悪貨は良貨を駆逐するか

2010/01/20 19:28

ユリイカは、アルキメデスが比重の発見をしたときに感激の余り思わず発した言葉とされる。
アルキメデスは、王冠に含まれる金の量を調べるよう命じられた。王冠を作った職人が与えられた金の量を減らして銀を混ぜたとの噂が立ったためと言われる。
長い試行錯誤を重ねたアルキメデスは、ある日息抜きのためにか大浴場に入った。そのとき浴槽の縁から溢れるお湯を見て、突如として彼の頭に閃いたのが比重の原理だったのである。

しかしこの話は、アルキメデスの大発見とは別に、いつの時代にも悪知恵の働く奴がいることを図らずも教えてくれている。

前に「悪貨は良貨を駆逐する」というのを書いた。
良貨とは純金若しくは金を規定以上含んだ金貨のことである。悪貨とは金より価値の低い銀や銅などを多く含んだ偽物の金貨のことである。
では、何故悪貨は良貨を駆逐するのか。これは誰が考えても分かる簡単なことである。

前に悪貨は・・・を書いたとき、わたしは日本人が普通に持つ良心や徳を金に喩えたつもりであった。その金が多量に含まれた金貨、すなわち世界に誇るべき日本人の資質が悪貨に駆逐されるとなれば、これは大変なことである。

しかし、わたしはまだ本当に日本人の質が劣化したとは思っていない。日本人を本当に劣化させるつもりであれば後100年は優にかかるだろう。
いくら日教組などが頑張っても無理である。日本には2600年以上もの皇統の歴史がある。これを消し去ることなど、そう簡単にできるものではない。

しかし、現に世界中で起こっていることは、まさに「悪貨は良貨を駆逐する」現象ではないだろうか。
核兵器を考えてみよう。核兵器は既にその恐ろしさがこの日本で実証済みである。しかし、その恐ろしさを知りながら、いや知っていればこそ、各国は競ってこれを開発し持つようになった。
世界中の人々が平和を願いながら、核兵器が大量殺戮兵器であることを知りながら、これを何とか手に入れたいと願っている。これを悪貨が良貨を駆逐した現象とはいえないだろうか。

共産主義が人間の本性に合わない経済システムであることは既に実証済みである。しかし資本主義社会の欠陥も明らかである。一部の経済的能力に優れた者が富を独占できるような仕組みは歪で醜い。しかし、リーマンショックも大したショックにはならなかったようで、今もまだ富を巡る醜い戦争がいたるところで引き続き行われている。

一国の経済規模を上回る富を築きあげた者がいる一方で一日に何千、何万もの人々が飢餓によって死んでいる。後世は、このような時代と人々をいったいどのように評価するのであろうか。
やはり、人々の平等と公平を願う気持ち、すなわち良貨が、歪で貪欲な経済優先の利己主義、すなわち悪貨によって駆逐されてしまったとは捉えないだろうか。

なぜ、世界は一定以上の富を築いた者にはノブレスオブリージュとしての課税也、世界への貢献といった義務を課さないのか。

日本人は、かつては金の話を好まない国民であった。金そのものを汚いものと考えていた。金などよりも大切なものをたくさん知っていたからである。それがいつの間にかエコノミックアニマルとまで蔑視されるようになり、土地を転がしバブルを弾けさせ、今の体たらくにまでなってしまったのである。

悪貨は良貨を駆逐する。この経済原理が人の心にまで当てはまるかどうかはわたしには分からない。そうであってはほしくないと言うのがわたしの希望である。

少なくともわたしは、汚れた金と名誉のどちらを選ぶかと問われれば一瞬の逡巡もなく名誉を選ぶ。理由はない。わたしは真の日本人であるからというのが、強いてあげればその理由である。