南方熊楠

2010/04/30 08:26

もはや旧聞に属するが、粘菌についての大きな発見があった。北海道大学の研究グループが迷路の実験により、粘菌に知性があることを発見、証明したのだという。
わたしは、これはおかしな話だと思う。そもそも、動物にしろ植物にしろ、またこの粘菌にしろ、知性なくしてこの過酷な世界で生きていけるはずがない。
ゲーテは、植物に心があるかどうかを研究して、ないとの結論に達したという。しかしそれも、わたしにはどうも怪しい話に思えて仕方がない。

だが、今日は、そんな知性や心について書こうとしているわけではない。山谷えり子さんの「日本よ、永遠なれ」の中に南方熊楠について書かれたところがあって、それがとても面白かったのだ。

南方熊楠は粘菌の研究でも有名な人物である。この人を話題にするとき、いの一番に出てくるエピソードが、彼が発見した新種の粘菌を先帝陛下へ差し上げた際のものである。このとき、熊楠はキャラメルの箱に入れてお渡ししたのだという。
先帝陛下は、このような邪気のない熊楠をよほど好ましく思われていたのであろう。紀伊白浜町行幸されたときの御製に彼を詠っておられる。

「雨にけぶる 神島を見て 紀伊の国の 生みし南方熊楠を思ふ」

さて、「日本よ、永遠なれ」の中では、南方は柳田國男とともに明治政府の「神社合祀政策」反対の急先鋒として登場する。熊楠は「千百年を経てようやく長ぜし神林巨樹は、一度伐らば億万金を費やすもたちまち再生せず」と訴える。
結果的にその運動は実を結び、大正9年、貴族院が「神社合祀無益決議」を採択し、神社合祀政策は終息を迎えたとある。

山谷さんは、しかし熊楠の訴えは生態系環境保護に留まらなかったと以下の彼の言葉を引用しておられる。
「漁夫より魚神を奪い、猟夫より山神を奪い、その祀を滅するは治道の要に合わず。いわんや、山神も海神もいずれもわが皇祖の御一族たるにおいてをや」
「わが国の神社、神林、池泉は、人民の心を清澄にし、国恩のありがたきと、日本人は終始日本人として楽しんで世界に立つべき由来あるを、いかなる無学無筆の輩にまでも円悟徹底せしむる結構至極の秘密儀軌たるにあらずや」

熊楠は、日本の森や川、海、山などが日本人の資質と切り離せない一体のものであることを喝破していたのである。

いずれにしろ、南方熊楠はいろいろと興味の尽きない人物である。わたしももう少しこの人物のことを調べてみようという気になった。