助けに行くことができない。そのもどかしさから彼女は凶暴な怒りに猛り狂った。その一方、グレイビーバーはけたたましい笑い声を上げ、膝を叩いて周りの者たちに今何が起きたかを告げたのでキャンプ中が笑いの渦に飲み込まれた。白牙は独り、人間たちの間でその小さな身体をしゃがませて哀しげに泣きに泣き続けた。

これは彼にとっての最悪の出来事であった。鼻と舌の両方が陽の色をした生き物によって焼かれ、その生き物は今、グレイビーバーの手の下でさらに大きくなっている。彼は間断なく泣き続けたが、その生々しい痛みの声がまた人間たちの一部に笑いの爆発を引き起こした。彼は舌で舐めて鼻の痛みを鎮めようとしたが、舌も火に焼かれていたため、二つの痛みは合わさってさらに大きな痛みとなった。彼はなす術もなく一層激しく泣くことになった。

しかしそれからしばらくすると、彼にも恥ずかしいという思いが起きてきた。彼には人間たちの笑いとその意味が理解できた。われわれはある種の動物がどのように笑い、どのような時に笑うかを知らない。白牙にしても人間たちの笑いの意味が分からなかった。しかし彼はついにその意味を理解し、そして恥ずかしくなったのである。

彼は身を翻して逃げ帰ったが、それは単に火が恐ろしかったからではなく、人間たちの嘲笑というもっともっと深く食い込んで自分を傷つけプライドを切り裂くものから逃避したのである。彼はキッチェの元に逃げ帰り、彼女を、世界中でただ一人、彼のことを決して笑い者にしない者を縛り付けている棒の端に狂ったよう怒りをぶちまけた。

黄昏が舞台の袖に引き、夜の帳が降りるころ、白牙は母親の傍に横になっていた。鼻と舌はまだ痛んだが、それよりも彼はもっと大きなことに悩まされていた。ホームシックだった。彼の心にはぽっかりと大きな穴が空き、静かなせせらぎや崖の上の洞窟が恋しくなったのである。人生が余りにも急激に賑やかになりすぎた。多くの人間の男や女たち、それに子供らのすべてが煩く騒がしく思われてしようがなかった。それに犬どもも絶えず騒いでは咬みつきあったり唸りあったりしており、それがときに大騒動にまで発展する。彼の知る静謐で安穏としたただ独りの生活は遠いものになってしまったのだった。

ここには殺伐とした空気が流れていた。それは虫のようにぶんぶんと唸り声を上げている。絶え間なく続く緊張と突如として変化する状況は彼の神経と感覚を圧迫し、彼を神経質で落ち着きなくさせ、今にでも何かが起こるのではないかという不安で脅かした。

彼は人間たちがキャンプを出たり入ったり、あるいは動き回る状態をよく観察した。それは、人間が自分たちが創造した神を崇めるのと少しばかり似ていた。彼らは超越した神の一種なのだ。彼のぼんやりとした認識では、人間は、人間が考える神以上の奇跡を行う者たちであった。彼らは超越者であり、未知のもの不可能なものの振る舞いを我がものとし、命あるもの命なきものの上に君臨し、動くものを従わせ、動かぬものを動かし、そして乾燥した苔と木切れに命を吹き込み日の色した噛み付くものに変化させる。彼らは火の創造主! 彼らは神なのである!

 

奔訳 白牙45

2017/05/23 20:20

両親は、自分と少しばかり違っているというだけであったが、しかし、ここに突然、一見して自分と同じ種と分かる生き物が現れた。そして、一目会った瞬間から、彼らが彼を殺そうとばかりに襲いかかってきたことに、彼は隠然とした怒りを覚えたのである。と同時に彼は、如何にそれが優れた人間たちによるものであるとしても、母親が棒によって拘束されていることが我慢できなかった。そのような拘束は、罠を思い起こさせた。尤も、彼には罠についても拘束についても何も分からなかったのだが。

あちこちを嗅いで周り、あるいは走り回り、自分の意思で横になること、これは祖先伝来の彼が受け継いできた自由であった。しかし今、ここではそれが侵害されている。母の行動範囲は棒の長さによって制限され、同時に棒の長さは、母のそばへ近寄らせない彼への規制ともなっているのである。

彼はそれが気に喰わなかった。それに彼は、小さな人間の子供が棒の片方を持って母を後ろに従えて行進し、その後を自分が歩かされて新たな事態の出来に出喰わす羽目になることにも困惑し、また大いに不安を感じた。

彼らは川の流れに沿って谷を下って行ったが、やがて谷が消え川がマッケンジー川に合流すると白牙は遥か先まで展望が開けるのを見た。そこではカヌーが棒の先に高く吊り下げられ、魚を干すために棚が作られ、キャンプが出来上がっている。白牙はそれを畏敬を込めて見ていた。人間たちの超越性については、まったく何かを目にするたびにその思いを強くさせられる。ここに沢山いる牙の鋭い犬たちを支配しているのも彼ら人間の超越性であった。それは、まさに力の息であった。しかし、この小さな狼の仔にとって、それよりも驚異なのは彼らが生きてはいないものに及ぼす力であり、彼らが動かぬものと意思疎通を図り、彼らの世界の上っ面を変えてしまう力であった。

こういったことは彼に感銘をを与え続けた。柱による骨組みが彼の目を捉えたが、それ自体は彼にとって意味をなさなかったが、これらは棒や石を長い距離飛ばすのと同じ生き物がやっていることなのである。しかし、棒による枠組みが出来上がり布や革で覆ってティピィーが完成すると、白い牙は驚嘆した。それは巨大で彼をびっくりさせるに十分だったのである。それらは、まるで巨大な怪物が息を吹き込まれたように、彼の周りのあちこちに出現し始めた。そして彼の視界をすべて遮ってしまうほどになった。彼はそれが恐ろしかった。それらは彼に覆いかぶさるように、不気味に思われたのである。一陣の風が吹くと、それらは皆一斉に揺れ動き、彼は恐ろしさのあまり縮み上がりながらも弱々しい目をそれに向け、もしもそれらが彼に襲いかかってきたら跳んで逃げようと準備万端怠らなかった。

しかし、しばらくするとそんな不安も消し飛んでしまった。彼は女や子供たちが何の障害もなくそれらを出たり入ったりするのを見たし、また犬たちが中に入ろうと試みる姿を何度も目にし、その度に鋭い怒声を浴びせられたり、あるいは石を投げつけられるのを見たからである。

しばらくして、彼はキッチェの元を離れると間近のティピーの壁に向かって用心深く這い進んだ。彼の中で膨らんでいく好奇心のなせる技であった。これこそが学習や生きる術や行動を促がし、経験となっていくのである。ティピーの壁までのほんの数インチは、痛々しいほどに遅くビクビクしながらのものであった。この日の出来事は、彼にそれと知られず、彼のために、驚くべき、想像もつかぬ方法で現実化するよう用意されていたのであった。


遂に彼の鼻先がキャンバスに触れた。彼はじっと待った。何も起きない。次に彼は、人間の臭いが染みた不思議な繊維を嗅いでみた。彼はそれを歯で捉えると、少しばかり引いてみた。何も起こらなかったが、ティピーの隣部分が動いた。彼はさらに激しく引いた。大きな動揺。嬉しくなった。彼はさらに激しく何度もティピー全体が動くまで引いた。すると中から鋭い女の叫び声が上がり、彼はびっくりしてキッチェの元に逃げ戻った。しかしそれからは、彼はティピーの覆いかぶさるような姿にちっとも驚かなくなった。

しばらくして、彼は再び母親の庇護から離れて辺りをうろつきまわりはじめた。彼女をつないだ棒は地面にペグを使ってつながっており、彼女は彼の後を追うことができないのだ。彼よりも少しばかり大きく月数も彼より少しばかり多いと思しき仔犬が偉そうな、好戦的な態度でゆっくりと近づいてきた。この仔犬の名前は、白牙は後になって彼がそう呼ばれているのを聞いて知ったのだが、リップリップだった。彼は仔犬たちの中では歴戦の強者でいじめ屋として通っていた。

リップリップは白牙と同じ系統であり、仔犬であることから危険には見えなかったので、白牙は友好的な気持ちで彼に接しようとした。しかし、突如彼の足つきが強張り、唇が後ろに引かれて歯が剥き出しになったのを見て、白牙も硬直し、同じように唇を引いて応えた。彼らは半円を描いて回りながら、互いに毛を逆立て唸りあった。これは数分lほど続いたが、白牙はこれを遊びの一種と思って面白がり始めた。しかし突然、驚くべき速さで、リップリップが飛び掛かってきたかと思うと、牙の一閃を浴びせ、そのまま後ろへ飛び下がった。その一閃は、大山猫との闘いで骨にまで達した肩の傷に響いた。驚きと痛みから白牙は叫び声を上げたが、次の瞬間、彼は憤激からリップリップに飛び掛かって行き、激しく牙を浴びせようとした。

しかし、リップリップはずっとインディアンキャンプで生活しており、数々の仔犬同士の喧嘩を経験していた。3回、4回、6回、と彼の鋭い小さな牙は、新参者が恥ずかしげもなく泣き声をあげながら母親の庇護の元へ逃げ帰るまで続いた。

これは彼にとって、リップリップとの間で数え切れぬほど繰り返される喧嘩の初回であったが、この二匹は生まれた時からそのように運命付けられていたのであり、いずれどちらかが殺されるまで終わらないものだったのである。

キッチェが白牙の傷を舌を使って慰めるように舐めてやり、彼女の元に引き止めようとした。しかし、好奇心が彼の内で暴れまわり、数分後には、彼はまた新しい冒険を求めて飛び出していった。

彼は途中で一人の人間に遭遇したが、それはグレイビーバーで、彼はしゃがみこんだまま地面にひろげた何本かの木切れと乾燥させた藻に何かをしようとしているところであった。白牙はその傍までやってくると、じっとその様子を見つめた。グレイビーバーは口の中で何かブツブツ言っていたが、白牙は、それが危険のないものと理解しさらに傍まで近寄った。

奔訳 白牙44

2017/05/07 14:36

インティアンたちもまたその音を聞いた。狼の仔はその音が何かを知っており、最後に泣き声というよりも勝利の雄叫びのような、長い鳴き声を一つあげると、それきり泣き止んでじっと母親の、凶暴で決してなにものにも屈することのない、闘えば何であろうと殺して、恐れを知らない母が自分の元にやって来るのを待っていた。彼女は走りながら唸り声をあげていた。彼女はわが仔の泣き声を聞き、急いで駆けつけたのであった。

彼女はインディアンたちの真っ只中に飛び込んだが、その母性の、わが仔に対する思いの織り成す光景は美しいものであった。一方、仔狼にとっては、母の自分を守るための怒りは嬉しいものであった。仔狼は嬉しくて小さな鳴き声をあげると母の元に近寄ろうとし、逆に人間たちは慌てて何歩か後退りした。雌狼は仔を庇って立ったまま毛を逆立てて人間たちと対峙し喉から深くて低い雷鳴のような唸り声をあげた。彼女の顔は敵意にゆがみ、鼻の皺は目の縁まで寄っていたが、何よりも恐ろしいのはその唸り声であった。

しかし、そのとき一人のインディアンから叫び声が上がった。
「キッチェ」というのがその声であった。それは、驚きのあまり発せられたものであった。仔狼は、その声を聞いた母親がたじろぐのを見た。
「キッチェ」男が再び叫んだが、今度はより鋭く確信に満ちたものであった。

そして灰色の仔は、彼の母が、雌狼が、あの恐れを知らぬものが、腹を地面にくっつけて伏せ、尾を振りながら甘えるように鳴き屈服するのを見た。灰色の仔にはまったく理解ができなかった。彼は退け反らんばかりに驚いた。人間に対する畏敬の念が再び彼を襲った。彼の本能は本物だったのだ。彼の母親がその証左であった。彼女もまた、この人間たちには屈服せざるを得ないのである。

彼女を呼んだ男が彼女のそばまで近寄ってきた。その男は手を彼女の頭に載せたが、彼女はただ姿勢をより低くしただけであった。彼女は噛みつきもしなければ噛み付こうともしなかった。他の男たちも近くまで寄ってきて、彼女を取り囲こみ、撫でたり触ったりしたが、彼女は怒る様子さえ見せなかった。彼らは皆興奮し、口々に何かを発し始めた。彼らの発する音が危険なものではないことを灰色の仔は母親のそばでしゃがみ込んだまま感じ取っていたが、時に全身の毛が逆立とうとするのを堪えるので必死であった。

「考えてみれば合点がいく」とインディアンの一人が言った。「彼女の父親は狼だ。これは事実だ。母親は犬だった。たしか俺の兄は、盛りの時期にその雌犬を森の中に三日三晩繋ぎっぱなしにしたのではなかったか? いずれにせよ、キッチェの父親は狼だ。

「彼女が逃げてからもう一年も経つぜ、グレイビーバー」と他のインディアンが言った。

「いや、ちっとも不思議じゃねぇよ、サーモンタン」とグレイビーバーが答えた。「あれは犬にやる食い物もねぇほどの飢餓のときだった」

「そして彼女は狼どもと一緒になったというわけだ」ともう一人のインディアンが言った。

「どうやらそんなことのようだなスリーイーグル」と、グレイビーバーが灰色の仔の頭に手をやりながら言った。「こいつがその証というわけだ」

灰色の仔は、手が触れると少し唸り声をあげたが、手が翻って殴ろうという気配を見せたのですぐに牙を隠し服従の素振りを見せたが、その手は彼を殴る代わりに彼の耳の後ろを撫で、続いて彼の背中を前、後ろと撫で始めた。

「こいつがその証拠だ」と、グレイビーバーは続けた。「こいつの母親がキッチェということは明らかだ。しかしこいつの父親は狼だ。ということは、こいつの血は犬が少しで狼がほとんどということだ。こいつは今白い牙を剥きやがったから、白い牙という名がいいだろう。今言ったように、こいつは俺の犬にする。キッチェは俺の兄の犬だったわけだろ? それにその兄弟は死んでいねぇわけだからな」

こうして灰色の仔は、この世で初めて自分の名がつけられるのを横になったままみつめていた。それからしばらくの間、人間たちは何かを喋りあっていた。そして、グレイビーバーが首から下げていた鞘からナイフを抜き出すと、藪の中に入って行き、棒を一本切り取ってきた。白い牙はそれをじっと観察していた。グレイビーバーは、棒の両端に切れ目を入れると、その切れ目に革の紐を結びつけた。紐の片方をキッチェの首に結び付けると、彼は小さな松の木のところまで彼女を連れて行き、もう片方の紐をその松に結びつけた。
白い牙はその後を着いて行き彼女のそばにしゃがみ込んだ。サーモンタンの手が彼の方に伸び、彼を後ろに転がした。キッチェは気遣わしげにその様子を見ている。白い牙は恐怖で一杯になるのを感じた。彼は唸り声を抑えきれなかったが、噛みつくこともできない。すると、その手は折れ曲がって広がり、彼の腹をじゃれあうように撫で回し、彼を右に転がしたり左に転がしたりし始めた。

 

奔訳 白牙43

2017/05/05 13:11

火を起こすもの

灰色の仔は、いきなりそこにやってきた。彼の落ち度であった。彼は不注意だったのである。彼は、水を飲もうと洞窟を出て川までやってきたのである。睡眠不足のためか頭が重かった(夜通し狩りに出ていて、今起きたばかりだったのである)。それと、不注意だったのは、その川が慣れ親しんだものだったからかも知れない。ここには何度となく訪れていたが、これまでそのようなことは一度もなかったのである。

彼は松の木を通り過ぎ、開けたところを渡って林の木々の中を小走りに進んだ。そのとき、眼で見ると同時に臭いでも気がついた。彼の前に、静かにしゃがみこんでいる五つの生き物は彼がこれまで一度も目にしたことの無い類のものであった。それは初めて見る人間の姿だったのである。しかし、彼を見ても、彼らは腰を上げようともせず、歯も見せなければ唸りもしなかった。彼らは身動きもせず静かにそして不気味にそこにじっとしているだけであった。

灰色の仔も身動きしなかった。彼の本能は急いで逃げるように告げているのだが、一方彼の中には突如として本能に抗おうとするものが湧き起こったのである。大きな畏敬の念が彼の中に生まれつつあった。彼は、自身の小ささや非力さに打ちのめされ動けずにいたのである。今目にしているのは、彼の想像を超える力と支配であった。人間を怖れよと本能が告げていた。微かに、人間とは野生の生き物の中で最も優れた生き物であると感じていた。それは彼独りの目を通してではなく、彼の祖先たちすべての目が彼の目となって人間を見ているのであって、その目というのは、数え切れぬほどの冬の暗闇に隠れ、遠くから、あるいは藪の深みから、円く取り囲むように、奇妙な二本足で立つ、そして全ての生き物を統べるものを見る目であった。その呪文、すなわち何世紀、何十世紀に及ぶ闘いと蓄えられた経験は、恐怖と畏敬の形となって彼の中にもしっかりと伝えられていた。その遺産としての呪文は、幼いお狼の仔には効きすぎた。もしも彼が十分に成長していれば、真っしぐらに逃げ出したであろう。しかし案の定、彼は恐怖に腰が抜けたようになって、彼の祖先が初めて人間と共に焚き火の前に腰を降ろし暖をとることを知ったときのように、半ば屈服してしまっていたのである。

一人のインディアンが立ち上がって彼の傍までやって来ると彼を見下ろす位置で立ち止まった。狼の仔は縮み上がって地面に伏せた。それは経験したことのない、生の血の流れる肉が、折れ曲がって最後には何かが投げ出されるようにしてさっと彼を掴もうとしたのである。彼の毛は知らぬうちに逆立ち、唇は後ろに引かれ小さな牙が剥き出しになった。彼を掴もうとした手はそのために躊躇し、彼の上でドームのようになって止まり、その男は笑いながら言葉を発した。「ワバム ワビスカ イップ ピット ター」(見ろよ、白い牙を剥き出しやがった)。

他のインディアンたちも大きな声をあげて笑い 、それでその男は狼の仔を拾い上げる決心をした。その手が下されるにつれ、闘争の本能がだんだんと沸き起こってきた。彼は二つの大きな衝動に突き動かされていたが、それは屈服するかそれとも闘うかであった。彼のとったのはその折衷案であった。彼は両方を一度にやろうとしたのである。彼は手が彼に触れる寸前まではじっと大人しくしていた。しかし一度手が彼に触れた瞬間、彼は稲妻のようにその手に噛み付いた。次の瞬間、彼は頭の片側を掌で殴られ横に転がされてしまった。もはや闘う気は消え失せてしまっていた。幼さと服従の本能がそれに取って代わった。彼は坐り直すと声を上げて泣いた。しかし、手を噛まれた男の怒りは収まっていなかった。狼の仔は反対側の頭を殴られ、今度はその方に転がった。その場に坐り直すと、彼は一層大きな声を上げて泣き始めた。

四人のインディアンたちはこれまで以上に大きな声で笑い出したので、殴った男もつられて一生に笑い出した。彼らは皆で狼の仔を囲んで笑い続けた、一方灰色の仔はその間も痛さと恐怖から悲しげに泣き続けた。そんな最中のことであったが、狼の仔は何かを耳にした。

 

奔訳 白牙42

2017/04/30 21:54

肩の傷は硬くなって酷く痛み、そのために彼は時々びっこをひいて歩かねばならなかった。しかし今、彼が見る世界は違っていた。彼はその世界に、大山猫との死闘以前にはなかった意気を感じ、堂々と胸を張って踏み入るようになった。彼は、人生をこれまでとは違って、はるかに残酷なものとして捉えるようになった。彼は闘い、その牙を敵の肉に埋める。そうして生き残ってきた。そうして、彼は一層勇敢になり、またその結果として反抗的にもなってきた。もはや些細なことを怖れなかったし、内にあった従順さは影を潜めたが、それでもまだ、未知のものに対する神秘や畏れ、五感の及ばぬものや脅威はずっと彼を掴んで離さずにいた。

彼は、母親と共に狩に出かけるようになったが、そうした中で彼は多くの獲物に出会い、狩の中で自分の役目を果たすようになった。そうして、ぼんやりながらも彼は肉の掟を知るようになっていったのである。その一つが世界には自分と同じ生き物と別の生き物がいるということであった。自分と同じ種とは母親や自分自身である。その他は、すべての動く生き物ののことであった。しかし、他の生き物はさらに分類が必要であった。一つは彼と同じ、殺して食うものである。さらにこれらは殺さぬものと小さな殺すものに分けられた。もう一つのものは、殺してその肉を喰うものであり、また逆に殺されてその肉を喰われるもののことである。このような分類は、すなわち掟となった。生の目的は肉である。生そのものが肉なのだ。生は他の生によって成り立つ。喰うものがあり、喰われるものがある。掟とは、喰うか喰われるか、なのである。彼は、この掟をはっきりと理論化したわけではなく、言葉や倫理にしたわけでもなかった。それどころか、彼は掟について考えたわけでもなかったのである。彼は、掟を思考するのではなく、あるがままに捉えたのである。

彼は、掟を周りで起きていること全てに適用させた。彼はライチョウの雛を喰った。また鷹はライチョウの母親を喰った。さらには、鷹は彼自身をも襲って喰おうとした。後になって、彼は大きくなって怖いもの知らずになったら鷹を喰ってやろうと思った。彼はすでに大山猫の仔を喰った。しかし、もしも大山猫の母親が死なずに彼の方が殺されていたら、大山猫の母は彼を喰ってしまっていたであろう。それが現実なのである。掟は彼の中に、そして生きとし生けるもの全ての中に息づいており、彼自身もその掟の一部なのだ。彼は肉を喰う獣なのである。彼の唯一の食物は肉であり、それも生きた肉、すなわち彼の目を賺してすばやく逃げ、空に舞い上がり、あるいは木の上に登り、あるいは土に潜り込み、あるいは彼と対峙し闘い、あるいは逆に彼を追い回すものたちなのである。

灰色の仔がもし人間のように考えるとしたら、生とは途方も無い食欲の具現であり、世界は種々多様の味に満ちた、追いつ追われつの、狩るか狩られるかの、喰うか喰われるかの、何もかもが暴力と無秩序に彩られた盲目の混乱、貪欲と殺戮のカオス、偶然と無慈悲と無計画の、決して終わることの無い統治、とでもなったであろうか。

しかし灰色の仔は決して人間のようには考えなかった。彼は物事を広くは考えなかったのである。彼は一つの目的、楽しみだけに集中し、一時に一つのことのみを考え、あるいは熱中した。肉以外にも彼には夥しい数の取るに足らぬ法や従わねばならぬことがあり、それらについて学ばねばならなかった。世界は驚きに満ちている。生の活動は彼の中にあり、躍動する筋肉は彼の尽きぬ喜びであった。獲物を追うのはスリルと絶頂感に満ちた体験であった。怒りも闘争さえも喜びであったのだ。恐怖そのもの、そして未知に対する神秘は彼の生そのものだったのである。

そして、そこに安らぎと満足があった。腹が満ち、陽射しの下で気怠い昼寝をすることは苦闘と苦難の報酬であったが、その苦難苦闘自体も報酬だったのである。それらは生の表現であり、生は、それを表現している限り常に喜びなのである。故に、世界が敵意に満ちていようとも、この狼の仔にとっては争うべきものではなかったのである。彼は意気揚々として生きており、幸福に満ち、自分を誇らしく感じていた。