共感覚と共感

2010/05/02 19:19

かなり前の話だが、帝京大学の高山正行氏が週刊新潮の中で加藤登紀子について書かれていた。

「日本という言葉を発するときにたえず嫌悪の匂いが私の中に生まれる」と加藤登紀子が言った・・・、というこれである。
これは、一種の共感覚というやつではなかろうかと、とてもこのような感覚には共感などできはしないが、わたしはそう考えるのである。

しかし、この女性歌手、日本に住んでいながらこれでは、本当に不幸であるに違いない。なにせ、日本という言葉を発せないのだから。発すれば、たちまち嫌な匂いが鼻腔を満たしてしまうのだから。曽野綾子さんが「そんなに日本が嫌いなら日本人でいることはない。他国人になれば」とアドバイスされた理由が良く分る。

ところで、現鳩山政権の閣僚の中にもこのような、稀有な感覚の持ち主と疑わしき人物が多数見受けられる。この点からしても、鳩山内閣というのは、まさに奇跡の内閣といえるのではなかろうか。

それは、閣僚就任のときの日の丸に対する態度である。日本という国家の閣僚であるから、日の丸に対して敬意を表するのは当たり前のことではないだろうか。然るに、多くの閣僚が全くこれを無視するかのような態度を取った。

日の丸は、隠れキリシタンを見つける為の踏み絵ではない。しかし、この場面では、図らずも日本の国旗は、偽日本人を見つける為の道具として、踏み絵のごとく地に堕とされてしまったのである。
どの閣僚もすべてこの美しい国旗に深々と礼をして登壇し、また降りていったなら、日の丸は喩えはたはたとははためかなくとも、国民の多くは改めて国家の威厳を象徴する旗に誇りと感謝を覚え仰ぎ見たであろう。

わたしは、共感覚の持ち主ではないが、このような場面を見聞きするたびに、どういうわけか民主党という政党の胡散臭さを鼻腔の内に感じてしまうのである。
そして、このどぶを思わせる悪臭そのものについてだけは、それが生ずる原因はまったく反対のものであるにせよ、唯一加藤登紀子氏に共感できるのである