鎮男29

2012/06/03 22:24


明彦はと見ると、彼は長身をスキャナーの縁に斜めに凭せ掛け静かに微笑っていた。
「明彦君、鎮男は、いったいどうなってしまったんでしょう」私は、心配になって訊いた。今は、彼だけが唯一の頼りのように思われたのだ。
「心配いりませんよ」明彦は、笑いながら答えた。「あの人は、高いところから私たちの様子を笑いながら見ているんでしょう。そのうちにきっと現れるはずです」
「おまえたちはいったい……」良也は余りの衝撃に次の言葉が出てこないようだ。
「死者だよ。つまり死んだ人間だ」明彦の声は、挑戦的な響きに変わった。「その死者が、おまえの悪行を暴きにこの世に帰ってきたのだ」
明彦の澄んだ声は、冬の雷のように場内に轟いた。雷は、良也の頭上に炸裂し、彼の足元が一瞬ふらふらとよろめいたのが分かった。再び信徒たちから大きなどよめきが起こった。今度ばかりは、良也もなす術がない。しかし、彼は、その代わりに子分たちに目配せをした。忠実な3人の子分は、機関銃を明彦に向けた。信徒たちのどよめきが批難のシュプレヒコールに変わった。子分たちがその激しさに驚いて、良也の方に顔を向ける。
「いいから撃て」良也が命ずる。
「死んだ人間を殺せると思うのか」明彦が声を上げて笑った。相変わらず、片手をズボンのポケットに入れ、スキャナーに身を寄せたまま動じる様子がない。

「いいから撃つんだ」
子分たちが至近距離の明彦に狙いをつけて撃った。ダダダダダッと火薬が炸裂する音と激しく金属が往復運動する音を響かせて機関銃が火を吹いた。弾丸は、確実に明彦を捕らえその身体を貫通した。明彦が苦悶に顔を歪めながら身体を前に折った。しかし、彼の口から溢れ出たのは、真っ赤な血ではなく哄笑だった。
「わ、私は、し、死者だ。し、死んでしまった人間なんだ。死んだ人間が銃などで殺せるわけがない」明彦は、ひとしきり大笑いすると、笑い疲れたように少し顎を落とした。
 そのときだった。天井近くから再び金色の光がスーッと降りてきて、明彦の隣で実体化した。鎮男だった。
「鎮男ちゃん」私は、嬉しくなって彼の方に走り寄った。
「心配かけてしもうたようやな」鎮男がにっこり笑った。しかし、急にその慈悲に溢れた大仏様の顔が鬼の形相へと変わった。そして良也を指差して吼えた。
「良也、よく聞け。これから、われわれは、おまえの信者たちに、おまえの正体を暴いてみせてやる」
「なんだとっ」良也の顔が赤黒くなった。「ふざけたことをぬかしやがって」
良也は、傍らの子分から銃を奪うと鎮男に向けて撃った。鎮男が私の両肩を掴んで床に臥せさせた。弾丸が空気を切り裂き、その衝撃波が私の頭蓋骨を削岩機のように激しく打った。目の隅に明彦がすばやい動きで良也に迫るのが見えた。彼は、瞬く間に良也から銃を奪うと、彼の右手を後ろ手にして思い切り締め上げた。
良也が苦痛に悲鳴を上げた。私は、鎮男がもう一人の子分から同様にして銃を奪うのを夢でも見ているように見ていた。
子分たちは、とても叶う相手ではないと悟ったのか、舞台の袖の方にほうほうの態で逃げ出した。
鎮男がコートから手錠を出して良也の両手に嵌めた。
 
 「ネオゾロアスター教の皆さん」突然、明彦が舞台の真ん中に立ち、観衆に向けて話しはじめた。長身の彼が両手を大きく天に向けて差し伸べるように広げると、その真っ白な服に天井のオーロラの光が反射して氷山に陽があたったように神々しい。「私は、皆さん方の教主、武藤良也の義理の息子、明彦です。世間では、この男の巧妙なマスコミ戦術により、私がこの男の嫡子であるかのように思われておりますが、事実は違います。良也は、当時有名な物理学者でもあった私の実父、伊地知義明を殺すと、その研究成果を奪った上、私の母親である武藤淑子と、その父である武藤真一が創立したラプラス社までも奪い取りました」
 信者たちが大きくどよめいた。
 「嘘だ」良也が、大声で叫んだ。「まったくのでたらめだ。信徒諸君。息子は、このような被害妄想が嵩じた末に自らを殺めてしまったのです」
 鎮男は、良也の言うがままにさせていた。
「私が息子の実の父親を殺したなどとは、妄想もいいところだ。彼の父親、伊地知君は、私の友人でもあったが、当時精神的に非常に落ち込んでおり、ある種の薬に頼っていた。事実は、その薬の過剰摂取による中毒死だった。
世間では、自殺という説も一時流布されたが、身近にいた私が一番真相を知っている。あれは明らかに事故だったのだ。
その後、幼い明彦を抱えた淑子さえも精神的に非常に不安定になり、夢遊病者のような大変危険な状態だった。それを見かねた私が、彼女の御尊父、すなわち武藤真一氏を説得して武藤家に入り、彼女を見守ることにしたのだ。
そうして、何とか彼女も立ち直り、明彦も成長するにつれ天才少年と世間で騒がれるまでになった。もっとも私は、かわいい息子が世間から玩具のように扱われることに我慢がならなかったから、彼をイギリスに留学させたりもした。
――いずれにせよ、私は、我らが神の名にかけても、なんら疚しいところなどない。そればかりか私は、当時はまだ名も知れていなかったラプラス社を今日の姿にまで発展させた。こう言うのもなんだが、感謝されこそすれ、非難を受ける筋合いなどまったくない」
 良也は、最後の方では、怒りを露にするかのように大声で吼え、あまつさえその頬に涙の筋さえ伝わせてみせた。

 「言いたいのはそれだけか」
 鎮男がフラットなトーンで言った。
 「な、なんだと」
 「言いたいのは、それだけのようだな」鎮男は、再びフラットな調子で言った。「ところで、おまえの本名は何だ」
 「なんだとっ」良也がちょっとびっくりしたような顔をしてみせた。
 「おまえが、武藤家の養子に入る前の姓はなんだったのかと訊いておるのだ」
 「そんなことを訊いてどうするつもりだ」
 「言いたくないなら、それでもよい。おまえが先ほど天国と地獄に通ずると言った、この装置の力を借りるまでだ」

 「皆さん」再び、明彦が信徒たちに向かって呼びかけた。「この量子解析装置は、私がイギリス留学中に発表した理論、すなわち、この世界のすぐ隣にまったく別の世界が存在することを実証するために、ラプラス研究陣の手によって開発したものです。私は、この装置と、別に開発した量子コンピュータを使って理想郷を構築しようと考えた。私の継父のような汚らしい人間の行いはどこから来るのか、それは不浄な肉体によってもたらされる。それならば、私は、その肉体を持たぬ、魂だけの人間を作り上げることはできぬかと考えた。この装置は、最初は私のその目的を達成するために作ったものだったのです。そして、私は、その目的が夢幻ではないことを確認すると、自らの理想を実証するために自死を遂げた。
しかし、私の死後、継父は私の理想を踏みにじるばかりか、死者を打擲するの言い通り、異界から化け物まで呼び寄せ、さらには自分の意のままにならぬ信徒を懲らしめる目的で無間地獄などという拷問さえ実現させた」
 信徒たちがいっそう喧しくなってきていた。多くの者たちが頭巾を脱ぎはじめ、男も女も髪を振り乱して口々に何かを叫んでいる。その叫びを聞いていると、良也を非難する口調が7割、逆に明彦を非難する者が3割と思われたが、私は、それらの顔の中に多くの有名人や国の実力者を見つけ唖然とさせられた。

 「諸君。息子の言っていることは、まったくの嘘ではない」良也が大声で叫んだ。信徒たちの声が一瞬静まった。そのわずかな静寂を利用して、良也が一気にまくし立てた。「嘘ではないが、彼は幻覚を見ているのだ。このような兆候は、彼の父親である伊地知にも見られた。これはおそらく遺伝性のものと思われるが、わしは、そのような悪い遺伝の犠牲になるつもりはない」
 「そうだ、その通りだ。そいつは、被害妄想狂だ」と、最前列に席を占めた禿頭の小柄な男が叫ぶと、それに賛意を唱える者たちが一気に攻勢に出て、会場はまさに火がついたような騒ぎになった。
 「皆さん」
明彦が両手を広げて天に向けて差し上げた。このポーズは、さしもの扇動者たちをもあっと叫ばせるほど神々しかった。
「私は、ここで皆さんと議論をするつもりはありません。私は、この男が実の父である伊地知義明を殺した殺人者だと言った。しかし、事件は20年近くにもなろうとしており、その物理的証拠も、また法的断罪の余地すらもない。
だが、このような男が世界的大企業のトップを、ましてや宗教団体の長を務めるなどということを私は断じて許すことができない。
みなさん、この男が企んでいることは、かつてラプラスを手に入れたように、この世界を我が物に、自分の恣にすることなのです。
――私は、殺人を示す物理的証拠がないと言った。しかし、その殺人の事実は、天知る地知る己知るとの言葉通り、すべてこの男の脳にある。今私は、この男の記憶そのものに語らせようと考えている。
いいですか、皆さん。これから私は、この男をQAにかける。量子解析装置にかけ、この男の記憶を皆さんにリアリスティックにお見せすることにする。あなた方が、これから体験することは、すべてこの男の脳に刻まれていることなのです。そして、これを体験した後、あなた方にかけられたこの男による洗脳も解かれることになる」

 明彦が言い終わると、鎮男が軽々と良也を台の上に乗せた。手錠を掛けられたまま良也はじたばた暴れたが鎮男が力でねじ伏せた。手早くハーネスで拘束すると、さすがに観念したのか静かになった。
 信徒たちの一部が暴徒化しそうな気配を見せたので、明彦が自動小銃を取って天井に向けて撃った。照明が粉々に壊れてガラスの破片が落下してきた。付近の信徒たちは、慌てて頭巾で防護したり、机の下にもぐり込んだ。
 「これは、脅しではない。邪魔立てをすれば、私は、あんたたちをためらうことなく殺す」
明彦の言葉は真に迫っていて、私でさえ恐ろしくなった。最前列の禿頭も今は羊のように大人しくなっていた。
 「明彦君」と鎮男が呼びかけた。「準備はできた。いつでもやってくれ」
 明彦が頷いた。小銃を上に向け、もう一方の手で器用にコントローラーを操作する。
 「鎮男ちゃん」私は、手が空いた鎮男に声をかけた。「さっき、良也に旧姓をしつこく訊いとったんは、何でや。あの男を知っとるんか」
 「それは、もうじき良也自身が語ってくれるやろ。それですべてが分かる」
 そう言う鎮男の声は、こころなしか沈んで聞こえた。
 良也の身体は、底なし沼に呑み込まれるようにゆっくりと解析装置の中に入っていく。そして全身がすっぽりと沼の中に沈んだとき、赤紫色をした霧が装置の両端から噴出しはじめた。霧は、燻蒸剤のように勢いよく立ち上り、すぐに天井にまで達すると横に広がり緩やかに降下を始めた。それと同時に腐った魚のような猛烈な悪臭が漂いはじめた。嘔吐する者や、もだえ苦しむ者たちでホールは騒然となった。
 私の胃も猛烈な拒否反応を起こし何度も何度も嘔吐いた。そして、苦しみながらも、恐らくこの悪臭こそ鎮男の言っていた「臓物の腐った臭い」だと思い当たった。
 そのうちに幻覚症状が現れはじめた。最初は、余りの悪臭による精神的錯乱だろうとぼんやり考えていたが、ふと明彦の言葉を思い出した。
 「あなた方がこれから体験するのは、すべて良也の脳に刻み込まれたことなのです」
 私は、二重人格者にでもなったような気がした。なぜなら、「私自身の意識」は、はっきりとしているのだが、それとは別の、決して夢ではない、しかし見たこともないはずのイメージが眼前に現れ、何ともいえぬ、サディスティックで凶暴な怒りのマグマが噴出するのを辛うじて理性という重たい鍋の蓋で抑えているような感覚を味わわされた。