政治とユーモアの精神

2010/01/19 12:58

週刊新潮1月21日号、藤原正彦氏の「管見妄語」には思わず笑ってしまった。
「女性と数学者は年齢を偽ってもよい」と言った人がいる。私だったかも知れない。という書き出しで始まるコラムは秀逸である。

氏によると、女が年齢を偽るのは可愛い嘘として当然に認められるそうである。しかし、数学者の場合は分かりにくい、と書いている。

氏は数学者である。なぜ、その数学者が年齢を偽りたがるか? その理由は、古今東西、天才と言われる数学者はみな若くして大発見をしている。「数学者はみなこのような話を耳にしているから、三十を過ぎた頃から年齢に触れたがらなくなる。そういう天才たちに比べ自らの成し遂げたものが余りにも貧しく内心忸怩たる思いでいる」からだそうである。

この後に氏の母親の年齢詐称の話やイタリアでコートを買うときの店員と藤原夫妻との年齢を巡るやり取りが面白く書かれている。秀逸だと言ったのは、この軽妙洒脱な文章が「国家の品格」とも通底する高級なユーモアの精神をもっていて、思わずにやりとさせてくれるからである。

人生にユーモアは欠かせない。ユーモアがなければ、誰がこんな苦の世を生きれるものか、とわたしは思う。
イギリス人というのは苦境に陥れば陥るほど巧まざるユーモアの精神を発揮する国民らしい。第二次世界大戦勃発の折、1941年12月イギリス首相チャーチルアメリカを訪れ、

”Now we are masters of our own fate” 

と題する演説を行った。

この中でチャーチルは、会場の緊張した雰囲気、つまり氷を割るために次のようなユーモアで話を始めている。

「私の父親はイギリス人で母親はアメリカ人であります。もしも私の母親がアメリカ人でなかったら、私はかくも盛大な歓迎は受けなかったことでしょうな。そしてもしもこれが逆で、父親がアメリカ人で母親がイギリス人であったなら・・・、私はここに立ってはいなかったでしょう」

どうだろう? チャーチルは、アメリカに参戦を促すために自分がアメリカ人の母親を持つハーフアメリカンであるとまで言い、ユーモア巧みにアメリカ人をその気にさせてしまったのである。

チャーチルにはその他にも気の利いたユーモアというかウィットに溢れるジョークが数多くある。
ある女性議員。彼女はチャーチルを嫌っていて「もしもあなたのような人が私の夫だったら、私はあなたの紅茶に毒をいれるでしょうね」と議会で宣った。
するとすかさずチャーチル。「もしも私があなたの夫だったなら、迷わずそれを飲んだでしょうな」と答え、議会から大喝采を受けたという。

前にも書いたが、そのチャーチルはまた次のようにも言っいる。
「民主主義は最悪の政治体制である。しかし、これまでにそれよりもましな政治体制がなかっただけのことである」と。

日本にも国民をポピュリズムに陥らせない真に聡明で機知とユーモアに富んだ政治家に出現してほしいものである。
しかし、その前にわたしたち国民が今の政権のバカバカしさをとことん笑ってやるくらいのユーモアとウィットを身に着けなければならない。
チャーチルじゃないけれども、そうではなかったから、こんなお粗末なバカバカしい政権を誕生させてしまったわけだから。

追記.チャーチルの両院議会での演説の冒頭部分

I feel greatly honoured that you should have invited me to enter the United States Senate Chamber and address the representatives of both branches of Congress. The fact that my American forebears have for so many generations played their part in the life of the United States, and that here I am, an Englishman, welcomed in your midst, makes this experience one of the most moving and thrilling in my life, which is already long and has not been entirely uneventful. I wish indeed that my mother, whose memory I cherish across the vale of years, could have been here to see. By the way, I cannot help reflecting that if my father had been American and my mother British, instead of the other way round, I might have got here on my own. In that case, this would not have been the first time you would have heard my voice. In that case I should not have needed any invitation, but if I had, it is hardly likely it would have been unanimous. So perhaps things are better as they are. I may confess, however, that I do not feel quite like a fish out of water in a legislative assembly where English is spoken.