躓いたことさえご存知ない

何の話かというとコロナである。

昨年の今頃、わたしは一人で騒いでいた。これは来るぞ、日本は大変なことになる、と。

そして、思った通り我が国政府は見事に躓いた。ところが、日本だけではなくヨーロッパやアメリカにも感染者が多数出るようになって、なんだ、日本はあれだけ中国人を受け入れていたにも関わらず、感染者数も死者も大したことないではないか、となった。

ところが今はどうか。第三波だか変異種がどうだとか、何だか知らないうちに感染者や死者がどんどん増えて、他の国と大して変わらなくなってしまった。

思うに、最初の反省の機会を失ってしまったからなのだ。

あのときにはオリンピックを控えていることがあり、また誰が呼んだのやら習近平国賓として迎えるなどということがあって、何らそれらしい対策を打てなかった。

それでも、おそらく日本人のいわゆる民度の高さというようなこともあって、アメリカやヨーロッパのように爆発的感染にまで至らずに済んだ。

しかし、だからこそ、今のような事態になってしまったのである。

あのとき、何で自分は躓いたのか、という反省をしなかった。いやおそらく躓いたことにさえ気がつかなかったのだろう。何という間抜けな国家だろう。

躓きの背景には習近平がおり、オリンピックがあった。

習近平は今回のパンデミックの張本人である。そんな人物を国賓として迎えようなどというバカがほんとにいたのである。

そして、未だにオリンピックを最後の、冥土の土産にしようなどと思っている(まー、その立場は、斟酌はするけれども)未練たらしい元総理がいるのである。

そりゃあ、オリンピックはできればそれに越したことはない。しかし、あれは所詮祭りではないか。こんな、人類が危機の真っ只中にいるときに祭りに現を抜かしてどうする、とわたしは思ってしまうのである。

祭りは当分諦めましょう。今は世界が一丸となってこの苦難を乗り越えるときですと、オリンピックなどキッパリあきらめて、世界に別の方法で貢献するというのが本来の日本人の姿、大和魂ではないのか、と思ったりするのである。

森さん、あんたは所詮シンキローなんだ。でも、それでいいじゃないか。俺はシンキローだから、オリンピックもシンキローで終わらせる。そう言って辞めればいい。その方が後世に余程名を残せる。

ところでもう一人、この事態を拗らせている政治家がいるとわたしは踏んでいる。それは言わずと知れた、支那に阿り観光業界に媚びる二階俊博氏である。

この人物、わたしは危険極まりないと感じている。

これは直感でしかないが、コロナの我が国での蔓延にはこの人物の関わりが大きいのではないか。go to travel だか eat だか知らないが、まったく相反する二つのことを同時にやろうなんてことができるはずがない。

そんな道理の理解できぬものが大きな顔をして代議士の椅子に腰を降ろしているのだ。

これでは我が国のコロナは収束するはずがない。