奔訳 白牙47

2017/06/03 23:42


キッチェが白牙の傷を舌で慰めるように舐めてやり、自分の元に引き止めようとした。しかし、好奇心が彼の内で暴れまわり、数分後には新しい冒険を求めて彼は飛び出していった。途中、彼は一人の人間に遭遇したが、それはグレイビーバーで、彼はしゃがみこんだ姿勢で地面にひろげた何本かの木切れと乾燥させた藻を相手に何かしようとしているところであった。白牙は傍までやってくると、じっとその様子を見つめた。グレイビーバーは口の中で何かブツブツ唱えていたが、白牙はそれが危険のないものと理解しさらに傍まで近寄った。

女子どもたちがさらなる薪を集めてグレイビーバーのところに持ってきた。そしてそれが起きた。白牙はグレイビーバーの膝に鼻が触れるほど近づいていたが、好奇心のあまりそれが恐ろしい人間であることを忘れてしまっていた。
突然、グレイビーバーの手の下、乾燥させた藻や木切から霞のようなものが立ち上がった。そして、木切の中から身をくねらせ捩りながら、空に浮かぶ太陽のような色をした生き物が現れた。白牙は火について何も知らなかった。それは洞窟の入り口の光が彼を引き寄せたように彼を引きつけ、幼かった頃のことを思い起こさせた。彼は何歩か火に近寄って行った。彼はグレイビーバーが小さな声を上げて楽しそうに笑うのを頭上に聞いた。そうして、彼の鼻は炎に触れ、同時に小さな舌でそれを舐めようとした。

次の瞬間、彼の意識は吹っ飛んだ。全く未知の、木切や乾燥した藻のの間に潜んだ何者かが凶暴にも彼の鼻に噛み付いたのである。彼は後ろに跳びのきながら、驚きのあまり凄まじい泣き声を上げた。その声にキッチェが唸り声を上げ飛び出そうとしたが、棒が邪魔をして助けに行くことができない。そのもどかしさから彼女は凶暴な怒りに猛り狂った。その一方、グレイビーバーはけたたましい笑い声を上げ、膝を叩いて周りの者たちに今何が起きたかを告げたのでキャンプ中が笑いの渦に飲み込まれた。白牙は独り、人間たちの間でその小さな身体をしゃがませて哀しげに泣きに泣き続けた。

これは彼にとっての最悪の出来事であった。鼻と舌の両方が陽の色をした生き物によって焼かれ、その生き物は今、グレイビーバーの手の下でさらに大きくなっている。彼は間断なく泣き続けたが、その生々しい痛みの声がまた人間たちの一部に笑いの爆発を引き起こした。彼は舌で舐めて鼻の痛みを鎮めようとしたが、舌も火に焼かれていたため、二つの痛みは合わさってさらに大きな痛みとなった。彼はなす術もなく一層激しく泣くことになった。

しかしそれからしばらくすると、彼にも恥ずかしいという思いが起きてきた。彼には人間たちの笑いとその意味が理解できた。われわれはある種の動物がどのように笑い、どのような時に笑うかを知らない。白牙が人間の笑いがどういうものであるかを知ったのも同じようなものであった。それで白牙は人間たちの笑いに込められた意味を知って恥ずかしくなったのである。
彼は身を翻して逃げ帰ったが、それは単に火が恐ろしかったからではなく、人間たちの笑いというもっと深く自分に食い込んで傷つけ、彼のプライドを切り裂くものからの逃避だったのである。彼はキッチェの元に逃げ帰り、彼女を、世界中でただ一人、彼のことを決して笑い者にしない者を縛り付けている棒の端に狂ったようになって怒りをぶちまけた。

黄昏が舞台の袖に引き、夜の帳が降りるころ、白牙は母親の傍に横になっていた。鼻と舌はまだ痛んだが、それよりも彼はもっと大きなことに悩まされていた。ホームシックだった。彼の心にはぽっかりと大きな穴が空き、静かなせせらぎや崖の上の洞窟が恋しくなったのである。人生が余りにも急激に賑やかになりすぎた。多くの人間の男や女たち、それに子供らのすべてが煩く騒がしく思われてしようがなかった。それに犬どもも絶えず騒いでは咬みつきあったり唸りあったりしており、それがときに大騒動にまで発展する。彼の知る静謐で安穏としたただ独りの生活は遠いものになってしまったのだった。