再びノブレス・オブリージュについて

2010/03/30 20:56

「ソロモンの指輪」は、動物行動学者としてのローレンツの知見が各所に鏤められていて、生き物に興味のある人には大変魅力的な本である。

ところで、「ソロモンの指輪」とはどういう意味か御存知だろうか。

ソロモンはユダヤの王で、ミケランジェロ作「石を持つダビデ」の像で有名なあのダビデの息子である。このソロモン王については、猫好きには堪らなくなるような逸話がある。

ある日、ソロモンが転寝をしていて目が覚めたら、いつの間にか猫がその衣の袖を布団代わりに添い寝をしていた。ソロモンは、おやっと思ったが、気持ち良さそうに寝ている猫を起こしてしまうのが可哀想だったので、ナイフでその袖を切りとってしまった。
すると、それからしばらくしたある日、その猫が何かを銜えてきてソロモンの前にポトンと落とした。良く見ると、蜥蜴だった・・・、というのは嘘で、わたしの経験といつの間にかごちゃ混ぜになってしまっている。

冗談はさておき、ソロモンの指輪であるが、ソロモンはこれを神からもらったらしい。これを指にはめると動物や植物の言葉を解する能力が備わるという。
ローレンツは、この話から俺も少しは動物の気持ちが分かるんだぞという意味を込めてこのタイトルにしたものと思われる。

わたしも実は動物の言葉を理解することができる。しかし、同じ動物と言っても人間の言葉を理解するのはとても難しい。とにかく嘘が多すぎて・・・。

いつだったか、テレビを見ていると、動物園のサル山の光景を映していた。わたしは人語より猿語をよく理解するので、大変興味をもって見ていた。ひょっとしたら、自分でも気が付かないうちに「キッキー。キャッ、キャッ、キャァー」などと叫んでいたかも知れない。

ともかく、見ていると、一目でボスと分かる図体が大きくて毛並みの良い、ついでにお尻の方も真っ赤によく熟れた一匹のサルがしきりに何かに対して怒りを露わにしている。すぐにわたしも、いったい彼が何に対して怒っているのか分かった。

見ると、一匹の若い雌猿が仔猿の口を抉じ開け、その仔が口の中に一杯溜めていた麦を取り出して自分の口に放り込んでいるのだった。

誰が見ても明らかなルール違反である。卑怯極まりない所業である。まったくサルの風上にもおけぬと、その時、すっかり猿になりきってしまっていたわたしもボス猿の肩を持って「キッキ、キーキー」と叫んだ。訳すと「あんなずるい雌猿をそのままにしておくと、猿の沽券にかかわるぞ。なんとかしろ」となる。

きっと、わたしのこの呼びかけが聞こえたのだろう。ボス猿はものすごい勢いで雌猿に襲い掛かるとその腕に噛付いた。すると、その若い雌猿は「キッキ、キーキーキー」とけたたましい鳴声を上げた。「すみませんでしたボス猿様。もう二度としませんのでお許しください」という意味である。

たったこれだけの話であるが、わたしはこの光景を見て、ノブレス・オブリージュというフランス語を思い浮かべた。すなわち、高貴なる者の義務である。

ボス猿というものは、餌を与えられれば真っ先においしいものにありつける。彼より先に美味いものを手に入れようたって無理である。猿の社会は、人間以上に序列に厳しい。
けれども、ボスには特権だけがあって、何の義務もないかというと、上の例のようにそんなことはない。時には警察官、裁判官、刑務官、自衛官と一人三役も四役も兼ねねばならないことがある。

もう一つ例を挙げるなら、たしか狒々の仲間だったと思うが、雄同士で危険な豹の巣穴を襲うことがある。

なんのためか? 巣穴の中にいる豹の仔を殺すためである。残酷な話のようだが、これは狒々が安全に生きていくための防衛手段なのだ。
なぜなら、豹もまた狒々の仔を襲って殺すからである。その肉を我が仔に与えるために。

狒々たちは何頭もの雄でチームを組み、それぞれが見張りと実行役に別れて洞穴のような豹の巣に入る。もしも母親の豹が異変に気が付いて巣穴に飛んで戻ってきたら狒々たちの命もたちどころに危険に晒される。
しかし、彼らにもやはりノブレス・オブリージュというものがあるのだ。いわば雄としての誇りである。これがあればこそ、彼らは同じ仲間として、一人前の雄として認められるのである。

野生の社会においては、何をさておき勇気と正義こそが一番の徳目なのである。