嫁かないひと

2010/09/26 07:23


朝からトーク番組を見ていた。壇ふみさんと阿川佐和子さん、それに黒一点の藤竜也さんの三人のおしゃべりがとても楽しかった。

女性お二人は共に有名作家の娘さんで、これほど魅力的な女性も珍しいと思うのだが、どういうわけか揃って独身のようである。壇さんと阿川さんは大の親友同士ということだから、それで二人とも相手を慮るあまり嫁がなかったということでもあるまい。いや、余計なお世話であることは十分承知している。

番組の間中、壇さんは終始笑顔を絶やさず、目が^^になっていて、面長の優しい顔と相俟っていやでも好印象を抱いてしまう。阿川さんもしかり。あのきょとんとしたような表情がとてもチャーミングである。男としてみればやはり、なぜ? もったいない! と思わざるを得ない。
「しかしあんさん、よけいな詮索はやめときなはれや」と、使い慣れない大阪弁のおっさんが頭の中で囁く。「高嶺の花で、だ~れも手が出せなんだだけや」

でも、わたしは思うのだが、生物学的に見て、あのお二人のような女性はどう考えれば良いのだろう。
たとえば狐などでは、一腹の仔のなかには母親のテリトリーで長い間過ごす雌がいる。たいていは序列の低い、どちらかといえばひ弱な狩の能力の劣った個体である。これが雄であれば、成長すると例外なく母親のテリトリーを離れる。発情期の、つまり次の繁殖期に入った母狐から追い払われるのである。一つは近親相姦を避けるためであり、また同じテリトリー内で獲物をめぐる争いを起こさないためである。

それでは、母親と暮らす雌の狐はどうかというと、母親が再び仔を産み、狩をするために巣穴を留守にしているときなどに外敵から仔狐たちを守るという役目を与えられる。この母狐との暗黙の契約によって、この雌は母親から追い払われずに済むのである。また、母親の捕らえた鼠や兎などのおこぼれに預かることもできる。
つまりこの雌は、自分と遺伝的に近い仔狐たちの面倒をみることにより、間接的に自己の遺伝子を残そうとしているのだ、と考えることもできる。

さて、それでは人間の雌、いや女性の場合はどうだろう。兄弟や姉妹、あるいは甥や姪がいるなら、おそらくこういった女性は、その血縁者達の面倒をみることになるかも知れない。いや、きっとこういう血のつながった者たちへの愛情が他の女性に比べて深く、甥や姪の面倒見が良いに違いない。

甥や姪にしてみれば、とってもチャーミングで自分達の面倒を良く見てくれる叔母さんが存在することは非常に有難いことであるに違いない。