鎮男26

2012/06/03 22:20


鎮男は、そのコートを翻してエンジンフードの上に跳び乗った。そして、すぐにルーフに跳び移ると、ゴンドラのスライド式ドアを開けた。バッグを両手で持つと、投げ入れるように中に入れた。その瞬間、Nコロのルーフがベコッという大きな音を立ててへこんだ。しかし鎮男は、意に介する素振りも見せず、私に上がってくるよう眼で合図した。
「係留索はどうするんや」私はまだ決心がついていなかった。
「心配せんでもええ。綱は、自動で外れるようになっとる」
私は、あきらめてエンジンフードの上に乗った。鎮男は、すでに操縦席で指差ししながら計器類のチェックを行っている。私は、両手を付いて体重の分散を図りながら慎重にルーフに移ると、アルミ製のステップに足をかけ開口部の内側に付いたバーを両手で握って中に入った。

私がシートに座ると、すぐに飛行船は、少女の手を離れた風船のように浮かび上がった。係留していたロープは、カチャッという軽快な音をさせてラッチが外れ、今や上昇を妨げているものは唯一空気の抵抗だけだった。
私は、首を後ろに回して乗客席を見た。当然ながら、5列、10人分の席には誰も座ってはいない。ただ、重量調整のために砂の入ったタンクが座席下に設けられており、いまそのタンクの中は砂で満たされているはずだった。
今夜のクルーズは、私と鎮男の貸し切りだった。ざっと見積もって数百万円の豪華な深夜デートだった。

しばらくの間、ぽつんぽつんと木々の中に街路灯らしき電球の灯りが見えるほか、下方には何も見えなかった。ただ一面の黒い闇である。あらためて、いかに人間離れた山奥に鎮男が住んでいるかを思い知らされる。

しかし、5分も過ぎると、国道を走る車のヘッドライトや赤いテールランプが見えてきた。かと思うと、すぐその先にクリスマスを彩るY市街の煌々たる灯りが現れた。
鎮男は、すでに室内灯を消していた。インストールメントパネルは、さながらクリスマスツリーのように色鮮やかな光のディスプレイに満たされている。
高度は1000m以上を維持していたから、誰かに発見され通報される恐れは少なかった。もっとも、発見されたところで何を恐れることがあろうと私は思うのだが、鎮男は用心深かった。彼が目指しているのは、もちろんラプラス本社だったが、郊外にあるそこまで最短でたどり着くには市街上空を通過せねばならない。しかし、鎮男は、山に囲まれたY市の辺縁を辿るコースをとった。それが一番人目につきにくいと考えたのだ。

OAS15は、副操縦席である私の席からも操縦ができるリダンダンシーシステムを採っている。コックピットの真ん中にあるスイッチを私の方に倒すだけでそれが可能だった。
「こうちゃん。ターゲットが見えてきたで。最初にわいが降りるさけぇ、操縦を替わってぇな」鎮男は、スイッチを私の側に倒すと客席の方に移動した。
鎮男の言うとおり、前方数キロ先に10階建ての大きなビルが姿を現していた。この時刻――深夜零時を過ぎても多くの窓からは灯りが漏れている。超高感度カメラをズームアップして見ると、その屋上には緑色に塗られた広いスペースがあり、黄色いペンキで円の中にHの文字が描かれている。ヘリポートだった。赤く太い縞が3本入った吹流しがポールから垂れ下がっている。鉄棒にぶら下がって背筋を伸ばす運動をしている人のように見えた。
私は、赤外線カメラにスイッチを切り替えた。案の定、煙突からは高温の排気ガスが上がっていた。恐らくボイラを焚いているのであろう。
後ろを見ると、鎮男は、バッグの握り手にロープを通し、舫い結びに結んでいた。
「こうちゃん、目標上空5mまで降下してくれ」
「アイアイサー」私は、データを打ち込みヘリポートの真上20mで自動的に降下が停止するようセットした。そして右のペダルを一杯に踏む。この船の特徴は、PPUすなわちプラズマプロペルユニットの推進力を下に向けることで急速な降下が可能なことだ。もっとも、このような急降下は遊覧飛行の場合に行われることはない。
私は、レーザー高度計の針の動きに注視した。青い光の針が毎秒10mのスピードで降下していた。計算的には、100秒で目標上空20mに達する。
鎮男は、コートの股を割ってハーネスを装着すると、カラビナのついた太いロープの一端をハンドレールに固定した。そして、手に持ったロープを8環に通し、それをハーネスに付いたカラビナにセットする。
90秒余りでOAS15は降下スピードを落とし、95秒でヘリポート上20mに達した。
「こうちゃん。5mや。5mまで降下させて」鎮男がドアを全開にして言った。
「分かった」と私は答えたが、5mは非常に難しい高さだった。全長70mもの飛行船が避雷針などの突起物や煙突や冷却塔の上昇気流の影響を受けない高度は、せいぜい20mだった。それを鎮男は5mと要求した。
私は、下方に付いたカメラの映像を見ながらゆっくりとペダルを踏み込んだ。高度計は20mから1mずつ表示をカウントダウンしていく。OAS15は微かに振動を始めた。尻の方がヘリポート下方に設置された煙突からの上昇気流を受け、緩やかな円運動をしているのだ。
「5m」と私は叫んだ。
「OK」鎮男は、グローブをはめた手でロープの端に結わえたバッグを下ろし始めた。しばらくして、バッグがヘリポート接触した音が微かに聞こえた。
「こうちゃん。わいが降りたら続いて降りてくれ」鎮男が私を見て言った。
「心配せんでもええ。この飛行船は、このビルの上空で待機してくれとるはずや」
鎮男は、私に座席の上に置いた緩降装置付きのハーネスを示した。
「フックをレールに掛けて、後はその装置に身を任せるだけや」
そう言い残すと、8環を巧みに操って降下を始めた。レーンジャーのような慣れた身のこなしだった。
私は、飛行船の揺れが少し気になったが、鎮男の言う通りオートパイロットに任せてシートを離れた。ハーネスを身に付け、緩降装置のカラビナをレールに引っ掛ける。そして、開口部左右のレールをしっかり握ったまま後ろ向きにしゃがむと、両手で静かに身体を押し出すようにして飛び降りた。何ということはなかった。私の身体は、ゆっくりした一定の速度で降下してゆき、数秒でたいしたショックもなく着地できた。
OAS15は、私が着地したのを見届けたかのようにまっすぐ上に急上昇していった。

鎮男は、すでにコートの下に機関銃を吊るしていた。手にも一つ機関銃を持っている。私は、彼からその機関銃を受け取った。バッグの中にはピストルが4丁残っているはずだ。私はバッグを開き、エレベータホールの誘導灯の明かりを頼りにピストルを捜した。2丁をジャンパーのポケットに入れ、残り2丁を鎮男に渡す。バッグの中には予備の弾装と手榴弾が入っている。私は、その3ウェイのバッグをディーパックのように背負った。
見ると、鎮男は、入り口のガラスドアーに向かって拳銃を構えていた。拳銃の筒先にはマッフラーが付いている。私は、鎮男の大胆さに驚いた。が、何か言う暇もなかった。拳銃の音もガラスの割れる音も思ったより小さかった。しかし、音は、プシュッバシッ、キーンと3つに分かれて聞こえ、最後の金属音は、ガラスの向こうからびっくりするほど大きな反響となって聞こえてきた。弾は、ガラスを貫いた後、エレベーターの扉に当たってどこかに跳ねたようだ。ひょっとすると、エレベーターのシャフトを通して、誰かの耳に届いたかも知れない。
鎮男は、ガラスに開いた穴に銃身を突っ込んで割れ目を大きくし、さらに銃把で叩いて手を突っ込めるくらい大きな穴を開けた。彼は、そこから腕を入れるとスライド式ドアのクレセント型ロックを解除した。しかし、ドアは開かない。電気錠がかかっているのだ。このドアは、中から外に出るときにはカードかキーでロックを解除して開け、外から中にはインターホンで警備員を呼んで開ける方式になっているらしい。
そのとき、私は、1階にあったエレベーターの昇降インジケーターが上を向いたのに気がついた。
「鎮男ちゃん。誰かがさっきの音に気がついたんかも知れんで」
 「急がなあかんな」鎮男は、前を開いたコートから機関銃を出すと、腰だめに構えた。すでにエレベーターは、5階まで上がってきている。機関銃の発射音が轟いた。そして、ガラスが粉々に破壊される音。ガラスが滝のように砕け落ちると、目の前のエレベーターに無数の黒い穴が開いているのが見えた。エレベーターのインジケーターが9階で停止した。賢明な判断だ。あるいは、今の銃撃で何かトラブルが発生したのかも知れない。――いや、そうではなかった。インジケーターは8,7,6と下降を示し始めたのだ。
「いよいよ急がなあかんようやで」私は、平然と構えている鎮男に言った。
「だんだんおもしろうなってきたな」鎮男は短くそう言いながら、機関銃のストックでドアの鉄枠に残ったガラスの破片を撫でるようにして綺麗に取り除いている。
 私は、そのうちにパトカーのサイレンが聞こえてくるのではないかと思ったが、その様子はなかった。
鎮男が中に入った。
「非常階段で地下まで降りよう」彼は、続いてエレベータホールに入った私に言った。「このビルの構造は、予めよう調べといた。今ではもう我が家のようによう分かっとる」

 鎮男は、非常階段を靴音もさせずに駆け足で降りて行く。私も必死で彼の後に続いた。ターンの度に手摺を握って身体を方向転換させる。そしてその度に背負ったバッグの遠心力で身体が捩れそうになる。そしてまた、太腿とつま先のリズミカルな上下運動を繰り返す。
そうして、ようやく1階に着いたとき、ひどい眩暈を感じた。私は、背中のバッグを床に置くと、手摺に?まった。じっと?まっていないとどこかに飛んでいきそうだ。
 しかし、私より歳をくっているはずの鎮男はまったく平気に見えた。息も静かで汗一つかいていない。
 「こうちゃん。ここからは水平に動かなんだら直接地下へは行けんようになっとる。監視カメラもようけ設置されとるで、B2までたどり着くのは容易やない」
 「それに、わいらが侵入したことはとっくに気づかれとることやしな。警察が動かんのが不思議なくらいや」私は、はぁはぁ息を切らしながら言った。
 「警察が動かんのは、けっしてええサインやないな。良也の奴が、誰が何の目的でこのビルに入ったかを知っとるいう証拠やからや」
 「それで、これからどないするつもりや?」
 「これを有効に使う」鎮男は、コートを広げて脇に吊るした機関銃を見せた。「向こうもそれ相応のことをしてくるやろ」
 鎮男は、一階のエレベータホールへ抜ける防火扉をそっと押し開けた。待ち構えていたように銃弾が唸りをあげて飛んできた。防火扉の内側が5,6箇所、凸型に膨らんだ。
 鎮男は、扉を引き戻した。
 「さっそく撃ってきたで」
 「鎮男ちゃん、どうする」私は、震える声で言った。
 「どうするって、奴らを皆殺しにするまでや」
 鎮男は、ドアの陰に身を潜めたまま平然と言った。銃撃の止むタイミングを見計らっているらしい。銃撃は散発的になったが、それでも数秒に1発くらいの割合で扉が内側に少し飛び出てくる。これを貫通するほど威力のある銃だったら、とっくにわれわれは一巻の終わりだったろう。
それが止んだ。ゆっくり数を数える。…8、…9、…10。鎮男は、ドアを左足で押し出すようにして少しだけ開けた。再び向こうが撃ってきた。鎮男もドアの隙間から自動小銃を掃射する。一瞬、向こうの銃撃が途絶えた。鎮男は、すかさずドアをいっぱいに開けると、滑り込みでもするように頭から床に向かって飛び込んだ。そして腹ばいになったまま銃を撃ちまくる。
 「こうちゃん。出てきて撃つんや」
 私は、すでに自動小銃を構えていた、が、撃とうか撃つまいか迷っていたのだ。広いロビーのどこにも敵の姿は見えなかったが、私は意を決し、腹ばいになった鎮男の上から自動小銃を乱射した。
 突然、鎮男が左横に転がった。転がりながらも銃を連射している。
 「受付カウンターや」鎮男が叫んだ。
半円形の受付カウンターは、こちらに側面を向けていた。しかし、そこには誰の姿も見当たらない。が、言われた通り、そこに向かって銃を撃つ。鎮男は立ち上がって、正面玄関側に廻り込むように大きく円を描いてカウンターに向かって走った。