一般相対性理論

2010/03/06 19:23


特殊相対性理論でさえ難解なのに、一般相対性理論なんてわたしなんぞに説明が出来るわけがない。と思いつつも書かずにはいられない。なぜか? それは、物理が大好きだからであり、物理学以上の宗教はないと思うからである。
一般相対性理論は良く理解できないが、家庭をも顧みずこれを追い求めたアインシュタインの気持ちだけは良く分かるような気がするのである。

前にも書いたが、アインシュタインは数学者ではなかった。数学の才能を伸ばす機会もあったのだろうが、それよりも物理の方を選んだ。この辺は、例のペレルマンとは対照的である。
ペレルマンは優れた物理的センスを持ちながら数学者の道を選んだ。ノーベル賞の代わりにフィールズ賞を選んだとも云えるかもしれない。しかし、今は騒がしい世間から逃れるようにひっそりと研究に打ち込んでいると聞くから、そのうちにノーベル賞受賞候補として名前が挙がるかも知れない。

それはともかく、アインシュタイン特殊相対性理論を発表した後、より一般的な空間での光の振る舞いを研究した結果、重力場の中で光が曲がるという発見に行き着いた。
これを説明するには昨日書いた「特殊相対性理論」と同様にロケットを使う。昨日はこのロケットの飛行速度は一定、つまり慣性系でのものであったが、今回はロケットが加速していると仮定して思考実験をするのである。
この仮定は、アインシュタイン自身が述べているように「生涯でもっとも幸福感を味わった」というほどのインスピレーションに拠るものであった。そのインスピレーションとは、重力と加速度が同じものであるという発見だった。

例えば、あなたがある高層ビルの100階から下に降りようとエレベーターに乗っていたとする。そのとき突然、かごを吊っていたロープが切れてあなたはカゴごと落下し始めた。おそらく、あなたにもしも髪の毛があったら、その髪の毛は悉く総毛立ち、あなたのメタボな身体からは一瞬にして体重は失われるであろう。つまり、あなたは只で無重力を味わえることになる。

しかし、このエレベーターが仮にシースルーのものだとすると、外からこれを見ている観測者は、あなたが速度を増しながら地上めがけて落ちていくのを観察するであろう。
つまり、足が地に付いた生活をしているうちはなかなか気が付かないことであるが、重力とはわたしたちを加速度的に地球の中心に向って引きつけようとする力なのである。

さて、この重力と加速度が等価であるとはどういうことか。これは、次のように考えてみれば良く分かる。
高性能な車に乗って急加速したときなどにシートバックに背中が押されるような感覚を経験したことがおありだろう。あの感覚である。あの力はG(gravityー重力の頭文字)と呼ばれるように重力とまったく同じものである。アインシュタインは、これに気が付いて、加速するロケットの中で光がどのような軌跡を辿るかを思考実験したのである。

な~んだ、簡単じゃんと思われた方。きっとあなたはアインシュタイン並みの知能の持ち主であるに違いない。かくいうわたしも実はそう思った。

さて、このロケットの中で一方の壁から他方の壁へ向って光を放つと、ロケットの外の観測者には、光は曲がって進んでいるように見える。
つまり時間を等間隔にt1、t2、t3・・・というふうにとり、このときの光の位置を平面上にプロットしていくと、それは放物線になる。この放物線というのは、地球上で石を空に向って投げたときに石が描く軌跡のことである。
このことから何が求められるか? ――重力により光が曲がるということである。質量というものを持たない光が重力の影響により曲がるのである。

ただ、アインシュタインは、光が曲がるという代わりに空間が重力の影響を受けて曲がっているというふうに考えた。あくまでも光はまっすぐに進んでいるのであるが、空間が曲がっているために光も曲がらざるを得ないのだと。

ところで、アインシュタイン特殊相対性理論を独力で完成させたが、一般相対性理論の完成を見るには多くの数学的天才の協力を求めざるを得なかった。幸いなことに、彼にはミンコフスキーなど数学的天才を知人に持っていた。

これは、喩えていうなら、アインシュタインは物理的な才能により真理という名の財宝の在り処を見つけた。しかし、そこは険しいジャングルの中の秘境で、途中までは何とか身体一つで進んできたが、ある地点からはどうしても何か蔓を切ったり、木を倒したり、あるいは岩をよじ登るための道具が必要になってきた。その道具というのが数学であり、それを彼に与えてくれたのがミンコフスキーたち数学の天才だったのである。

さあ、ここまで書いてきてさすがに疲れた。つづきはまた後日。