鎮男27

2012/06/03 22:21


カウンターから何かが姿を現した。
「えっ」思わず声が漏れた。わが目を疑った。それは、女だった。しかもとびっきり美しい。受付嬢の姿をした面長の美しい女が恐怖に震える白い両手を挙げて、カウンターの後ろから立ちあがったのだ。
 次の瞬間、私は、鎮男に向かって大声で叫んだ。
 「撃つな! 撃ったらあかん!」
 しかし、鎮男は、私の声など聞こえなかったかのように、平然と女に向かって連射した。
 女の頭が胴から離れて吹っ飛んだ。私は、目を瞑った。しかし、何かが変だった。すぐにまた目を瞠いて見ると、頭を失った女の胴が緑色の液体を噴き上げながら後ろ向きに倒れ掛かっていた。化け物だ。女は化け物だったのだ。
 「こうちゃん。撃つんや。まだ、何匹も残っとる」鎮男が叫んだ。
 私は、その声に我にかえった。カウンターの陰から恐ろしい姿をした化け物が次から次へと姿を現していた。まさに悪夢だった。この世のこととはとても思えない。
 顔のない、形だけは人間の、軟体動物のように表皮がぬめぬめした化け物が手に手に機関銃を持って撃ってきた。鎮男が丈の高い草でも薙ぎ払うように機関銃を横に掃射すると、白い飛沫を上げながらばらばらになって吹っ飛んだ。

 しかし、一息つく暇もなかった。不思議なオーロラのような、様々な色に変化する光がロビー全体に立ちこめていた。突然、そのうちの白い光が急速に収斂して人間の形をとり始めたかと思うと、やがて実体化した。最初それは白いプラスチックのような光沢を放っていたが、やがて白衣を着た医者の姿に化けた。しかし、手には聴診器ではなく銃を持っている。私は、迷わず銃を連射した。すると、そいつは気味の悪い、獣のような、長く尾を引く苦悶の声をあげながら後ろ向きに倒れた。
 「鎮男ちゃん」私は、鳥肌の立つ思いに大声で叫んだ。「こいつらいったい、何なんや」
 「化けもんに決まっとるやろ」鎮男は、怒ったように言った。「それより、早よ下に降りなんだら、限がないで」

 鎮男は、エレベーター脇の地下に降りる階段に向かって走った。私も慌ててバッグを持って続く。
 疲れなどとっくに吹っ飛んでいた。アドレナリンが血中に溢れ、全身が熱い興奮に湯気だっていた。
 地下2階まで降りると、そこは迷路のように入り組んでいた。しかし、鎮男は、廊下と小部屋で入り組んだフロアーを、磁石に吸い寄せられてでもいるかのように、目的の場所へと歩を進めていた。もっとも、私には彼がどこに行こうとしているのか皆目分からない。それに、あの武藤良也がそうやすやすと私たちを目的の場所に入れさせてくれるとも思えなかった。
 鎮男は、廊下が十字に交差したところで立ち止まると、右側の壁に身を寄せ自動小銃の筒先を上にして構えた。
 「鎮男ちゃん。罠ということはないか」私は、疑心暗鬼になっていた。
 「大いにあり得ることやな」鎮男は平然としていた。「そやけど、それを心配しとったら何事も先には進まん」
 鎮男が右の壁に、そして私は左側の壁に身をぴったりと寄せ、自動小銃を構えた。私は、右肩にストックを当て、筒先を上に向けて、じっと鎮男の合図を待っていた。
 「3」と鎮男がカウントを始めた。「2,1,ゴー」
 私は、筒先を降ろすと同時に身体を左に捻り、引き金を引いた。タンタンタンと咳をするように銃が火を吹いた。しかし、廊下には何もいない。
 「これは、いよいよ罠やな」鎮男は、銃を構えて前方を見たまま言った。「わいらをおびき寄せとるつもりなんやろう」
 「みすみすその罠に嵌るつもりなんか」私は、緊張にはぁはぁ荒い息をしながら、鎮男とは背中合わせになったまま答えた。
 「とにかく、行こう」
 鎮男は、そのまままっすぐ前に進む。その先には、大きなステンレス製の扉が見えた。どうやら、そこが鎮男の目指す部屋らしい。
 「そこに例の量子コンピュータとやらがあるんか」
 「いや、おそらく量子解析装置やろう」
 私と鎮男は、扉の前に立った。扉には先ほどの銃撃でいくつも穴が開いている。扉の右下の壁に病院のオペ室のようなフットスイッチが付いていた。鎮男がその穴に右足を差し込んだ。扉が微かなモーターの音をさせて左にスライドした。

 中は、壁も床も淡いグリーン一色に塗装された大きな手術室だった。そこにはCTスキャナーを思わせる青色をしたドーナッツ型の装置が据え付けられており、また天井からはロボットアームのようなものが吊り下げられている。放射線治療を行う手術室とも思われた。ただ、そのスキャナーというのは長さが2mくらいもあって、人間一人が悠々と中に収まる大きさだ。
 「なんで、こんなとこに手術室があるんや」そう言ってしまってから自分の愚問に気がついた。「そうか、ここは医療機器の会社やったな」
 鎮男は、私の独り相撲を無視して機械のそばに寄った。そして、巨大な円筒の側面に付いたコントローラーらしき装置に手を触れている。操作は、簡単そうだった。鎮男が手馴れた様子でいくつかのキーを押すと、スキャナーの中から断面が半月型をしたベッドが静かに押し出されてきた。
 「明彦君は、自ら進んでこれの実験台になったんやろうか」
 「おそらくな」鎮男がまったくの無表情で答えた。「そして、自分の考えた通り、量子コンピュータの中に自分の魂をコピーして保存した。いわば、自分の精神的クローンを作り出したんや」
 「そして、それを確認すると自ら命を絶った」
 
 「その通りだ」
 私は、その声にはっとして扉の方を見た。そこに立っていたのは武藤良也だった。なんと奴は、サンダル履きに茶色のトレーナ上下という格好で機関銃を構えていた。そして、派手な背広姿のいかつい男たちが手に手に拳銃や機関銃を持って、にやにや笑っている。私は、そのとき、この良也という男は、大企業のCEOや物理学者などよりもやくざの親分のほうがよほど似合っていると思った。
 「実は、わしも昨日ようやくそれに気がついた。その点は、おまえたちに礼を言うべきかも知れん。なぜなら、あの後すぐにわしは、死ぬ直前の明彦の行動を仔細に調べてみたのだ。その結果、おまえたちが言った通り、あの坊主は、死ぬ前になかなか面白いことを企み、実行に移していたことが分かった。恐らく、それは、わしへのあてつけだったんだろうがな」
 「おまえに対するあてつけ?」鎮男が唇を歪めて言った。「おまえは、自分を大した者のように思っているらしいが、明彦君は、屁ほどにも思っちゃいなかったはずだぜ。もっとも、虱や南京虫のような男を義理の親に持ったせいで、一時的に人類殲滅などという考えに囚われるようになったことは間違いないと思うがな」
 その言葉に、周りの子分どもが一斉に銃を鎮男に向けた。
 それを良也が左手を横に払って制止した。
 「何とでもほざくがいい。どうせ、もうすぐおまえたちの始末はつける」良也は、にたにた笑いながら言った。「しかし、簡単に殺すつもりはない。今夜はうまいぐあいに我が教会のミサの日でな。ちょうど、我らが神に捧げる生贄が欲しかったところだ。おまえたちなら役不足ということはない。どうだ、有難いとは思わんか」
 子分の一人が良也の言葉が終わるのを待っていたようにつかつかと前へ進むと、私の手からバッグと小銃を奪い、ポケットを探って拳銃も奪った。
 見ると、もう一人の子分が鎮男にも同様のことをしている。そして、最後の仕上げのように鎮男を後ろ手にすると手錠を嵌めた。
 どうやら、私の方は鎮男よりは扱いやすい小物と判断されたようだ。手錠だけは免れた。有難いというよりは、情けなかった。

 私たちが連れて行かれたのは、さらに一つ下の階だった。そこへ行くには、エレベーターを使うしかなかったのだが、エレベーター自体が実に巧妙に偽装されていた。かご内パネルにはB2Fまでのボタンしかなかったが、子分がポケットからリモコンを出してパネルに向けると、エレベーターはさらに下に降り始めたのだ。

 エレベーターから出ると、私たちは小さな部屋に押し込められ、鉄の扉には鍵が掛けられた。何のための部屋かは分からなかったが、小さいながらも机と椅子があり、ソファもあった。少なくとも監禁のための部屋というわけではなさそうだ。
 鎮男は、コートのまま後ろ手に手錠を掛けられていたが、その顔には少しも焦慮が感じられない。机の前の椅子を足で引っ掛け背もたれを横にして引き寄せると、後ろ手のまま静かに腰を降ろした。
 「あいつは、たしか、わいらを生贄にするといったな」私は、ソファに腰を降ろすと、恐怖を押し殺しながら言った。「いったい、何をするつもりなんやろう」
 「さあな。あのサドのやることや、普通の人間には見当もつかんやろ」
 「見当もつかんて……」私は、恐ろしさに絶句した。
 「まぁ、心配せんでもええって」

 そうして、30分ほども部屋の中にいただろうか、ふいに鍵を開ける音がしたかと思うと、勢いよく扉が開けられ、火のような衣装に身を包んだ3人の者たちが中に入ってきた。頭のてっぺんから足の爪先まですっぽりと、絹の光沢をもつ真っ赤な袋のようなものを被っていて、男女の別も分からない。頭の部分は、ちょうど道路工事現場などで見かける赤いコーンのような頭巾になっている。目と口の部分は、三つの三日月型に穴が開けられていて、薄気味悪い笑顔になっている。そして手にはみな拳銃を握っていた。
 「いいな。二人とも大人しく付いてくるんだ」背の高い一人がそう言って、私の肩を押した。「おまえたちは、犠牲の山羊なんだからな」
  
私と鎮男が連れてこられたのは、巨大なコンサートホールのような空間だった。
私は、その舞台から大ホールの観客席が火事のように真っ赤に燃えているのを見て肝を潰した。しかし、その火は、勿論本当の火ではなく、真紅の衣装に身を包んだ、何の宗教かはまったく分からなかったが何百人もの信徒たちの熱狂の炎だったのだ。
しかし、それだけではなかった。大ホール全体をもう一つの怪しい光が覆っていた。それは、一階での銃撃戦のときにも漂っていた物の怪の光だった。それがオーロラのように、照明が暗く落とされたホールの天井近くをのたうちまわっていた。
そして、もう一つ驚かされたのは、舞台の真ん中に地下2階で見たのと同じ量子解析装置が据えられていることだった。
ほどなくして、良也が現れた。観客席から一斉に盛大な拍手が起こった。彼もまた、真っ赤な衣装に身を包んでいたが、フードを外し顔を露わにしていた。