永久ループ

2010/07/13 20:49


Wは、今日もいつものように自宅の水槽に見入っていた。小さな原色の熱帯魚が泳ぐ自慢の水槽である。2階の北側の洋間に置いて、いつも飽きずに鑑賞している。

幅600mm、奥行き450mm、高さ450mmの小さな水槽である。水草の若緑。ネオンテトラの鮮やかなブルーとレッド。とても美しくて、いくら見ていても飽きない。この水槽は、ほかにこれといった楽しみも取柄もない彼にとって唯一の慰めだった。

水槽の中には枯れ木と砂を入れ、小さなエアーポンプとヒーターを使って酸素濃度と水温を維持管理している。水草の周りを泳ぐテトラは、まるで熱帯の森を飛び回るコンゴウインコのようだ。ただ、賑やかな森とは違って、水槽の中からはぽこぽこというエアーの音しか聞こえてこない。

ネオンテトラは、それぞれが不規則な動きをしている。きらきら鱗を煌かせながら目の前を横切ったかと思うとくるっと身を翻してみせたり、水草の奥に隠れたかと思うとまたひょっこり出てきたり、水面近くにまで浮き上がったり・・・。

Wは、ふと思いついたように水槽の前で手を打ってみた。とたんにテトラは紙吹雪のように飛び散った。しかし、しばらくすると、また何事もなかったかのように、いつもの不規則な動きを始めた。

そのうちに、Wは不思議なことに気がついた。いや、最初は何気なくそんな感じがしただけだったのだが、気になって確かめてみて卒倒しそうになった。

Wは腕時計で測ってみた。99分と23秒。彼は、その長時間を辛抱強く耐えて、ついに驚くべき規則性を発見したのだ。しかし、その発見に喜びは微塵もなかった。ただ、気持ちの悪いねちゃつくような冷たい汗が全身から噴出した。
彼ははじめ、10秒ほどテトラたちの動きを正確に記憶した。その動きを寸分違わず記憶に留めた。
そして・・・、それから99分と23秒後、記憶に留めたのと全く同じ通りのパターンが現れたのだ。

「これは、いったい・・・」
Wの思考は、恐怖のあまり完全に停止してしまった。

この水槽は決して3D映像なんかではないはずだ。Wは、そんな当たり前のことを頭の中で再確認しなければならないほどパニックに陥ってしまった。

それから何度も何度も彼は確認を続けた。しかし、きっかりと99分と23秒の周期で水槽の中は同じ動きを繰り返している。まるで、永久ループに陥ってしまったプログラムのように。――水草のそよぎも、ポンプから吐き出される細やかな気泡の動きも、そしてネオンテトラたちの一見不規則な場当たり的な身のこなしも、すべてがまったく同じことの繰り返しに過ぎなかった。

そして、ついにWは悟った。同じ事を繰り返しているのは水槽の中の小さな世界だけのことではない。Wは、自分自身が水槽を見るという行為以外の何ものも他に成しえていないことに気がついたのだ。
「この俺自身が、テトラたちとまったく同じではないか。俺は一日中、いや一年中、いや永遠にこうやって水槽と睨めっこをしているだけなのではないか。確かに、俺の周期は水槽の中よりは長いかも知れない。しかし、ただ長いというだけのことだ」

そのときWは、はっと上を見た。そしてそこに、ちょうどダイバーが水中から上を覗いたときのような、眩しい光の帯がオーロラのように漂っているのを見た。